TINCTORA 008

025

 ナックは月が出てくるのを待っていた。いや、正確には月が出てくる時間を待っていた。日暮れから三時間。夜の空には星が光っている。それは月が出ていないからだ。今夜は新月。本当にあのティフェレトが約束を守るなら、今夜キラに会えるはずだ。
「すいません。ちょっと出てきますから」
「んー。わかったけど、明日はケゼルチェックに向けて旅立つんだから体を冷やすなよ」
「はい。たぶん、一時間くらいで帰ってきますんで」
「わかった」
 ナックは同室のゼルヴンがナックを見ずに言った。この様子ならばれるはずはない。
 ナックはゆっくりとただ散歩のように歩いて教会を出、教会が見えなくなると走り出した。一刻も早くキラの安否を確かめたくて。夢中で走った。
 そうしたらすぐに今は当主がいない貴族の屋敷の門が見えてきた。貴族の当主がいないせいか門番は立っていない。光も漏れていない。人はひっそりと裳に服しているのだろうか。それともいないのだろうか。
 ナックは息を整えて何処から現れるかわからない敵とキラを待っていた。ナックが待っている間も何か考えている間もないまま、小さな足音が響いた。
「ナック!」
「キラ!!」
 ティフェレトの腕に抱かれてキラがナックに笑った。
「約束を、守ってくれたのか……?」
「君こそ」
 ティフェレトは力なく微笑んで、ナックとキラから少し離れた場所に佇んだ。少しの間自由に話させてくれるらしい。
「キラ、無事だったんだな? 何か変な事とか辛い事とか、されなかったか?」
「平気。私はね、ナック。今、とても幸せ。わかる? ティフェレト様がいて下さって、逃げることも飢えることも野宿の心配も何もない。気を遣わなきゃいけない人もいないし、自由なの。とても幸せ、だからナック……」
「キラ」
 キラの言葉を遮ってティフェレトが遠くから言った。二人でティフェレトを振り返る。
「君は言ったね。人を好きになるのに理由なんか要らないと。人を好きになるのには理由は要らないかも、しれない。……でもね、兵器を好きになるのには理由がいると思うよ」
「え?」
 キラとナック同時にわからない顔をすると困ったように苦笑した。
「ぼくは人間じゃない。兵器……だと思うし、その前にケテルの所有物だから。君の望む居場所はぼくの元にはないんだ。君はもう、居場所を持っているじゃないか。ぼくにはそれが、少し羨ましいな」
「そんなことないです!! 私は! 私は!!」
 ナックはティフェレトの思わぬ発言を信じられず、思わず見つめてしまった。
「ナック・ヴァイゼン。今しかないんだ。ぼくが一人なのは。今なら逃がせる。だから……」
「返してくれるのか!?」
「君は約束を守った。ぼくらは信じあえた。ならぼくは今度も信じられる。キラはぼくの元にいる人間じゃない。君が傍にいて、居場所を作ってあげなくちゃ」
「あ、ありがとう!」
 ナックは初めてティフェレトを信じられた。
「礼は言うべきじゃない。君の居場所をことごとく奪ったのはぼくの仲間だよ。次に会うときは、敵だよ」
「あぁ」
 ティフェレトがそう言って泣くキラに優しく、しかし力強く項に手で衝撃を与え、気絶させるとナックに頷いた。
「さあ、行って」
 ティフェレトがそっと言った瞬間、
「甘いな、ナック。異端者に慈悲を与えることはない。慈悲は神のみがお与えになる」
 突然、背後から声がした。ティフェレトは静かにその方向に向きなおる。
 ナックは愕然として辺りを見回す。木々の陰からクァイツとジュリア、エロヒムが姿を現した。
「ど、どうして!?」
 ついて来る気配は微塵も無かった!
「やっぱりね」
 ティフェレトは最初から気付いていたようだった。当然のようにクァイツと相対する。
「気付いていたなら何故、キラさんを返してきた? 人質とすることは可能だろうに」
「彼は嘘をついていない。勝手についてきたのは君たちだ。彼は約束を守ってる」
「なるほど。意外と紳士だな」
「君たちは神の使徒の割には、紳士的じゃない」
 クァイツがティフェレトに銃を構える。それをサポートするかのようにジュリアとエロヒムが並ぶ。
「文句言わないでよね。あんた男だって言うじゃない? この目で見て信じられないほど綺麗だけど、婦人として扱って欲しくて綺麗なわけじゃないんでしょう?」
 ジュリアが笑って言った。
「待ってよ! 俺は! こんなことをするために約束したんじゃ!!」
「ばれてないとでも? われ等異端審問はね、新たな同志にはスパイの疑いを常にかけている。ゼルヴンが君と彼の約束を教えてくれたよ。ま、君の目的は最初からキラさんだったわけだし。君に罪はない。さぁて、ティフェレト、と言ったか。一人でも捕まえれば吐かせるのはたやすい! おとなしくしたまえ!!」
「3対1よ。抵抗するだけ無駄だと思うわ?」
 ティフェレトは表情を変えずに三人を見つめ返した。
「勝つのは無理かもしんないね。でも速さではぼくに敵わない。ぼくは逃げ切るよ。決して捕まりはしない!」
 ティフェレトが言うとクァイツが言い返す前に新たな声がした。
「勝つのは可能さ、だって俺がいるもの」
 ティフェレトの隣に空から着地する赤目の男、ゲヴラー。今度はティフェレトが信じられない顔つきをした。
「ゲヴラー、どうして……?」
「フン、貴様とてこの状況を予想しなかったわけでは無さそうだ。仲間がいたとはな」
 クァイツの言葉に反応しないティフェレト。代わりにゲヴラーが答えた。
「お前らと一緒で俺も勝手にくっついてきたんだよ。ティフェに」
 ゲヴラーが余裕の瞳で挑発した。
「ティフェ。ケテルが言ったのか? お前に。影を捨てて来いって」
「……捨てる!?」
 ナックが気を失ったキラが帰ってきた訳を想像して怒りがこみ上げる。
「ケテルは何も。ぼくが勝手に。それよりなんでわかったの?」
「お前が一人で移動する時は窓から出て行くじゃないか。めったに使わないお前の部屋の窓が開いていたら誰だって何かあったと思うのが普通だ。ティフェ、お前はあの影が怖い。だからと遠ざけたかった。そうだろ?」
「ぼくは……」
「ケテルの邪魔は許さない。例え、お前でも。影は取り戻すぜ?」
 それを聞いてクァイツがナックに叫んだ。
「何をしている!? せっかく、戻ったのだ! 早く教会へ!! でなくば、また奪われるぞ!!」
「お、おう!」
 ナックは気を失ったキラを抱えてきた道を走って戻り始めた。
「チッ!」
 ゲヴラーがそれを見て舌打ちすると当然のようにナックを狙う。
「だめだ!!」
 ティフェレトがゲヴラーの腕を掴んで阻止する。信じられない様子でゲヴラーがティフェレトに怒鳴った。
「言ったはずだぞ!! ケテルの邪魔は許さないってなぁ!!」
「だめなんだよ! 何となくだけどあの少年は殺しちゃいけない!!」
「何、わけわかんねーことを! ティフェ!!」
「キラも同じ! ぼくの側にいちゃいけないんだよ!!」
「いいかげんにしろよ、ティフェ! お前、わかってんだろうなぁ……」
 赤い目が殺気を噴出す。対するティフェはその目を逸らさない。
「仲間割れとはいいことだ。そのまま二人まとめて捕縛させてもらう!!」
 クァイツの言葉に従ってジュリアとエロヒムは動く。三連弾の発砲音が響いた。その刹那に狙われた二人が同時に動く。どちらも銃弾が発砲されてから回避できる異常な身体能力で散り、離れる。
「エロヒムは赤目の男を! ジュリアと私でこの男をやる!」
「了解!!」
 見事な連続攻撃で一瞬のうちにティフェレトとゲヴラーは離される。
「ゲヴラー!!」
「ティフェ!!」
 名前を呼ぶものの互いの傍には行けない。クァイツがティフェレトに向かって銃を発砲する。ジュリアがその間にティフェレトの回避地点に回りこむ。
 ティフェは回避してジュリアの意図に気付き、急いで方向転換する。その瞬間にその方向を読んでいたかのようにクアィツが剣を突き出してティフェレトの腹を狙う。
 ティフェレトはそれを見て息を呑み、一瞬の判断で身体を縦に回転させる。その位置からいきなりの動きに今度はクァイツが驚く。
 舞い上がった足は片足で砂を巻き上げ、もう片方クァイツの剣を蹴っ飛ばした。
「くっ! 目潰しとは!!」
 そのまま鮮やかに後方に着地。ティフェレトは何もなかったかのように悠然と立ち、二人を眺めた。
「速いわね」
「あぁ、気を張っていたナックが予測不可能に攻撃されたのを見ている。あいつは速い。移動速度が目で追えるということは、本気を出していない証拠だ」
 クァイツは隙無く構え、ジュリアに注意を促した。ティフェレトはゲヴラーと違って戦闘中に相手を挑発することも無ければ、気を抜くことも無い。
 まるで訓練された軍人のような構え。でも人間ではありえない速さ。今、自分たち、異端審問が相手にしている相手は未知数が多すぎる。
 クァイツの思考を呼んだかのように、ティフェレトの姿が掻き消える。
「来るぞ!!」
 クァイツがジュリアに叫んだ。ジュリアは構えを崩さない。ジュリアが無事なら狙われているのは自分だろうか。しかし黒い姿は視界に映りもしない。一体何処にいるのか。視覚だけでなく、聴覚を使っても捉えきれない。しばらく気を抜かずにいたが攻撃の気配はない。もしや……。
「逃げられた……」
 こちらが一回戦闘を見ていたことを逆手にとって自分たちを完全に撒いたのだ。
「ジュリア、エロヒムの元へ行くぞ!」
「まぁ、エロヒムは強いから大丈夫だろうケド。それにゼルヴンがあそこで捕縛術式を用意しているはずだもの。赤い目の男は逃げられない!!」

 ゲヴラーはそこら辺に武器が落ちていなかったので、素手で戦っていた。まぁ、こんな貴族の家の前に普通は武器なんて落ちてはいない。
「お前、珍しいな。その目! 俺と同じなんてよ」
「あぁ、俺だって信じられない。神に感謝したい気分だ」
「なんで!?」
 戦闘を続けながら、ゲヴラーは問う。この男、何かが違う。何か変な感じがするのだ。自分は素手で剣と戦っているのに驚きもしない。普通は少なからず、驚いたりしてるんだが。
「気付かないのか?」
「何を!!」
 ゲヴラーはそう言いつつ次の手を瞬時に考える。そして最も有効な手段を編み出し、実行する。すなわち、相手も素手にすればこの無駄に感じられる手刀と剣の長い打ち合いも終るだろうと。
 ゲヴラーは普通ではないから件の打ち合いをするのにも刃はいらない。自分の手だけがあればいいのだ。自分の身体こそが最高で最大の武器。それを利用して相手の剣を直接握ると、力を加える。すると常人ではありえないことに剣がまるで飴細工のようにぐにゃりと30度に曲がった。
 相手がそれを見て一瞬ひるみ、剣を手放すまでの一瞬を逃さずに、手刀をのど元に突き出す。
「チ!」
 攻撃は敵の刹那の判断で避けられ浅く首の皮を何枚か切っただけだった。それでも血がどばっと噴きだす。真っ赤な鮮血の向こうで、相手が笑っているのが見えた。本能的な危機感に従って飛び退る。
 が、間に合わず、白い手がゲヴラー向かってありえない高速で迫る! ゲヴラーは目を見開いて、しかしその腕に逆らえず、呼吸が詰まった。首にありえない圧迫を初めて感じる。
「ぐっ!」
 ぎりぎりと首を絞められ、呼吸ができずに喘ぐ。辛うじて保てる意識で相手をそれでも睨んだ。
「わからないか? お前の強さは俺の前には無力だ!!」
「う……る、せぇっ」
 ゲヴラーの頭の中であの夢が再び流れ出す。
 ――死ぬのか? 夢のようにあっけなく、この俺が!!
 ――死ぬ!?
 口から知らずによだれが垂れる。このまま意識を失うのもそう遅くはない。
 ――死んでたまるか!!
 力を振り絞り、意識を首でなく、両手に集中して腕を切り落とすつもりで爪を食い込ませた。
 血が勢いよく噴出す。そのまま嫌な音を立てて赤い血があふれる傷口に爪をめり込ませる。白い皮脂を突き破り筋繊維を切り裂いて、それでも進むことをやめない。そして固い物に突き当たり、構わず力を込める。
 めし、めしと相手の骨がきしむ音がした。その瞬間に相手の力が緩む。それを見逃さず、脚を思いっきり前へ伸ばし、相手を蹴り飛ばす。その瞬間に腕にめり込ませていた指を曲げ、相手の筋繊維をもぎ取ることを忘れない。
 ぐしゅっと嫌な音がして血がまた派手にあふれる。
「ごほ、ごほっ!」
 呼吸を急速に再開して、急激に酸素が頭に回り頭が一瞬白くなる。それを気で押さえつけて、相手を睨む。わざと笑って手の中にある腕の肉片を放り投げた。
「さすが。それくらいでないと奪う意味が無いな」
 血を首と両腕からダラダラ流しながら笑って相手が言う。
「何だと? 奪うだぁ?」
「そうとも。わからないか? 俺が」
「はっ! てめぇなんか興味ねぇ」
「そういうな。キボール・ゲヴラー」
 その名を呼ばれた瞬間にゲヴラーが目を見開いて固まった。
「少しは興味を持ってもらえたようだな」
「テメェ、なんでその名を……」
「唯一の同胞にテメェはないだろう。名前で呼べよ。俺はエロヒム・ゲブラーだ」
 そう言われると、ゲヴラーは止めていた息を吐き出し、険しい顔つきになった。
「なるほどな。道理で……。お前も人間じゃないとはな。俺と互角なわけだ」
 ゲヴラーは笑うと、また構えなおした。
「じゃ、続きと行こうぜ? まさかその程度でやめるわけじゃないだろ?」
「もちろんだとも。しかしその前に聞かせてくれ。何故、お前はその力を正しく使おうとしない? わが半身よ」
「はっ! 聖職者らしい問いだな。俺は人間がだいっ嫌いだからさ」
 ゲヴラーは鼻で笑って理由を言った。
「お前はまだ若い。まだやり直せる。俺と共に来い! 弟よ!!」
「弟だぁ!? ふざけんなよ。人間のために働くくらいなら人間のためにノアの洪水でも起こしてやるよ!」
「残念だ。私と共に歩むなら、その力奪わずにおこうと考えていたものを……」
「はぁ?」
 その答えに心底辟易した様子のゲヴラーに突然凄まじい頭痛が襲った。
「がっ!!」
 ゲヴラーは痛みに思わず、座り込んだ。その瞬間に青白い光が魔方陣を描き、ゲヴラーの下で光る。
「こ、これは捕縛術式!!? てめぇ、用意してやがったな!!」
「そうだとも。最小限のリスクで捕らえたいからね」
 動けないゲヴラーはそれでも口は動く! 一気に術式に抵抗するべく自身の魔力を解放する。ゲヴラーの額から深紅の光が文字を形成してゲヴラーの身体の表面を流れていく。
 ゆっくりではあるがその文字が流れていくごとにゲヴラーの身体が徐々に自由になる。それに抗うように足元から青白い光が文字を形成して立ち昇る。
「む。術式も応用できるのか……」
「才色兼備なんだ」
「残念だな。俺もそうだ」
 エロヒムは指をゲヴラーの額に当てると同じように朱色の文字が流れ、ゲヴラーの術を無効化にしていく。
「クソ! てめぇ!!」
 ゲヴラーに焦りの色が見えたとき、背後で悲鳴が上がった。その次の瞬間に黒衣がエロヒムの片腕を切り裂く! 腕はまるでおもちゃのように赤い軌跡を残しながら高く飛び、ずっと後ろの方でどすんという音を残した。
「ティフェ!!」
 エロヒムの術の干渉が消えたのと、術者が術を中断したため、ゲヴラーの身体が自由になる。がくりとゲヴラーが肩を落とし、立ち上がった。
 ティフェレトは構えずにエロヒムを見下している。今度、焦るのはエロヒムの方だった。
「貸しね」
「うるせー。でもサンキュ」
「さぁて、形勢逆転だな! どう殺される?」
 エロヒムは何の感情も映していない人形のようなティフェレトを見た。
「貴様! 長官とジュリアをどうした!?」
「殺したのか?」
 二人から同時に問いかけられ、それでもティフェレトは一つの答えを二人に返した。
「殺してない」
「なんだよ~。余裕じゃんかぁ」
 ゲヴラーの声にティフェレトは頷きつつも、言った。
「好んで人を殺す趣味はない。殺す必要はなかった」
「では! ゼルヴンは!? 生きているのか?」
「あぁ。術者? アレは殺した」
「何故??」
 エロヒムが怒鳴った。
「物理的に敵わない攻撃と捕縛を術は可能にする。危険因子は可能性があれば排除。君たちだってそうでしょ?」
「実際、俺その捕縛術式受けてたしなぁ」
 笑うゲヴラーにティフェレトは何もしない。しかし次の刹那、ティフェレトは背後を振り返る。
「な! 新手かっ?」
 エロヒムは分が悪いのを見て取り、一瞬で退却する。ゲヴラーはそれを見て、仕留めそこなったと唇を噛んだ。
「何で来た?」
 戦いの邪魔をされてゲヴラーが侵入者を睨む。相手はしれっとして答えた。
「上官の出撃には付き合うのが当然ですから」
 テットがギメルを連れて言う。ティフェレトはギメルを睨んだ。
「そういえば、ティフェレト様、ルーシ嬢がいらっしゃいませんでしたよ? 貴方様とお出かけになられるのを拝見いたしましたが、いずこに?」
「俺、見たけど、神父に連れ去られたよ?」
 テットが言った。ゲヴラーとティフェレトに口を挟ませず、ギメルが言った。
「あら! まぁ。彼女は計画に重要なのでしたね。セフィラの役目にありながら敵に奪われるとは! 責任重大ですわね。このことはケテル様にご報告させていただきますよ?」
「それが、狙い……」
 ティフェレトが相手の思惑を知って、歯を食いしばった。
「聞いたところによれば、貴方様が勝手にルーシ嬢を持ち出し、逃がしたんだとか? あらら。言い逃れなんて不可能ですわね。反省した方がよろしいのでは?」
「ぼくを貶めて、たのしい……?」
「ええ。もちろん。奴隷に戻れってところですかね?」
 その言葉に反応したのはゲヴラーだった。
「これだから、人間は……!! てめぇら、簡単に死ねると思うなよ」
「おおっと! 勝手にケテル様から頂いた部下を殺していいと思ってるんですかぁ?」
 テットが笑って言うとゲヴラーが言い返した。
「死因位なんとでもなるしなぁ?」
「貴方の上司は殺人狂みたいね。今日のところは引きましょう?」
「そうだな。自分が死んじまったら元も子もない」
 ギメルとテットはそういうと速やかに去っていく。ゲヴラーがその後姿を射る様に睨み、唸った。
「ぜってー、殺してやる!!」
「いいんだ。ゲヴラーだって言ってたじゃないか。ぼくが悪いんだから。怒られたらそれは、ぼくのせいだし……」
「……ティフェ」
「帰ろうか」
 ティフェレトはそう言ってゆっくり歩き出した。
「本当にそれでいいのか!? お前だってわかっているだろう? あいつらは帰ったらおまえの事をあることないこと全部、言うんだぞ! で、お前は貶められる!」
「貶められてぼくはどうなると思う? 誰かに殺されるのかな? ぼくを殺すことができるのは、ゲヴラー、君と……ケテル。それに魔術師だけ。殺すほうがリスクは高い。ホドはそんなことはしないよ。ぼくが恐れているのはケテルの反応。ケテルがどうするかだけ。……そろそろ理解してもいい頃だと思って。ぼくのケテルの中での……価値を……」
 ティフェレトは静かに言った。
「聞いてもいいか?」
「なに?」
「お前の恐怖とは、何だ?」
 ゲヴラーの問いにティフェレトは少し悩んで、答えた。
「……自分が変わってしまうことだよ」
「死ではないのか?」
「うん。死ぬことは怖くはない。今生きていることがぼくにとってはあまり理解できることじゃないから」
「そっか。……じゃ、お前は、ティフェは、死ぬこと、無くなる事が怖くないというなら、死ぬ事はそんなにたいした罰にはならないんだな。じゃ、安心しろ。俺はお前を殺さない。もし、ホドが今日のことでティフェを殺せって俺に言ったら、ホドを返り討ちにしてやるからな。ははっ!」
 ティフェレトは振り返って笑った。
「ゲヴラーはぼくを殺さない。最初からそう思ってたから」
「信用あるのなー」
「うん。ゲヴラーはぼくを乱すことはないから」
 ゲヴラーがティフェレトを見た。
「じゃ、今回あの女を連れ出したのは、お前を乱す存在だったからか?」
「違うよ。本当はね、ただ会わせてあげようと思ってたんだ。あの……ヴァイゼンって子があまりにも人間らしくて。でも会ったらほんとうにキラが大事なんだなってわかっちゃって……。キラにとってもこれからあの子の想いを受け取れないぼくといるよりは想ってくれる人間の傍にいたほうがいいと思ったんだ」
「それがキラの幸せだってどうやってお前は理解したんだ?」
「キラの幸せかどうかはぼくにはわからない。……でもね、あの行動は人間らしい行動じゃないかって思ったから」
 ゲヴラーはその答えをゆっくりと聞き取った。
「ティフェ、お前は何だ?」
「うん。ぼくが教えてほしいんだ。ぼくが何かを……」
「……そうか、お前も人間じゃないのか」
「どうなんだろう?」
 ティフェレトの弱々しい笑みが印象に残った夜だった。