TINCTORA 013

13.戦争への鏑矢

043

「やれやれ、やっといなくなったか」
 ルステリカ卿がため息をついて冷めた紅茶を淹れ直した。ホドもその行為を行う。しばしの無言。二人で高級な紅茶の味を確かめて満足行く味にうっとりするとルステリカ卿が微笑んだ。
「君と本音で語り合える場所を用意してくれてうれしいよ、カトル」
「いや。対して難しいことではないさ。今は戦争直前だからね」
 ホドもにっこりと笑った。
「でも、大丈夫なのかい? 彼らは異端審問だろう? なにかやらかしたのかい?」
 ホドは軽く首を振った。十公爵の中で一番歳が近いせいかルステリカ卿とホドは個人的にも仲がよい。彼の言葉には純粋にホドを心配する言葉がある。
「さ、時間は限られている。本題に入ってしまおう」
 ホドが話題を変えるかのように言うと、ルステリカ卿は笑顔で頷いた。
「そうそう、ラキから返事がたった今届いた。金色の矢を暁闇に放て、プランはGに移行だね。君に頼まれたものも完成したから、次の戦争では使えると思うよ」
「そうか。Gに移行……。ジューダイヤ海峡か……。戦術は8通り考えてある。確実なのは……うーん」
 ホドが悩むそぶりを見せた時、ルステリカ卿が言った。
「戦争とはいえ、見せる事も必要だ。これ以上領土拡大の必要はないが、領土維持のためには他国に我が軍の強さを見せ付けねばならないから。悩みどころだね、ただでさえクサンクは海賊上がりで海戦になれているというのに……」
「ああ。リダーも海賊がいるといってもそう、期待は出来ないし……僕らは海戦に慣れているわけじゃない。僕は海の男じゃないしね……困るよ。今回戦術を立てるといってもさ、海戦は初めてだから。効くかどうかは不安ではあるんだ」
 その表情は本当に困ったものだった。
 実を言うと海戦に慣れた前ケゼルチェック卿の配下は、死んでしまっていた。主と共に命を絶ってしまったのだ。故にホドは今、書物や、過去の戦記録のみで作戦を立てているといってよい。
 普通だったらそんなの実際の戦争で役立つ訳ないのだが、それを可能にしてしまうのがホドの才能といえた。前の戦争でそれを本当に可能にしてしまったのだ。
 実を言うとホドは戦争経験はあまりない。前の戦争でも一か八かでやってみたらうまくいったのだ。栄光を手に入れるためだけに存在しているように運も、才能も実力もホドを今まで裏切った事はない。
「気にするな。前の戦争でも君はそう言っていたよ。謙虚だね、君の主と一緒だ」
「そう言ってくれるとうれしい。僕は僕の主に見合うよう努力しているつもりだから」
 内心、否定しつつもそう答えた。ケテルが謙虚? ないない。
「そうか。君たち主従は本当に微笑ましい。私の配下には裏切る奴もいるから油断なら無くてね……。裏切りといえば、賢者。君のところには賢者はいるかい?」
「ああ。女の賢者、等しき天秤という二つ名の賢者だが、それが何か?」
 ルステリカ卿はその顔を少しゆがめ、ホドに顔を寄せて囁くように言った。
「賢者がこの国で何かしようとしているようだ、気をつけたほうがいい」
「何か、とは?」
「わからない。私は幸運にも自分の賢者と仲良くなれたのでね、聞いてみたんだ。そうしたらありえない事に賢者達自身が争っているのだという。信じられるかい?」
 ホドはとっくに知っているが知らなかった表情を自然に作り出し、訊いた。
「いや、信じられない。原因は?」
「そこまでは教えてもらえなかったんだ」
 ルステリカ卿は自虐的に笑って肩をすくめた。
「私の賢者は文明の飴という名前なんだが、確か君の賢者とは敵対していないと思うよ。今度聞いてみてくれないか?」
「ああ、わかったよ」
 聞かなくてもわかっているのでそれはいいが今度会った時にどの程度情報を渡すべきかと一瞬思案した。相手に先にしゃべらせればいいことではあるが。
「それから、軍の編成はどうするんだい? ソロモン卿の次男、軍隊を志願したって」
「うん。レナが教えてくれた」
「気をつけたまえ。あれはおかしい」
 ホドは困った顔を作り出す。そんなことは百も承知だ。問題はどうおかしいか、だ。
「どういうことだい?」
「私もあれに部下を一人殺されていてね……」
「調べたのかい? 無茶を」
「どうやら子供を大量にどこからか買い、魔法の実験対象にしているという。魔法に侵されて、子供たちの髪や目の色、肌の色など変わってしまったらしい。人とは思えない色をしているのだそうだ」
「……例えば?」
「確か、赤い目や、紫の髪など。国外の子供も大勢いると聞いた。しかしどの子供も見目麗しいのだと。魔法使いに言わせると魔法に侵された副作用の一種らしい」
 気味の悪い非難している目をして、内心では一つの可能性に思い至る。
「子供たちを使って何の実験を?」
「詳しくはわからないが、子供を殺し合わせたりしているらしい。なにか魔方陣の上に子供を寝かせて、魔法をかけたり、気味の悪い薬を子供に飲ませたりしていたという。発狂して死んだ子供の処理をやらされたと報告してきた日もあった」
 思い出すと吐き気がするのか、口元を押さえて、険しい顔をしている。同じ顔をしつつもホドは内心で可能性が確信に変わっていった。
「確かに普通じゃないね」
「ああ。で、部下が思い切って聞いたそうなんだ。何をしているのかと。なんと答えたと思う?」
「いや、わからない」
「そうだろうとも。あれは、兵器の開発と言ったそうだよ」
 ティフェレト! ホドは内心の驚きを隠しつつ、別の事を口にした。
「子供がなんで兵器の開発と関係あるんだろうか。魔法を使った兵器の開発なら子供である必要など無いはずだが……」
「私も、そう思ったのだ。しかしこれ以上はもうわからない。部下は死んでしまった」
「……殺されたのか、無念だろう」
「ああ。ソロモン卿自身、私も好きではないしね。あの好色ジジイが。私が若い時、あの男……思い出すだけで背筋が凍る!」
「あー」
 ソロモン卿は別の意味で有名だ。愛人を何人も持ち、時には美少年も相手にするという。
 ケテルを成人まで隠しているのはそういう理由もある。ケテルは年の割りに背が低い。童顔だし、でも美形にはいる。
 ルステリカ卿が誘われたなら、ケテルは絶対そういう目で見られる。あんな目で見られたらケテルが穢れる! まぁ、ケテルがそんな目で見られたからといって黙っているとも思えないが。
「私の妹がいるだろう?」
「サティさまだね」
「うん。あれがいつもじとーっといやな目で見られるのであのジジイが参加する夜会に出たがらない。でもいつもあのジジイいつもいるだろう? おかげで世間のサティ見られ方が散々だよ」
 溜息と共に語られる愚痴に少し笑いを零して、ホドは大いに同意した。
「まぁ、いい。この話は別の機会に。クルセスの件だ。リダー卿はどう仰っておいでだい?」
「うん。彼はクルセス卿に協力してくれるとのことだ。借りがたっぷり与えられるだろうって喜んでいたよ。北は南が植民地から国土になったのを馬鹿にする傾向があったから、いい仕返しになるだろう。今や、南の方が富んでいるのに。ああ、君の地方は別だからね」
「気にしなくていい。父の代はルステリカだってそうだった」
 そう、エルスはもともと帝都と北の一部しか国土ではなかった。それを戦争に勝ち、他国を吸収して大きくなった国だ。その属国を公爵に丸ごと与えたことで、属国の不満は帝都に来ない。
 公爵が苦労する。公爵次第で属国が真のエルス国民になるかが決まってくる。
「しかし、今度の戦争では、領土拡大は望めないかもしれないな。クサンクが出てくるんだ。戦争は長引けばこちらが疲弊する。なんとかしなくては」
 ルステリカ卿には皇帝と違ってこの戦争の先が見えている。少し考えればわかる事だ。しかし、皇帝と一部の公爵にはそれが見えていない。だから開戦する。
「大丈夫だ。いざという時の外交カードは持っている。タイミングだな。あとは。それが揃えばこちらが有利になる」
「ああ。薔薇の君か。しかし……それで応じてくれるだろうか」
「大丈夫。王女とはいえ、次期王位継承者だ。そう考えると内乱とは本当に便利だ。戦争より一番に危惧しなくてはいけないのは内乱だな。諸国に付け入られるきっかけを与えてしまう。今まで諸国の内乱を利用してきた我が国だけに……」
 憂いた顔でホドは言った。
「そうだね。皇帝はそろそろレジスタンスに対する態度を変えねば、この国に内乱が……。押さえておくのは貴族だけではないということを知っていただきたいものだ」
 今の皇帝サルザヴェクⅣ世は貴族に反発することしかない。だから貴族を抑えるために新たな富を与える植民地を欲しているのだ。
「そうだね。ただ僕らの意見を聞き入れてくださるだろうか……」
 歳を取った王は頑迷だ。若者のように他人の意見を聞き入れるということをしない。それを利用して懐柔策でも取ろうかと十公爵内の派閥は揺れ動いている。
 この国は揺れ続けている。まず国民と皇帝の間、皇帝と貴族の間、貴族と貴族の間で。他にも賢者、異端審問、戦争。揺れ幅は大きくなるばかりだ。揺れ幅が大きくなったなら、それは全てが崩れ、壊れてしまうだけ。
 だからホドは揺れる国を見ている。揺れを押さえるでも、一緒に揺れるでもなく、ただ見て、自分が安全な道を選んでいる。
(だっていつだって自分が一番愛しいだろう?)
 ケテルが自分の欲でしか動かないように、ホドは自分が安全な道しか選ばない。

 ナックは数日間滞在するとは言ったが、さてどう行動しようかと思案していた。確たる証拠が無ければここに止まるのは無意味。
 もう一つ頭を悩ませているのは病気というケテルさまにどうやって会うか、だ。病気の身で、いきなり「極悪犯を追っていて……」なんて話したら気が小さい貴族だから倒れてしまったりするかもしれない。
「ナック、悩み事? 相談に乗るわよ」
 ダリアが優しく言ってくれた。しかし、ナックは慌てて顔を引き締め、首を振った。
「なんでもない。俺ちょっと外の空気吸ってくる」
 ホドクラー卿に会うのにもダリアの力を借りたばかり。迷惑はこれ以上かけられない。
 逃げるように外に飛び出した。外には満天の星空。クルセスでも見える星ばかりだ。
 知っている星座を追ってあてもなく歩く。星座を見上げるなんて久しぶりだ。キラとクルセスでこうして夜を過ごした事も多かったな、と思い出す。
 また、キラと星空を見よう。そのためには、なんとしても! ナックがそう決心したその時、闇の中から声がした。
「わお!」
 その方向を見てナックは自分目が見開かれているのを感じた。声は不思議と出なかった。
「んー、困ったな。こんばんは、神父様……じゃ、だめかな?」
「お前、この前……!!」
 ナックの目の前に水色の髪をした双子が寄り添って立っていた。彼らはナックと会うのは予想外だったようで、逃げも隠れもしなかったし、逆に戦意を燃やしてもいなかった。
「キラをどうした? 無事なんだろうな?」
「さー? ボクら君らと別れた後は帰ってないからね、知らないな」
 少年がアッサリと答える。
「帰るってどこに?」
「教えないよ。ボク、そこまで誘導尋問にひっかかりません」
 少年は明るく笑って言い、少女は何も語らず、少年に抱きついている。
「お前ら、何なんだよ? 双子? の割りには……主が禁じたことを堂々と……」
 その言葉を聞いて少年の顔が険しくなった。
「主って神? イエスのこと? 何を禁じているって?」
 言葉の端々に刺々しさがある言い方だった。
「何って……」
 ナックは当然のように言い切った。
「家族は愛し合っちゃだめだろう」
「兄妹愛は異常? 何故さ? 神が禁じたって誰が証明できるのさ?」
 少年の怒りによってか少女もナックを激しく睨んだ。
「それは……」
「そもそも、なんで神が禁じたらボクらが従わなきゃいけないんだよ。知ってる? 異端審問。この世界に神はイエス・キリストだけじゃないんだよ。お前らが異教って禁じているものにはな、イエスと同じくらい、それ以上偉かったりすごい神がいるんだよ。なんでボクらがわざわざイエスを選ばなきゃいけないんだよ? お前たちのやってることはね、自分の信じるものを他人に押し付けてるだけなんだよ!」
 ナックは異教が家族内の恋愛を許しているかは知らなかったが生まれる子供が呪われると聞いた。少なくとも、にわか神父であるナックが主の教えを全て理解しているはずが無い。幼い頃から親や近所の教会の神父さまに教えてもらった知識のみだ。
「じゃ、呪われた子供はどうなるんだよ! 不幸じゃないか! 子供は悪くないのに」
 少年は嘲りをこめて笑った。
「呪われる? 不幸? そんなもの、お前たちの心が狭いせいだろう? 呪われたからってなんだよ。その子供が周りまで不幸にしたのか? お前たちが呪いって思い込むから、悪いことが怒った時にその子のせいにしたいだけだろ! 自分のせいじゃなくてその子のせいにしたら心が楽だからだろう?? 違うのか? 不幸だって同じ事だ。お前たち人間が、その子を不幸にするんじゃないか!」
 ナックは鋭い切り替えしに反応できなかった。
「で、でも……不幸になってしまうことは事実だ。それを避けるべき道を主は説かれたんだろう?」
「避ける? やっぱりお前たちはそうやって認めもしないのか? 不幸? お前たちが作り出す環境のせいでそうなる結果が生じるのに、お前たちは自分を省みずに、自分たちのせいで嘆く存在を消すのか! そうだよね、その方が楽だもの。……ねぇ、お前、イエスが説いた事の本当の意味を知らないな? そんなやつが偉そうに、異端審問なんかしているから、この世が歪むんだよ!!」
 ナックは直接脳を殴られたような衝撃を受けた。
「お前、腹立つ。存在を……消してやりたい!!」
 少年が心の底からの叫びをナックにぶつけた。今まで少年の影に隠れるようにくっついていた少女がすっとナックの前に立ちはだかった。
「マルクト、望む。お前、消す」
 ナックは反応できていた自分をあとで褒めてあげたい気持ちになった。呆然としていたナックが少女、イェソドの攻撃を避けられたのはまぐれだったからだ。
 ナックはようやくショックから立ち直って剣を構えた。少女の右手が青白く発光する。
 アレだ! 物質を分解する力! 自分から攻撃できないことを思い出し、ナックはひたすら少女の攻撃を避けることに徹底する。しかし、どうしても軽い身の少女がナックの背後に回りこみ、攻撃しようとした時、ナックは剣を犠牲にしても、と少女に剣を向けた。
 すると分解されると思った剣は少女の身体に刺さり、血が滲んだ。驚きでナックは剣を引き、少女と距離を取る。
「イェソド!」
 少年が叫ぶ。
「大丈夫、安心」
 少女は攻撃の手を止め、ナックに刺された部分から青白い光を発する。すると血がまったく流れなくなった。おそらく自分で治癒したのだ。しかし!
「お前、その光ってる部分しか分解できないのか」
 そうとわかれば攻撃は可能だ。ナックは右手を避けつつ、反撃に出た。光っている部分以外は分解されないなら、ナックは腰から銃を抜き、遠距離での攻撃に切り替えた。
 さすがに赤い目の男のように銃弾のスピードに彼女は対応できないようだ。身体に銃弾が突き刺さるたびに細い体が痙攣する。
「イェソド!!」
 少年が叫ぶ。なぜ、少年は攻撃してこないのか? 少年は攻撃できないのかもしれない。
「マルクト、願う。イェソド、叶える!」
 少女が力強く言い切った。少女がまっすぐナックに向かって走ってくる。避けるか? いや、このまま心臓に剣を差し込んだ方がいい。
 ナックはそう判断し、少女を迎え撃つ準備をした。右手を難なく避けた。そう思った瞬間、視界にちらっと移った光。ナックは目を見開いた。この一瞬でどちらかの生命が潰える可能性を見出したからだ。
 ――ナックの剣がイェソドの心臓に突き刺さるが速いか、イェソドの左手がナックを分解するが早いか!
「イェソド!!」
 少年が叫ぶ。ナックも少女も相手を睨む。お互いに攻撃速度は一緒。二人の攻撃がお互いに決まろうかという刹那の瞬間に、それは起きた。
「え!」
 ナックの攻撃も少女の攻撃も決まらなかった。何が起こったのか二人が同時に確認する。それは本当に一瞬の出来事だった。
 二人の間にいつの間にか黒衣が滑り込んでいて、イェソドの左手を彼の左手が握り、ナックの剣を右手で押さえていた。
「ティフェ!」
 少年が歓喜の声をあげる。その瞬間にナックは蹴っ飛ばされた。全く反応できない神速の蹴り。そうして少女を抱えて少年の傍に移動する。
「心配してるよ、みんな。そろそろ帰ったら?」
「うん。帰り道だったの」
「そう」
 ナックはティフェレトが現れたことに驚き、そして一つの確信を得た。彼がここにいるということは。
「お前、キラをどうした?」
「君が、また手放したから、彼女はぼくのものになってしまった」
 ティフェレトはそう言うと、少年に魔方陣を、と言った。少年の足元から鮮やかな緑の魔方陣が生じ、三人は魔法の中に消えていく。
「待てよ! どういう意味なんだ?」
 それにティフェレトは答えない。そうして彼らは消えていった。ナックの中に一つの確信が生まれる。
 先ほど、ティフェレトが現れた事実と、双子のティンクトラに偶然遭った事、すなわちティンクトラはケゼルチェックにいると!