TINCTORA 007

020

「客だったのか。お前も友人がいないという割には、なぁ?」
 奥でくすくすと軽やかな笑い声がした。
「そんなこと言わないで頂戴。アーシェに対応の仕方を聞いたでしょう? しかも教会と接触を試みろって言ったのはアーシェよ。そんなに笑わないで」
「いや、今日とは知らなかった。知っていたら伺わなかったのだが」
「来てくれないと思って黙っていたの。ねぇ、わたくし、うまく話せていた?」
「あぁ。我が教えたとおりにな。緊張もさほどしなかったようだしな、上出来だ」
 ビナーはコーリィにそう言って笑いかけた。
「ねぇ、じゃぁ、わたくしにご褒美をちょうだい?」
「何を望む?」
「熱い抱擁とキスを」
 ビナーはくすくす笑いながら最初はコーリィに軽く触れるだけのキスを、次第に深く深く交わるキスを互いの体を密着させて長くしていった。それを柱の影からローズが睨みつつ見ていた。
「あぁ。もう、我慢できないわ。抱いて、アーシェ」
「まだ、キスだぞ?」
「アーシェが巧いのよ。ほら、ココ触ってみて。もう、熱く濡れちゃってる」
「変態だな」
 ビナーはローズに意味深な視線を送りつつ部屋の扉を静かに閉めた。お子様はここからは見学禁止だ。
 扉が閉まった瞬間にコーリィは大胆にもドレスの結び紐を解き、肩から一気にドレスを足元まで下げる。腰の紐を解いてコルセットを脱ぎ、下着を脱ぎ捨て一気に全裸になる。
 まだ日の高い時間なのでコーリィの白い肢体が光を反射する。ビナーはそれに何も言わずに特に反応もせず眺めるにとどまった。ただ見ているだけだがコーリィの頬は上気し、赤くなる。息が上がり、自らの手を胸に絡める。
「我をこのために呼んだのか?」
「えっ、ええ。あ……」
「自分で愉しむなら我は必要ないのではないか?」
「そんな、こと、なっい。アーシェ、に見られ、てる、から、ああぁん!!」
 自ら強く刺激しておきながら高く嬌声を上げるコーリィをビナーは呆れて見た。
「では、そのまま独りで愉しめ。我は今日はそんな気分ではない。野暮な男が見ている気がするのでな」
 ビナーはそう言ってため息を吐いた。
「やぁ、ひ、どい」
「案ずるな。我の代わりを置いていってやる。存分に、愉しめ!」
 ビナーはコーリィに術をかけるとコーリィを置いて部屋を出た。するとずっとそこにいたのか、ローズがビナーを睨んでいる。
「お姉様に何をしたの?」
「会話を盗み聞きか? レディのすることではないな」
「うるさい! お姉様は無事なんでしょうね!?」
「そんなに心配なら見に行ったらどうだ? その代わり幻滅するのはお前だと思うが? ……あぁ、それとも姉の喘ぎ声を聞いてお前も興奮するか? 家族は似るというからな」
 ローズは顔を真っ赤にして怒鳴る。
「黙りなさい!! 貴女がお姉様をあんな風にしたのでしょう!?」
「心外だな。我はあのような趣味は持ち合わせてはいない。誘ってきたのはお前の姉からだしな。ただ、我が受け身になるのはさすがに嫌だったので、付き合ってやっただけのことだ」
 平然と冷静に言い放つビナーに子供のローズは耐えられない。感情に任せて怒鳴るのみだ。
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!!!」
「レディは怒鳴るものではないぞ?」
 からかってビナーは嗤う。ローズはあまりの怒りに視界がちかちかした。
「……っ」
「勘違いするなよ。我は暇つぶしにお前たちの望む我を作ってやっているに過ぎない。コーリィにとっては自分の秘めた欲望を満たしてくれる優しいアーシェ。お前にとっては姉を堕落させた姉から遠ざけるべき敵。それを演じているに過ぎない。お前は我に去ってほしい、姉から離れてほしいならまずは自分の姉をなんとかすることだ。姉に二度と来ないでと言わせるのだな。そうすればお前たちの目の前に二度と我は現れないぞ?」
 ビナーは言った。ローズは泣きそうになりながら言い返す。
「無理よ! お姉様は、貴女が……」
「お前に魅力がないのだな。コーリィの中ではお前と我なら我の方が大事なのだろう。……悔しいか? では簡単だよ、ローズマリー。お前が我以上にコーリィを惹きつけるのだな。その成熟してない身体で」
 あまりの提案にローズは絶句する。
「コーリィは我を愛してなどいない。我の身体が欲しいだけだ。ならば簡単だろう? 愛などない肉体関係にはそれ以上の満足感を与えてやれば簡単に切れる。情などその程度のものだ。我にとってコーリィはさほど重要な人間ではない。お前の努力しだいだ」
 ビナーはそれだけ言うとその場から掻き消えた。ローズはビナーは普通の人間ではないと理解していつつも実際、その行動をとられると腰が抜けた。
 と同時にあのまま姉とあの女を接触させてはいけないと真剣に思う。
 魔女は人間を喰うと聴いたこともある。姉はあの女の思う壺で、今日も神父を呼び寄せていた。危険だった。
 そして、女の言ったとおりにしないと救えないのなら、と扉に手をかける。こんなときに女の言うとおりにする必要などないと他の方法を思いつけないのが、子供の哀れなところだ。洗脳されやすいのである。そして意を決し、ローズは扉を開けた。
 ――そして姉の本当の姿を見て、言葉を失う。

「大変意地が悪いな」
「お前が見ていたからだよ、コクマー」
 ビナーは肩をすくめた。コクマーはそれでも楽しそうにコーリィとローズを視て、いた。
「で、何か用なのか?」
「いや。ところで君はあのコーリィだったか、の姿を見て興奮を覚えるのかね?」
「全く。我は女だ。だから女を抱く趣味はない。しかしこれは遊びだ。我がどこまでその者の欲望を忠実に表せるかという、な」
「なるほど。で、あの姉妹が遊びの対象なのか。私はてっきり隠れた君の趣味かと……。で、君はこのあとあの姉妹をどうする気だね?」
「これで姉妹で近親相姦でもすれば面白いな」
「しかも、同性」
「そうだな」
「洗脳とマインドコントロールでかね?」
「ああ。人を操るのなんか簡単すぎてあくびが出る」
「では何故、そうするのだね?」
 ビナーは笑った。
「ケテルの言葉で言わせてもらうなら“したいから”だな」
「なるほど」
 それは答えになってもいない答え。しかし仲間内でこの言葉は十分に効く。理由なんか要らない。したいからするんだよ、とは彼らの主がいつも言う言葉だった。

「っつ!」
「くしゃみ?」
 マルクトがケテルに言った。
「みたい。風邪かな?」
「噂されてるんじゃないの?」
「かもね~」
 朗らかに会話をしていると、突然マルクトに引っ付いていたイェソドが離れた。
『氷結の魔女、日常に飽いて、双頭の蛇に遭う。一つの頭(かしら)は魔女に牙をむき、もう一方はそのカラダをくねらせて魔女を拘束せん。二つの顎(あぎと)に咬まれてはならぬ。互いに互いを食ませるべし。魔女の体、犯される前に双頭の首(こうべ)を引裂いて、離れた頭を影とすべし。さすれば大儀成就せん』
イェソドの予言だった。
「……氷結の、魔女って……ビナーのこと?」
 マルクトが聞くとイェソドは分からないと首をかしげ、ケテルは眉を寄せた。
「ビナーの影が見つかるのか……。でも、この前も誰かの影が見つかるみたいな予言してなかった?」
「うん。イェソドの予言はイェソド自身も覚えてないからなぁ。双頭の蛇、ねぇ……」
 イェソドはにこにこと笑っている。
「ま、ビナーなら心配はないだろうけどね」
「そうだね。彼女は理解能力に長けている」
「ケテルが心配してるのはティフェだけでしょ?」
 マルクトが笑ってケテルをからかった。ケテルは苦笑する。
「そのティフェは大丈夫かね? もうすぐ出発でしょ?」
「時間にしっかりしてるから大丈夫かな?」
「そうじゃないよ。愛しい猫と分かれてお互いに大丈夫なのかって聞いてるのさ」
 ケテルは首をかしげる。
「ネコ?」
「そ、寝る子と書いて寝子(ねこ)。ケテルとティフェの関係」
「失礼だなぁ。僕はちゃんとティフェを愛しているよ?」
「普通は愛している人間を所有物なんて言わないものだからさ」
 ねー? とイェソドに問いかける。何も分かっていない彼女は一緒にねーと言った。
「僕は欲が強いんだ。知ってるでしょ? 愛するだけじゃ足りないんだよ」
「総てが欲しいワケね。じゃ、もっと大事にしてあげなよ。このままじゃ壊れちゃうよ?」
 マルクトは真剣に言い聞かせる。
「大事に扱ってるつもりだけどなぁ」
「どこが? あの女が来てからティフェは弱ってる。あの女とティフェを接触させるのはどうかと思う」
 ケテルは余裕で笑って言い切る。
「あの女?」
「ごまかさないで。ティフェの影だよ」
「あぁ、キラね。マルクトは徹底的に彼女が嫌いだねぇ?」
 ケテルの問いにマルクトは嫌悪感を露にして答えた。
「ってか、あの女好きなやついるわけ? あの女、ティフェの影だからよけいムカつくんだよ」
「ティフェとあまりにもかけ離れてるから?」
「そうだよ」
「どうかな? 彼女はティフェの影なんだ。確かにティフェは綺麗。心も体も。でも本当にそうなのかな? 僕らが勝手に思っているだけでティフェだってあの女と同じくらい醜いかもしれないよ?」
 マルクトが目を見開く。
「信じられない。ケテルがそんなこと言うなんて……。ティフェを一番知っているのはケテルでしょ? そのケテルがどうしてそんなこと、言うのさ」
「確かに一番知っているのは僕かもね。だけど、僕に見せているのが本当のティフェとは限らない」
「じゃ、ケテルはティフェがボク等に偽りの姿を見せているとでも?」
 マルクトはケテルを睨んで訊く。
「そうとは言ってない。マルクト、考えてみてよ。ティフェは僕らにとってあまりにも不確かな存在だと思わないか?」
「……え?」
 マルクトは睨んでいた目を当惑の表情に変える。
「僕はティフェを奴隷市で買った。彼の瞳に惹かれてね。その時彼は何も知らなかったんだよ? 自分のことでさえ。そして自分が売られていることには何も感じなかったんだ。どうしてかって訊いたらね、気に入らない奴だったら殺すから関係ないって言ったんだよ。……こう感じたことはない?」
 マルクトは先を促す。
「ティフェは人形みたいだって」
「……そっ、それは……」
「ティフェが綺麗な理由の一つはこころがないからだ。生命がかりそめの物だからさ。僕はね、キラ、彼女に期待しているんだ。人形という殻を壊してくれるんじゃないかって。僕は壊れちゃったティフェに息を吹き込んで生命を灯らせてみたいんだ。どうなるか、たのしみじゃない?」
 マルクトは長く息を吐き出した。ケテルの目はこれから起こりうることに期待している。
「勝手にしたら? どうなっても知らないんだから。それがティフェの美しさを失うことになっても、ね」
「あはは。そのときは僕がどうとでもするよ」
「ティフェを捨てるようなことだけはしないでよ。じゃなきゃ、ボク、君に協力なんかしないから」
 釘を刺す様にマルクトが言う。
「大丈夫だよ。ティフェは僕が嫌うくらい醜くなんかならないね」
「どうして?」
「僕はそう願うから」
「意味わかんない」
 マルクトはため息をついて呆れた。ケテルはニコニコ笑っている。ケテルは本気でティフェのことを暴こうとしている。そのためにはティフェが苦しんでも、いいんだ。
「ボク、ケテルのこと好きだけど、こんなときよく分からなくなる。ボクは君の裏であるはずなのに」
「ん?」
 イェソドにちょっかいをかけていたケテルはマルクトに向き直る。
「悩むことはない。いつか分かるときがくるよ。君たちはまだ未熟なんだ。この世をまだまだ知らない。わからなくていいんだよ」
「ケテル、ケテルは……」
 そのとき、女の悲鳴が響いた。キラのものだった。
「ほら、爆発しちゃった!」
 マルクトはいままでの雰囲気を気にせず、音のした方を向いた。その方向にある部屋にはティフェがいるはずだった。

 キラはこの屋敷に来てからずっとティフェレトだけを見続けてきた。間近で視れば見るほど美しくて、触れたくて声を聞いていたかった。
 しかし、ティフェレト自身がそれを許してはくれなかった。ケテルはキラに約束してくれた通りにキラをティフェレトのメイドにしてくれた。
 ティフェレトの身の回りをきれいにする。食事はティフェレトの世話をする。声をかければティフェレトは短いけど答えてくれた。だが、触れることだけは許してはくれなかった。触った瞬間に激しい拒絶を受けた。キラにはそれが耐えられなくて触れることだけはしなかった。
 ティフェレトが夢とは違い、自分を避けているとは気づいていた。今日もそうとは知りつつティフェレトのいる時間に掃除に現れた。そこでびくびくしつつ声をかけてみる。ティフェレトはキラと眼を合わさず答えた。
「あ、あの……。ティフェレト様は私のことが、嫌いですか……?」
 掃除用のモップをもったままさりげなく尋ねた。
「……うん」
「そ、そうですか。……じゃ、じゃあ、こうしてお掃除に来ることも、ご迷惑ですか?」
「別に」
 この会話の間、ティフェレトはキラを見ようとはしない。
「私の、どこが嫌いですか……?」
「どこって……なんとなく」
 会話が長続きしない。焦りが増す。
「あ、あの。夢を覚えていますか?」
「夢?」
「はい。私がみんなの血に、いえ悪夢に追われているとき、私始めて貴方に出会いました」
「覚えてない」
 覚えていないと言われて愕然とする。だから感情的になってしまって言ってしまった。
「次の夢で貴方は私に触れたいなら仲間になれって」
「知らない!」
 声を荒げてティフェレトが叫んだ。
「私は仲間になりました! お願いです、貴方に触れたいんです」
 キラも負けずに言う。この人を目の前にすると抑えが効かない。
「い、いやだ……」
 ティフェレトが今日はじめてキラを見る。おびえたように一歩後ろに下がる。
「私のどこが嫌なんですか? そこまで嫌う理由を教えてください」
 キラはティフェレトを視線で縛る。ティフェレトは簡単にキラに腕を取られた。顔がゆっくりと接近していく。
 ティフェレトは焦点の合わない瞳でキラが近づいてくるのを見ていた。黒い髪と青い眼が近づいてくる。ピントが合わないがそれくらいは分かった。
(何が嫌なのよ? 理由を言わなきゃわかんないよ?)
 ティフェレトの頭の中で別の声が響く。頭に激痛が走る。
「うっ!」
「ティフェレト様?」
(***?)
 頭の中が真っ白に染まる。目の前にいるのは自分の影。知っているはずが、何……。
 意識が混濁していく。
 ――なに、これ。――
(馬鹿だな、***。お前が知ってるわけねぇじゃんよ。比べるなって)
 頭の中で複数の声が響く。と同時に何かが靄がかかったように見える気がする。
 ――これは、なんだ?――
「ティフェレト様!! どうなさったんですか?」
 キラの声で意識がはっきりしていく。
「……お前、チガウ……」
 ティフェレトは焦点の定まっていない眼でキラに言った。
「違うって何がですか?」
「確かに、長い黒髪だった。……だけど、青い眼じゃ……なかった」
「え?」
「誰だ……?」
 そこでティフェレトの意識が完全に覚醒する。はっきりした頭で何を言っていたかわかるのに何を考えていたかがわからない。さっきのイメージも思い出せなかった。
「ぼくは……何を?」
「ティフェレト様?」
 ティフェレトは心配のあまり自分に触れていたキラを突き飛ばした。
「あうっ!!」
 キラがあまりの痛みに悲鳴を上げる。しかしティフェレトはキラに
「触らないで!」
 とだけ言うと部屋から出て行った。キラは痛みにより、また拒絶された悲しみとティフェレトが他の何かに捕らわれてしまった悲しみに涙した。
「……どうして、私を拒むの? 誰と私を重ねているの……?」
 キラは今日のティフェレトの発言でキラを嫌う理由にティフェレトの過去と関係があると思った。すなわち、誰か他の女の影を自分に見ている、と。