TINCTORA 007

7.再び動く場所は

019

 ホドはケテルを見てため息をついた。彼の主人は何も言わなかったからだ。
「……好きにしていいんだね?」
 それは確認だったが、ケテルは何の反応も返してはくれなかった。
「仕方ない」
 ホドが言うとケテルは笑って見せた。彼はホドがどうするのか楽しみに待っているらしい。
「戦うんだろ? で、皆殺し。そのために俺、メッセージなんて残してきたんだぜ?」
 ゲヴラーが笑っていった。
「まったく、事を起こした人間が、よく言うよ」
「わりぃ」
「邪魔をするなら排除するまで。……かかってくるといいさ」
 ホドが言うとゲヴラーは歓声の代わりか口笛を吹いた。
「ケセド」
「はい」
「各地に散らばっているパスの中から熟した果実を選んで10個もげ。やつらの相手をさせる」
「私が熟しているかを判断してよろしいのですか?」
「構わないさ。……いいだろ? ケテル」
「うん、いいよ」
「聞いておきたいのだが、我はまたお呼びがかかるまで自由に遊んでいてよいのか?」
 ビナーが問う。
「だめって言ったって遊ぶんだろ? じゃぁ、無駄なことだ。だけどこれから1人パスを付ける。そいつらの管理は各自に任せるからそこはきっちりね。あくまでこっちの足を引っ張らないようにしてもらわなきゃ」
「ふむ。パスが必要なほど大々的な活動でもするのかね?」
「考えてないな。ただ、生かしてきた奴を利用するなり殺すなりする粛清の時期が来たってことさ」
 ケテルが当事者の癖にふぅんと声を上げる。
「やる気あんの? ケテルが始めた遊びでしょ?」
 マルクトがさすがに気の毒になったのかケテルに言った。
「あるよ、やる気。僕はホドに任せたほうがいいと思うからそうしてるだけ。自分が必要なときは動くよ」
「自分の欲が絡んだときだけでしょ」
「正解」
 マルクトはため息をついて会話を止める。
「次なる手は、裏切り者が快楽に溺れ、愚者が知恵の実を口に含むトコロ。縁、改められし弱き絆をさらけ出す、我らの手の上、南方・ケゼルチェック」
「あら、舞台はここにするの? 大丈夫なの? 敵をわざわざ招くようなものじゃない?」
 ネツァーがホドに言った。
「大丈夫だよ、レナ。決して捕まったりはしないよ。相手がヴァチカンならね」
「違う敵が来たら?」
「……そのときは、運任せだよ」
「呆れた」
 ホドは恋人に甘く囁くと顔を変えてゲヴラーに言った。
「ここまで計画を変えてくれた罰だよ、ゲヴラー。君はまたストレスの溜まる仕事、してきてね」
 それを聞いたとたんにゲヴラーが唸った。
「まじかよ! ふざけんな! どんだけつまんなかったと思ってんだよ」
「各地で発散に囚人やら何やらいっぱい殺したでしょ?」
「そうだけどさぁ……。なんか言ってくれよ、ケテル」
 ケテルは無理無理~と気楽に首を振って見せた。
「ちっ! じゃ、また殺していいんだな? そうとっていいんだろ?」
「困るんだけどね……。君ってさ、殺人しなきゃ禁断症状でも出るの? それってクスリに手を出すよりもヤバくない?」
「うっせーよ! そんなんじゃねぇっての!!」
「じゃ、出来るよね?」
 にっこりと笑ってホドはゲヴラーに命じる。
「ハメやがったな! ちくしょー。やりゃぁいいんだろ、クソ!」
「はい、よく言えました~。安心して。しばらくティフェと一緒だから」
 拍手までしてホドは笑って褒めたてた。ゲヴラーは不満げにしつつも頷く。
「はぁ……」
 マルクトがため息をついた。そしてホドに向き直る。
「ねぇ、僕らはパスなんていらないんだけど? かえって邪魔、ねぇ? イェソド」
「うん~」
 ホドはむっと唸った。
「よく考えれば、君たちには確かにいらないかもね。レナにもいらないねぇ」
「そうね」
「じゃ、君たちのパスは僕が活用させてもらう。君たちが管理せずともいいよ」
「ありがと」
 マルクトの礼にホドは構わないといった。

 一年後。

 あの時から一年が過ぎた。ナックはいまだにキラを、あの赤目の男も探し出せないでいる。
 ナックが属していた『名も亡き反抗分子』は本部であったクミンシードのアジトが壊滅した後、各地に散らばっていた仲間は路頭に迷った。北を任されていたサフランの力によって仲間は秘かに再結成を始め、ようやく活動できるまで成長したらしい。
 ナックもサフランに仲間にならないかと誘われたがオレガノのあだ討ちを仲間とともにする気はなくなっていた。思えば、ナックにはファキのみんなに加えあの時死んだレジスタンスの仲間の仇まで討てる気はなかった。
 しかも今はキラを探すことがナックの最優先になっていた。赤目の男は確かに言った。キラが生きていることを。
「調子はどうだね? ナック?」
 神父の格好をした壮年の男がナックに問いかける。
「だいぶいいよ、いつでも行ける」
「そうか、では行こう」
 対するナックも神父服を着ている。
 あの時、レジルタンスが滅ぼされたときに入ってきた五人組はカトリック教会の異端審問官だった。このエルス帝国含む周辺の国は信仰宗教としてキリスト教を信じている。唯一神ヤハウェの生まれ変わりであり、息子とされる救世主・キリスト。彼の教えを守る宗教だ。
 そのキリスト教の全ての教会行政および本拠著であるヴァチカンの中央を統治する機関をローマカトリック教会では『教皇庁』という。
 教皇庁とはキリスト教を信仰する国々に等しく干渉できる権限を持ち、キリスト教が関わる行政方針を決めるところで、教皇と枢機卿によって行われる。またの名を法王庁、ローマ聖庁ともいう。
 しかし市民の間では『ヴァチカン』と呼ばれていた。そのヴァチカンを取り仕切る教皇とは、ローマ‐カトリック教会の最高位の聖職。地上におけるキリストの代理、使徒ペテロの後継者であり、全教会に対する首位権をもつ。法王。ローマ教皇とも呼ばれる。
 枢機卿はカトリック教会で、ローマ教皇に次ぐ高位聖職者。定員70名で枢機卿会議を構成し、教皇顧問としてその補佐に当たり、教皇選挙権をもつ。カーディナルとされる。
 教皇はコンクラーベという選挙で選出される。(一部大辞泉より引用)
 その教皇庁、つまりヴァチカンに異端審問は属しており、異端審問は主にキリストの教えに反するものを断罪する任を持っていた。
 ナックは彼らに救われて何があったかを話し、異端審問の捜査・執行部に所属になり、表向きは神父として活動している。
 なぜ、異端審問に入ったかというと目的が一致したためで、ヴァチカンにすればナックは唯一赤い目の男と出会った者でティンクトラを追っている。ナックはティンクトラにいるらしいキラを助けたい。
 互いの目的は同じなのだから手を組もうと言われたのだ。ナックだって一人でキラを探せるとは到底思っていない。喜んで仲間になった。
 しかし異端審問の修行は厳しいものだった。一年をかけてナックはかなり進歩したがそれは努力の賜物である。
「シスター・ダリアは?」
「別の任務だよ」
「今日は何しに行くんだ?」
「うん、ティンクトラがこのエルス帝国を隠れ蓑にしていることはほぼ間違いない。きっと貴族の奥深くに根付いてしまっているだろう。やつらはこの国で自由に動ける。だがわれ等はそうではない。この国での協力者が必要となる」
「あぁ、資本家が必要なのか」
「そうだよ、ナックはこの一年で成長したね」
「自分がなんもわかんないままじゃキラを到底助けには行けないからな。相手は極秘のレジスタンスの情報を知っていたし、極悪な殺人鬼だ」
「……赤い目の男、か」
「ああ。最初見たとき、悪魔かと思った程だ」
 ナックは今でもあの夜の恐怖を思い出す。あんなやつがいる場所にキラがいるなら……そう思うと気が焦ってしまう。
「なぁ、クァイツ」
 ナックは自分の信頼できるリーダーに言った。
「もし、キラが帰ってきたときは、俺はこれ以上協力できないかもしれない。本当にそれでいいのか? お前たちのほうがすごく損してないか?」
「ナックにそれ以上望むことは主も頷きはなさらないだろう」
 教皇庁の中でも特に恐れられる異端審問。彼らはただ恐怖の存在なのではない。主の教えを守らない者のみを断罪するのであって、本来は穏やかなのだ。
 しかし本当は異端審問の長であるクァイツが穏やかで優しいだけなのかもしれない。ナックは異端審問に一年半いることになるがクァイツのほかは数人の異端審問官にしか会ったことはない。各地に任務で散っていてなかなか遭えないのだそうだ。
「その貴族から迎えの馬車が来ている。急ごうか」
「ああ」

 ナックが馬車を出て来た貴族の屋敷は小さく思えた。ナックはこの一年で数々の教会を回り、枢機卿の家にも行った。貴族の生活を理解したばかりだ。
 といってもナックが貴族のように生活したわけではない。ただ貴族の生活を見てきただけだった。それでも何回か見れば自ずと理解できるものである。
 この貴族は屋敷こそ小さい(貴族規模での話)が庭にものすごい力を入れているように感じた。
「ようこそいらっしゃいました」
 初老の男性が執事のようだ。使用人がナックの荷物を持ってくれる。
「神父様、お疲れのところすみませんが……」
「あぁ、お話通り、一番最初には礼拝を致しましょう。ラスメリフ伯爵はすでに礼拝堂に?」
「いえ、手違いでお話が行っていなかったとは思うのですが、ご主人様はいらっしゃいません。奥様が代わりにいらっしゃいます」
「伯爵夫人さまですか。構いませんよ。我々が滞在する間にお帰りになられたら喜んで礼拝をいたしましょう」
「いえ……。その、大きな声では申し上げにくいのですがご主人様は一年前にお亡くなりに。今は奥様が代わりを務めていらっしゃいまして、今回のことを大変喜ばれております」
「そうでしたか、では後ほど、お墓に祈りを捧げましょう」
「ありがとうございます。あ、こちらです」
 大きな扉の前に立っている使用人が扉を開けた。中は大きなしっかりとした造りの礼拝堂だった。奥に祭壇があり、壁面には聖書の内容を模した壁画が描かれている。
「奥様、神父様をお連れしました」
 その声に反応して椅子から黒いドレスが動いた。漆黒のドレスをまとった女性だった。隣にはかわいらしい小さな女の子がドレスのすそを握って隠れるように立っている。
「ようこそお越しくださいました。神父様。わたくしはコーリィ・アルジャ・ラスメリフ。亡き夫の代わりに、この地域の領主を勤めさせていただいております。このたびはわたくしたちのために遠路はるばる、長旅お疲れ様でございました」
「お会いできて光栄です、ラスメリフ伯爵夫人。クァイツ・レイズです。彼は私の弟子、ナック・エズベルト。短い間ですが、お世話になります」
「よろしくお願いいたします」
 ナックも彼女と握手を交わした。
 ナックの父、ドゥーイ・ヴァイゼンは処刑された。ヴァイゼンの名はこの国では犯罪者の名前といって等しい。身柄を拘束されるわけにもいかないし、ナックは偽名を使っている。そのほうがいいとクァイツも言った。
「貴女も神父様に挨拶なさい、ローズ。失礼しました。わたくしの妹なんです。ローズマリーといいます」
「おかわいらしい妹さんですね」
「ローズマリー・レイン・ラスメリフです」
 人見知りの激しい性格なのだろう。それだけ言うとコーリィの後ろに隠れてしまった。
「本当に申し訳ありません。人見知りが激しくて、お恥ずかしい限りですわ。では、お疲れのところ誠に申し訳ありませんが、お願いできますでしょうか?」
「構いません。はじめましょう、エズベルト神父」
「はい、わかりました。レイズ神父」
 ナックは神父らしく、クァイツを助手する位置に立った。
 礼拝自体は一時間程度で終わった。ナックは使用人に案内され部屋で一息つくと、夕食に招かれた。
 この時間が本題で、どのように資金を提供してくれるのか、資本家としての見返りは何かいろいろ話し合うのだと思う。
 ナックは基本的には何も口を挟まず、クァイツの交渉術を見ていようと思った。話はまず、世間話から始まり、この国について、キリスト教における活動のことなど当たり障りないことから始まった。
 話すうちにクァイツは話を資金提供の具体的な取り決めに変えていった。伯爵夫人もそれを承知で話に乗っている。
 貴族とはいつでも気が抜けない。卑怯なやつばかりで自分のことしか考えていない。自分の地位と金。それしか考えていない。
「わたくしが今回この偉大な任に就けましたのもすべては神の思し召しですわ。感謝いたしいたします。神父様はお笑いになられるかもしれません。……貴族というのは心苦しいものなのです、特にわたくしのように主人を亡くし、女が当主をやっていますとね」
 伯爵夫人は悲しげに笑いながら呟いた。
「お若い神父様、わたくしははっきり申し上げますと今回の資金提供の件はとてもありがたかったのです。女が当主をして貴族社会の表舞台に立つということは非常識なことなのです。裏社会でもある婦人の集う夜会ではわたくしは陰口を叩かれてばかりで……。本当に苦しくて、でもわたくしは亡き主人のため、ローズのためにラスメリフ家を守っていかなくてはならないのです。神父様……」
 伯爵夫人はナックの顔を見て言った。
「今回のことは神父様から見ればわが家の地位を上げるためのあからさまな計画でしょう。ですが分かっていただきたいのです。ローズがいつかよき男性と巡り会え、そのときまではわたくしがラスメリフの名に恥じぬようこの家を守っていかなくてはならない事を」
「いえ、そんなこと……」
「失礼いたしました。神父様にお話しすることではありませんでしたね」
 伯爵夫人は笑った。
「ご結婚はなさらないのですか?」
「亡き主人はわたくしにとてもよくして下さいました。準爵ともいえる身分の低いわたくしを妻として娶って下さり、ローズの面倒まで見てくださいました。どれくらい感謝してもし足りません。そんな主人を忘れることなど未熟なわたくしにはできません」
「そうですか。誰かをひたと想うことはすばらしいことです。たとえ、それがこの世にはいらっしゃらない方でも」
「ありがとうございます」
 伯爵夫人はナックに微笑みかけた。それからクァイツは具体的にラスメリフ家を資本家として決めたようだった。定期的に資金援助をしてもらう代わりにヴァチカンから褒賞を贈ることとなった。
 褒賞はメダルのことで当時、それを受けたものはとても栄誉な事で、王からも褒賞をもらうことが確実になる。つまり、キリスト教でも国の中でも地位が上がるのと同じくらいの栄誉をもらえるのだ。
 男が当主ではないラスメリフ家ではキリスト教が盾となってくれるのだ。矢面に立たされないだけでもありがたいことなのだろう。ナックは伯爵夫人の気持ちが分かって、少し見直した。
「それでは定期的に活動資金の内訳でお教えできることがあれば連絡いたします」
 クァイツが言う。伯爵夫人はうなずいた。
 ラスメリフ家の馬車で帰ることになり、ナックはクァイツと二人きりになって今回の首尾を聞いてみた。
「あのお嬢さん、どうも匂うんだよね」
「……悪い人には見えなかったぜ?」
「ああ。でも、嫌な気が残ってた。……やつ等みたいな。もしかしたらご主人、普通じゃない死に方をしたのかもしれない……」
「死に方?」
「あぁ、だって考えてみてよ。あの人、若いよ。ナックにお若い神父様なんて言えるほどナックと歳はそう変わらないはずだ。化粧で誤魔化しているみたいだけど。ひっかかるんだよね」
「歳だけで? 考えすぎじゃ……?」
「幼い妹もいた。しかも家督は妹に継がせたい。意味が分からない」
「俺はわかるけどなぁ? 何がおかしいんだよ?」
「……よくわからない。でもあの家は何かおかしい」
 クァイツは長年の勘でそう判断しているようだった。