TINCTORA 010

034

 翌日ゲヴラーの見舞いに現れたのはティフェレトだった。
「よかった。顔色はいいね」
 ティフェレトが微笑む。彼は自分が瀕死の間にケテルと仲直りしたらしい。
「びっくりしたよ。ゲヴラー強いのにまさかゲヴラーが血みどろなんて」
 くすくす笑いつつティフェレトが言った。
「うるせえな」
「ケテルと喧嘩したんだって? ケテル、すっごく落ち込んでたよ」
「喧嘩、なんてしてねぇよ」
「ふーん。そう。で、原因は?」
 ティフェレトはあくまで普通に聞いた。なのでゲヴラーもなぜか弱みを見せたくないはずなのにすんなりと相談できた。
 ゲヴラーは自分が死ぬ夢のことを話した。すると笑い飛ばして
「ゲヴラーが死ぬなんてありえないよ」
 と言った。
「なんで? 俺、実際死にそうになって帰ってきたじゃないか」
「でも、実際死ななかったじゃない。負けたかもしれないけれどね。死ぬことと負けることは違うよ」
「それはマルクトが助けてくれたからで……」
「別にいいんじゃないかな。この前だってぼくはゲヴラー助けてあげたじゃない。そんなに違わないよ」
「……ま、そうなんだけど」
 ティフェレトは借り、と笑った。何をさせたいんだ??
「お前さ、自分が偽者って言われたらどうする?」
「さぁ……。ぼくは自分がもともと何が知らないからね。そうですかって言うしかない気がするよ」
「偽者だぜ? 腹立たないか?」
「偽者って言われても、なんに対して偽者なのかわからないとね、腹立つも何も……」
 ゲヴラーはもっともな事を言われたので、もう少し条件を与えた。
「例えば、自分をそっくりなヤツがお前は偽者だって言うんだ。でそいつが本物って言うわけ」
 しばらく考えて、ティフェレトは答えた。
「それでもそうですかってぼくは言うと思うな」
「何で?」
「だって本物がいても、ぼくが偽者でも、関係ないと思うんだ。ぼくがその人の偽者だったとして、何かしなきゃいけないなら別問題だけど、ただそういわれたなら普通に暮らせると思う。だって、ゲヴラー、ぼくがそのぼくとよく似た人にぼくが偽者です、って言われて軽蔑したり、嫌いになったりする? ぼくへの態度は変わる?」
「いや。そんなことはない」
「でしょ? ぼくは自分が今生きている世界がとても狭いから、ぼくの世界の人がぼくを好きでいてくれればいいよ。それだったら偽者でも構わない」
 ゲヴラーははっとした。自分が好きだと思う人が好きでいてくれればいい、のか。何てシンプルで一番大切なことだろう。
 そうさ、関係ないじゃないか。俺が何者だろうが、神が何をさせたかろうが。
 俺は自分を好きでいてもらいたかったんだ、母さんに。
 今はそれがケテルやティフェ。
 彼らは自分が人間でもネピリムでも何でも俺が変わりさえしなければ、今までと同じくらい好きでいてくれるんだろう。重要なのは、君がなんであろうとするかってケテルも言ってた。
 人間かどうかなんて最初から考えなくてよかったんだ。楽しいことを楽しいって感じられるんだ。いいことじゃないか! 俺が俺で在れる理由なんて、はっきりしてなくたっていいじゃないか。俺が俺を信じていれば。
「お前、サイコーだよ。ティフェ」
「え? どうしたの?」
 抱きつかれながらもティフェレトは笑った。
「ティフェ、ケテル呼んでくれないか?」
「いいよ」
 ティフェレトはしばらくしてケテルを呼んできた。ケテルはゲヴラーに言ったことを多少後悔しているらしく、部屋に入っても何も言えずにいた。
「ケテル、聞きたいんだ」
「何を?」
 ゲヴラーはもう一回問うた。
「俺は偽者なのか?」
「……ごめん。考えたんだけど、僕はこの前言ったことと考えは基本的に変わらない。……何と答えれば君は満足するの? その通りに答えてあげる」
 すまなさそうに言うケテルにふっとゲヴラーは笑みを零した。
「ケテル、自分が死ぬ夢は自己変革の証なんだよな?」
「……うん」
「例え、俺が変わってしまったとしても、お前は俺を好きでいてくれるか?」
「ああ」
 ケテルは強く頷いた。そしてゲヴラーの目を見て真剣に言った。
「君が変わっても、僕は君が好きだよ」
 ゲヴラーはにっこりと笑って、ケテルに口付ける。驚いた証拠にケテルの空色の瞳が見開かれた。これは親愛のキス。ティフェレトとケテルがするようなものじゃない。だからすぐに離した。
 自分でしたのになぜか照れくさくて、ゲヴラーは顔を背けて笑い、ベッドから出た。
『お前に、一生の変わらぬ忠誠と信頼を、エーヘイエー』
 ゲヴラーは跪いた。ケテルが驚いてゲヴラーを見つめ返す。立ち上がって、ゲヴラーは笑った。
「行ってくる」
「い、行ってらっしゃい」
 ケテルは慌ててゲヴラーの後を追った。しかしその姿はもう消えた後で、ケテルはしばらく考え込んでサロンに向かった。サロンからティフェレトが上手くいった? と目で問いかけていたが、それには答えずケテルは命じる。
「ティフェ、ゲヴラーが影と戦いに行った」
「うん、それで?」
「ゲヴラーより先に行って、彼と戦ってきてくれるかい?」
 ティフェレトは少し驚いて、ケテルに言う。
「い、いいけどぼくはゲヴラーより弱いよ。勝てないかも」
 ケテルはティフェレトの頭を撫でながら言い切った。
「勝つ必要はないんだ」
「え? 何で?」
「君は火種だよ」
 ティフェレトが不思議そうな顔をしているので、ケテルは続けた。
「ちょっと心配だからね。君はゲヴラーを本気にさせるための火種だ。ああ見えていい子だからね」
 悩みを自分なりに吹っ切ったとは思うのだが、相手が影ならどうなるかわからない。ケテルの仲間で影を手に入れているのはティフェレトとケセドのみ。しかも相手を屈服させたのはケセドだけだ。
「それと、イェソド、マルクト」
 サロンのソファの上でじゃれ付く猫のように絡まっている二人に声を掛ける。二人同時に顔を上げて、同じ表情でケテルに何、と目で問うていた。
「マルクトはゲヴラーの向かう場所がわかるね?」
「まぁ、なんとなくなら」
「彼を迎えに言ってくれないか? ……彼はゲヴラーの影。僕らには必要だからね」
 抱き合ったまま起き上がってマルクトが返事する。すべての行動をイェソドはマルクトに任せているらしく、抱きついたまま笑っているのみだ。
「わかった。ティフェ、送ろうか?」
「うん」
 マルクトが完全に立ち上がり、イェソドもしぶしぶ離れる。ティフェレトが二人に近づき、その瞬間に緑色の魔方陣が浮かび上がった。
「行ってらっしゃい」
 ケテルはにこやかに手を振った。その背後で紫煙がたなびく。出現したのはコクマー。背後から笑っている気配がケテルにも伝わってきた。
「君も人が悪いね」
「おや、コクマー」
 ケテルは振り返らずにコクマーに挨拶する。
「ゲヴラーが何を求めていたか知っていたろうに」
「うん、わかってはいたよ。でもそれは本当の答えじゃない。自ら見つけなければ意味が無いんだ」
 ケテルは言う。コクマーはしばし黙って言った。
「それは、イェソドの予言かい?」
「ああ。マルクトが思い出してくれたよ。次なるモノは赫き血潮に潜む影。力は影を落とさん、助言を与うることなかれ。血潮には血潮を以って応うるべしってね」
「赫き血潮と力……ゲヴラーを表すのかい?」
「そうさ。ゲヴラーの使う色は赤。そして現すものは神の力! 予言通り、ゲヴラー負けたしね。だから思ったんだ。助言、ゲヴラーの答えを僕が出しちゃだめなんだ。そうじゃなきゃ、ゲヴラーは彼に負けて死んでしまうかもしれない」
 ケテルは言う。コクマーがニヤついて尋ねた。
「君が何とでもすればいいじゃないか」
「それはダメだ。勝手に死ぬなんて許さない」
「さすがに君も死んだものは生き返らせることができないんだったね」
 コクマーは笑いながら言うと、ケテルは少し怒った顔をした。
「父様が死んだのは自業自得だ。生き返らせようなんて思ってない」
「そうだったね。失礼。しかしゲヴラーは違うのだろう? 生き返らせてみたまえよ」
 挑発するかのようにコクマーは笑う。
「ゲヴラーの前に、お前を殺してみようか? コクマー」
「少々ふざけすぎた。すまない。しかし何故ゲヴラーを死なせたくないのだね?」
 ケテルは怒っていた表情を変え、笑って言った。
「ゲヴラーは僕のものだからさ」
「他人に殺されるのは独占欲を刺激されるかい?」
「そうとも。誰も僕の独占欲からは逃れられやしない」
 ケテルは手を伸ばして、コクマーのネクタイを握った。まるでお前も僕のものだと理解させようとしているかのようだった。コクマーは笑って紫煙を吐き出した。
「恐ろしい事だ」
「そうかな?」
 ケテルも笑った。
「本当に君は面白い」
 コクマーは満足そうに言った。

 ゲヴラーが到着する前にティフェレトは目的の相手を見つけことができた。マルクトが大体の位置を把握していたので、あとは自分の俊足で探せばいいだけだった。目立つ容姿はゲヴラーと同じ。
「誰だ?」
 振り返るゲヴラーを少し成長させたような姿。
「お前は……ティフェレトといったか……」
 ゲブラーはティフェレトに向かって構えた。
「何しに来た? 我が同胞はどうした? まさか逃げているわけではなかろうな。お前が代わりに相手をするのか?」
「……よく、しゃべるね」
 ティフェレトは呆れていった。なんて饒舌なんだろう。
「お前たち、ティンクトラの目的は?」
「訊いてどうするの?」
「当然、我らのリーダーに報告し、お前たちを捕らえる」
「ふーん。できるとは思わないけれどね」
 ティフェレトはそう言って、腰からナイフを抜き、手でクルリとまわした。
「ゲヴラーと戦いたいんだってね。残念だったね。ゲヴラーが来る前に終らせるよ」
「できるか? お前に」
「さあ? やってみないとわからない」
 ティフェレトは挑戦的に笑うこともなく静かにそれだけを述べ、腰を低く落とした。瞬間、ティフェレトの姿が消えうせる。
 一瞬の加速に目を見張るゲブラー。銀色の閃きがゲブラーの視界の端できらりと光る。次に鮮血が零れ落ちた。ゲブラーは本気になったようで手を手刀の形にし、腰を落とした。目に力を込める。人間ではないゲブラーは目に力を込め、念じれば動体視力が発達する。
 しかしティフェレトの速さは動体視力のよしあしだけでは身体的に捕らえられない。そこを強引に体の各部位を念じて発達させ、少しの間でティフェレトの速さに対応を可能にする。次の瞬間にティフェレトの鋭角に入り込んでくるナイフとゲブラーの右手が交差する。
 人間の体ではないゲブラーはナイフに血を流すこともなく、かといって押し負けない。
 ゲブラーはにやりと笑って、左手をティフェレトに向かって繰り出す。右がふさがっている以上、回避不可能と思われたその攻撃に、ティフェレトは自身の左手を翻し、眉間の手前で止めて見せた。
 軽く驚くゲブラーの隙を見逃さず右のナイフを反転。左手はゲブラーの左手首をつかんで、そのまま自分自身がゲブラーの左手首を中心に縦に回転、ゲブラーの後ろに回ると首に向かってナイフを突き刺す!
 力を込めるのが間に合って、ゲブラーの首はナイフでは傷つけることができない。ティフェレトは眉を動かしただけで瞬時にナイフを戻し、ゲブラーから距離をとる。
「お前、何故……?」
 ティフェレトはそれには答えず、左手でもう一本のナイフを腰から抜き、右手と同じようにくるりと回して構えた。
「お前、何者だ? 何故、体を硬化できる? これは我らネピリムにしかできないことだ……!」
「……君の世界はぼくのものより狭いみたいだね。戦闘に関して自分が最強と思っている」
 ティフェレトはそれだけ言うと、ナイフを逆手に構え、大きく腕を振った。ナイフが一直線にゲブラーの眉間に飛んでくる。それを急いでかわしたと思ったら目の前に黒衣がはためいて、ティフェレト自身が突っ込んできていた。
 全体重をかけた重いとび蹴りにゲブラーは後方にバランスを失う。その隙を見逃すはずがないティフェレトはもう一本のナイフを振りかざした。重い衝撃がティフェレトの腕に伝わる。
「っく!」
 ゲブラーが急いで防いだものの、体の硬化は間に合わなかったようで、ナイフと垂直に交差した手刀の指がしばらくの間を置いて滑り落ちた。
 血がどくどくと流れ、苦痛にゲブラーが呻く。ティフェレトはすぐさま姿勢を建て直し、次の攻撃に転じようとしたが、痛みに耐えるゲブラーがそれをさせない。四本の第二関節の途中まで失った指がティフェレトの手首をつかんだ。
 ゲブラーの指の血がティフェレトの手首を伝い、ティフェレトの手首の関節に短くなった指がめり込んだ。
「うっ!」
「速いものは捕まえれば問題ない!!」
「……っ」
 ティフェレトは苦悶を押し殺して、この状況を打開するための方法を考える。しかしその必要が無いことがわかった。向こうから急いで駆けてくる派手な白髪と赤い目。ゲヴラーが来たのだ。
「ティフェ!!」
 ティフェレトはゲヴラーを見てまたしても隙を作っているゲブラーから難なく抜け出した。
「大丈夫か!? ってか、お前何やってんの??」
 ティフェレトは関節を外されかかった手首を確かめつつ、静かにゲヴラーを見た。
「ゲヴラー」
「何だ?」
 ティフェレトは落ちていたナイフを拾い上げると、軽く服で血を拭い、腰に収めた。
「コイツ、弱い。本当にゲヴラーこいつに負けたの?」
「は?」
 ゲヴラーが目を見開いて言われたことが何だったかを理解しようとする。
「つまんない。帰るや」
「へ?」
 ゲヴラーはそう言われて、ゲブラーをまじまじと見た。血痕が残る地面。しかしティフェレトにダメージは見られない。
 ゲブラーの右手の指が半分の長さになって血を流している。指の残骸が四つ見られた。ティフェレトはゲブラーに一撃与えたのだ。
「はっはっは!」
 ゲヴラーは目を覆って高笑いした。
「言ってくれるぜ」
 手を目から離したときに黒衣はもう見えない。ゲヴラーはティフェレトのことを知っている。戦いを楽しむような性格ではない。必要のある戦闘しかせず、機械のように冷静で挑発をすることも受けて何かを感じる様子もない。そんなティフェレトがゲヴラーが負けたからと言って戦ってみたいという理由で動くはずがない。
 つまり、つまんないなんて言う筈ないのだ、ティフェレトは。大方、ケテル辺りが心配して遣わしたのだろう。
(心配かけたな)
 心の中で仲間に礼を言い、ゲヴラーはゲブラーに向かい合う。正面から。今度はひるむことなく。
「よう」
「遅かったな」
 ゲブラーは全身包帯で怪我がひどかったことを改めて認識すると強気に言い放った。
「我が正義の前にひれ伏し、命を差し出す気になったか? 弟よ。それとも我と共に正義の道を歩むことに決めたか? 主の意向に従って」
 ツーンと、いう態度でいちいち反抗せず、口出しせずで聞いていたゲヴラーは無表情を口元だけ吊り上げて嗤う。
「バァカっ!」
 いきなりバカにされたことにゲブラーが驚く。
「なぁに、正義だの神だのほざいてんだよ。ネピリム? そんなこと関係ないね。俺はゲヴラー。神の子でいいのさァ。あ、お前もゲブラーか。……お前こそ破壊と殺戮がしたくないなんてゲヴラーなのかよ? お前こそ偽者なんじゃねぇのかぁ?」
 偽者呼ばわりを返されるとは思っても見なかったようでショックを受けている様子のゲブラーに満足そうにゲヴラーはニヤニヤ嗤う。
「俺はオマエを血祭りに上げて、引裂いてぇ、バッラバラにしたいだけー」
「なにっ!?」
「あー、ぞくぞくする」
 ゲヴラーは眼を閉じ、人差し指をゆっくり舐めた。
「壊す前はどうしてこんなに愉しいんだろうねぇ? ……兄さん、だっけ?」
 人を殺す楽しみに疑問を持たないゲヴラーの様子にゲブラーは唖然とする。
「お前はネピリムである自分を否定し、主の意向にも背くのか!?」
「俺、神の声なんて聞いたことねーんだもん。それに言ったろ? 人間より神の方がきらいなんだ」
 ゲヴラーはにっこり笑って、頭の包帯をゆっくり解き始めた。現れた頭部に傷は一つも見えない。人間とはかけ離れた治癒能力を持つネピリムでもあれだけの瀕死の傷が完壁に治るなんて!
 ゲブラーは驚きを隠しきれない。そんな様子に気付かず、ゲヴラーは解き終わった包帯を離し、はらりと落ちた包帯を見た。
「さぁ、破壊の限りを尽くして、血に染まった宴を始めよう!!」
 ゲヴラーがにぃっと嗤って言い放つと同時に二人の影が動いた。
「お前は狂っている!!」
 ゲブラーが叫び、左の拳を放つのに対し、ゲヴラーは右足を振り上げた。
「そりゃ、ありがとうよっ!」
 こうして二人の激闘が幕を上げた。

 ティフェレトはマルクトたちが待機する場所まで戻った。
「お疲れぇ」
「うん」
「ど? 強い? ゲヴラー負けちゃうかな??」
 マルクトは心配そうに激闘の音が聞こえる方をしきりに見つめた。ティフェレトも振り返ってちらりとそちらの方面を見ると、マルクトに言った。
「負けないと思うよ」
「ホントー?」
「たぶん。愉しそうな顔、してたから」
「そっか、まぁ、ダメならボクらで助けに行こう!」
 マルクトはイェソドにねー、と笑いかける。
「ぼくはやることをやったから帰っていい?」
 ティフェレトはそう言って歩いていく。
「えー! 帰っちゃうのぉ?」
「二人きりの方が楽しいでしょ?」
 ティフェレトはそう言い切ると、姿を消した。加速したのだった。もう見えない黒衣にマルクトは声を掛けた。
「お気遣いありがとー!」

 二人の激闘は終焉を迎えていた。ゲヴラーは瀕死の様子の全身血にまみれたゲブラーに首を絞められ、全身を持ち上げられていた。
 腕一本で支えられているゲヴラーの体重はゲヴラーの首に手がめり込むように力がかかっていることで支えられていた。苦しい呼吸を繰り返し、ゲブラーは苦笑する。
「やはり、正義を、持つ、我の方が、正しい、ようだな……」
 ゲヴラーの顎は首を絞められていることで仰け反っているので、ゲブラーにゲヴラーの表情を見ることはできない。しかし首を絞めているのだから、呼吸もままならないだろうし、声も上げられないはずだ。
 その証拠に苦し紛れの挑発は聞こえてこない。もしかしたら意識を既に手放しているのかもしれない。
「このまま、死ね!」
 止めを刺すべく、ゲブラーはもう片方の指が半分ない手を首に添えた。その瞬間。
「ははっ!!」
 笑い声が、聞こえた。恐る恐る目を上に上げると、意識がないはずのゲヴラーの唇が吊り上って笑みを形作っている。腕を少し下ろして、表情を検めようとして、ゲブラーは絶句した。
 ――笑っている!?
 白髪の間から覗く赤い瞳は完全にゲブラーを見下していた。そうわかった刹那、ゲヴラーの腕が逆にゲブラーの首に巻きついた。一気に力が注がれる。
「かはっ!」
ぎりぎりと気道が締め付けられる。呼吸がままならない。
「な……に? ……まだ、い、き……が??」
 頭に血が上って額が、頭が熱くなった、と感じたときには視界がすでに揺れている。熱さを感じなくなって、目が虚ろに嗤うゲヴラーを映していた。
 頭が揺れる。なにもわからなくなる。苦しいはずなのに、抵抗しなくてはいけないのに……力が、出てこない……何故だ?
「首絞めるだけじゃあ、物足りなねえなぁ」
 腕にこめる力をさらに増し、ゲヴラーは笑った。その時には、ゲブラーの腕は離れて、垂れ下がっている。
「折ってみっかぁあ!!」
 抵抗の意志はなくとも、ゲヴラーの殺意は止まらない。
 腕の力のこめ具合を少々変えて、くいっと、その程度の変化で、ボグっという首の骨が折れる音がした。ゲブラーは完全に、これによって死を迎える。
 瞳孔が開き、口からよだれが垂れて、人形のように力が四肢から完全に抜け落ちる。しかしそれに気付かないのか、ゲヴラーは続けた。
「案外、簡単だな。じゃ、次は、捩じってみっか!!」
 雑巾のように首を捩じってやれば、すでに折れている骨はなん障害もなく、捩じる行為に従う。従えない、と抵抗を示すのは皮膚と血管だ。しかしそれも圧倒的な力を前に千切れていく。
 そうして、ゲブラーの体からは首を捩じり取られて、頭と体が分断した。離れた頭をゲヴラーは頭上に掲げ、頭に残っている血が雨のように降り注ぐこともいとわず、支えをなくして、ゆっくり後に血を吹き上がらせながらも倒れてく体を見て、ゲヴラーは心底、愉しそうに笑った。
「あーはっはっは!!」
 どすん、と体が地に落ち、赤い血だまりが広がっていく。全身を真っ赤に染め上げ、宴を終らせた開催者は頭を体の許へと投げつけた。
「愉しかったぜ、今までの何よりも、な」
「ゲヴラー」
 笑い終えたゲヴラーに陰から静かな呼びかけが届く。すっと現れたのはイェソド。
「お前らも来てたのか?」
「ケテル、言う。コイツ、ゲヴラー、カゲ」
 イェソドは千切れた頭を表情を一つも変えずに首の位置に戻した。
「ニエ、蘇生、了承?」
 意味がわからなかったようで後方で死体を嫌そうに見ているマルクトに尋ねる。
「ケテルがこいつがゲヴラーの影で必要だから、蘇生させてもいいかってコト」
「好きにしな」
 ゲヴラーが言った瞬間に紫色の光が溢れる。
「うっわー、グロ。直すのタイヘン」
 隣でマルクトが死体を覗き込む。
「そういやさ、ゲヴラーはこいつに勝って何か変われたの?」
 マルクトが言う。血だらけのゲヴラーは口元だけを笑わせて、言った。
「ああ。ちょっとだけな」
「ふーん」
 詳しくは聞かずにマルクトは再び血だらけで首が離れていた死体がくっついていくのを見ていた。紫色の光が、収束し、イェソドがマルクトに抱きつく。
「マルクトー、できたー」
「んー! 偉い! イェソド、かわいいー!!」
 ぎゅーっと抱きつき返して、マルクトはゲヴラーに言った。
「じゃ、帰ろうか」
「ああ」
 ゲヴラーはマルクトの傍による。瞬間緑色の魔方陣が発光した。
 ゲヴラーは笑う。もう彼に怖いものはない。

 そのころ、ラスメリフ家では大人の体になったローズマリーがコーリィのドレスを着て、姉に喜び勇んでその姿を見せていた。後から嗤ってビナーがついていく。
「な、なんてことを……!」
 コーリィは青ざめている。
「姉さま、このドレス、似合う!?」
 ドレスを似合うことを喜んでいるのではない。
 認めてもらえれば、コーリィとローズマリーだけの、二人だけの生活が戻ってくる。それをよろこんでいるのだった。

 しかし……。