TINCTORA 013

046

「それにしても、ティフェとのお仕事は久しぶりだね。俺楽しいよ」
「ぼくも」
 ティフェレトとゲヴラーはホドに頼まれた仕事をこなすべく、目的地へと移動していた。
 ティフェレトの影、すなわちキラが完全にこちらの手に落ちてからと言うもの、とくに目立った事は起きていない。異端審問の影がケゼルチェックにちらつき始め、この国は戦争を開始したが、この二人には関係ないことだった。
 今一番忙しいのはホドとネツァーだ。戦争中になってもまだ海戦で止まっている今状況ではケゼルチェック内部は少し緊張感はあるものの至って平和だ。
 エルス帝國に海岸線を持つ領地は三つ。ケゼルチェックとラルキー、バイザー地方だが、バイザー地方は海岸線は巨大な切り立った崖になっており、港や簡単な船着場としてさえ使えない。ケゼルチェック寄りになって初めて漁船が出せるくらいの勾配になる。ラルキー地方は逆に岩礁が多い海岸線なので船を留め置けない。こちらも港を持てない地形なのだ。
 そのため、エルス帝國の港はほぼケゼルチェックとリダーが持っていると言っていい。
 ラルキー地方と同じ海岸線を持つリュードベリ帝國はおかげでクサンク帝國側にしか港を持っていない。エルスとの国境にあたる海では岩礁が多く浅い海なので海戦はおろか、船を通す事ができないのだ。だから今回の戦争でリュードベリはクサンク帝國を頼った。
 クサンク帝國の海軍をリダーとケゼルチェックに向けて海から進行しようと言うのである。
「でもさー、俺らみたいなやつがホドの手伝いってもできるのかね?」
 ゲヴラーが言った。ケテルは二人にホドの手伝いをしてきてと言われたのだ。アバウトすぎるその命令にしぶしぶ従う。ケテルは相変わらず何を考えているのかホドの次にわからない。
「戦力外通告受けたら帰っていいんじゃないかな? たぶん、来られても迷惑だと思うんだよね」
 ティフェレトはそう言って笑った。
「!」
 ティフェレトと同時にゲヴラーも足を止めた。穏やかな二人の間に緊張感が突然走る。
「誰だ!!」
 ゲヴラーが叫んだ。するとティフェレト目掛けてナイフが降ってくる。それを余裕で交わしてゲヴラーと頷きあった。
「複数か……五人?」
「うん」
 そして二人とも別方向に跳んだ。ティフェレトが腰のナイフを抜く。敵の姿を見つけ、攻撃を行う。
「何者?」
 ティフェレトの問いには答えない。相手は女だった。見事な金髪を左耳の真上で一つに結んでいる。目は漆黒。自分と同じ珍しい組み合わせの髪と目を持つ少女だった。
 ティフェレトは加速する。少女も加速についてきた。ティフェレトは内心、軽く驚いたがそれを表情に出さず、もっと加速する。それども少女はティフェレトに劣ることなく、加速した。そしてその中で神速の拳が迫る。
 ティフェレトは受身を取って、背後に跳んだ。それは避けるためだったが完全に動きを読まれていたらしく、少女がいつの間にか背後に回りこんでいる。
 少女はティフェレトのナイフを持つ手を止め、ティフェレトを睨んだ。ティフェレトは応戦しようとする。その時少女が口を開いた。
「本当にお前が20体目なのか?」
「は?」
「信じられない。お前如きに昔の私は負けたのか」
「……誰? なぜぼくを知っているの?」
 ティフェレトの顔に嫌悪間が滲み出す。この女もぼくを知っているのかと。
「私はプロジェクト・ドールのプロダクション個体ナンバー8、オクトー・キリングドール。個体識別名、オクトーだ。お前に殺されたトライアルタイプナンバー8の脳細胞を活用して生み出された」
「オクトー? 殺した? ぼくが?」
 ティフェレトの困惑をよそに少女オクトーは語り出す。
「マスターはトライアルタイプナンバー唯一の生存確認個体であるお前を再び研究対象にしたい。よって我々プロダクションタイプナンバーにお前の捕獲が命じられている。それにより、我々に戦闘経験を積ませることとお前に情報を開示することが命令として与えられた」
「ちょっと待てよ。なんでぼくが、そうなんだよ?」
「お前はマスターによって一回、初期化されている。つまりお前がキリングドール本来の姿はデリートされた。しかし我々は機械ではない。素材は人間だ。よって完全な記憶消去は不可能。だから初期化を解くことでお前の人格を再び魂に定着させる」
 ティフェレトはオクトーの拘束を振り払って言った。
「わけわかんないよ。ぼくはなんだって言うんだ! そもそもそのプロダクションとか何?」
 オクトーは攻撃をやめてティフェレトに説明する。
「お前は人間に極限まで魔術をかけることで超人的な能力を有する人間を人工的に作ることを目的として改造された存在だ。これをプロジェクト・ドールという。この計画が始まったのは今から十年前だ。試作体として生き残った物にトライアルナンバーを与えた。つまり試作体番号だ。お前はそれの20体目に当たる。昔の私は8番目だ。次に第二期には第一期つまり試作体の反省点を改良して、人工的に人間が作られた。それがプロダクションナンバーを与えられた私達だ」
「ぼくが改造人間? つじつまが合わないじゃないか。だってぼくは20歳だよ。十年前に始まった計画なら当てはまらないじゃないか」
「違う。お前の正確な現在の年齢は9歳だ。お前は魔術によって成長を早められて身体年齢が20歳と言うだけに過ぎない。お前がこの世に生存している期間は9年間だ」
 ティフェレトが目を見開いた。知らなかった自分の正体が淡々と語られていく。
「嘘だ! だってぼくは……!!」
「お前の身体年齢はどうやって知った? 誰かにそれ位と言われたに過ぎないはずだ。実際私の身体年齢は16歳に設定されているが私が生存している期間は三年間しかない」
「馬鹿な……」
「お前にはすべての試作体の経験値がある。私たちはそのデータが欲しい。私たちがより完壁な兵器となるためにはお前が、いやお前の記憶が必要だ」
「だから、だからって、ぼくを……勝手だね!」
 ティフェレトがナイフを構える。オクトーもそれに習った。ナイフが激突する音が響いた。
「なんなんだ、てめぇら!!」
 ゲヴラーは吼える。ゲヴラーの回りを4つの影が走り抜ける。
「お前は関係ない。我々の任務は試作体の捕獲。手を出さなければお前に我々も手を出さない」
「試作体ってティフェか?」
「情報によるとケゼルチェック卿は試作体にティフェレトという個体名を与えたそうだな」
 誰か分からない。ティフェレトと同じくらい速いやつがそう告げた。ティフェレトと同じ速さで動き回るやつが四人。ゲヴラーはその姿を目で追いきれない。
「捕獲ってことは、てめぇらティフェを連れ去るつもりか!」
「そうだ」
「なら、容赦しねぇ!!」
 キラを捕まえたと思ったら今度はティフェが逆に狙われるとは、とゲヴラーは呆れた。
 こいつらはティフェレトの過去に深く関わって居そうだから、できれば生きたまま捕らえてやりたいが、ティフェレトと同じ速さで動くのだからこちらも手を抜けない。ゲヴラーはそのまま姿勢を低くして攻撃に備えた。目に捉えられない敵を感覚で待ち構える。
 懐に入り込んでくる殺気を感じゲヴラーの右手が唸った。次の瞬間には一人の男の首を素手で掴んでいた。そのまま残りのやつらに攻撃されたら困るので、ゲヴラーは男の首を折る。その間わずか5秒しかない。ゲヴラーだからこそできる早業だった。
 ゲヴラーの行動を見て、ひるんだのか、なかなか次の攻撃が来ない。ゲヴラーは注意深く辺りを見回す。気配が感じられない。もしかして逃げたか?
 なら、向かうのはティフェレトの所のはず。ゲヴラーはそちらに向かって疾走した。
 ティフェレトはすでに無心になっていた。相手を殺す、その思いだけがティフェレトを突き動かす。オクトーの動きが見える。オクトーの殺気を感じて自分も攻撃を放つ。
 オクトーに言われた事が何かわからない。それでも、身体は勝手に動くのだ。
(知ってる、あんたは優しいの)
(どうして、俺、おれ、が?)
(自信持ちなさいよ。ちゃんと、命令を遂行、できたじゃない)
(だからって!)
(これでわたし達の個体数は半分になった。生き残って、絶対に)
(でも!)
(この世界が、あんたみたいに優しいものだったなら、わたしたち……生きて、いけた、かも、ね)
 ――思い出したかもしれない。目の前の女。同じ顔をして、俺の腕の中で消えていった命。
「オクタ? そんなはず、ないのに……」
「思い出したのか? デリートされた記憶が戻りつつあるようだな。言っただろう? 私はオクタの脳細胞を使って作られたのだと!」
「作られた?」
「そう、わたしたちは人を殺すためだけに生きている!!」
 そう、殺すんだ。殺すためだけに生きているんだ! 頭の中で誰かが叫ぶ。
「殺す」
 ティフェレトの瞳は暗く、殺意だけを映す。それと同じような目をしてオクトーも言った。
「殺す」
 ティフェレトの手が翻る。その手を受け止めるオクトー。神速の攻撃が行われる。そうしている間にティフェレトの周りに新たに三人の気配がした。同時に四人の相手をしなくてはいけなくてもティフェレトは揺るがない。
 複数の人間と戦う時、その心得を知っている。どうやって殺すかわかっている!
 その喜びにティフェレトは震えた。気付いたら、目の前で黒髪の少年が血を噴き出して倒れていた。殺していた。いつの間にか。それを見て、別の少女がオクトーに耳打ちする。
「あちらで一人やられた。今日はもう引き上げるのことを提案する」
「了解」
「待てよ」
 ティフェレトはそう言ってナイフを投げる。そのナイフは一人の少女の額に深く突き刺さる。逃げようと樹に登っていた少女の身体が重力に従って無残に落下する。その間にオクトーともう一人の少年は去っていく。
 ティフェレトはまだ思考が安定していなかった。実に沸き起こる殺意だけがティフェレトを支配している。殺したい! 殺したい!!
「ティフェ……」
 ゲヴラーはティフェレトの瞳を見て絶句する。殺戮に快楽を感じる瞳だ。ティフェレトは不必要な殺しをしないタイプだったはず。それなのに、今は違う。ティフェレトって一体何なんだ!?
「あ、ゲヴラー」
 ティフェレトの身から殺気が抜けていつものティフェレトの無表情が戻ってくる。
「何だったんだ? あいつら」
「なんかぼくの過去を知っているみたい。ぼくが欲しいらしいよ」
 ティフェレトが苦笑いする。ゲヴラーは今見たティフェレトを見ていなかったフリをして笑う。
「あー、ティフェ美人だからな」
「そういうのとはちょっと違うけれどね」
 ゲヴラーはティフェレトが殺した少年と少女を見る。もう、塵となって体の半分が消えている。これもホムンクルスってやつか……。ゲヴラーはそう思った。
 このことはケテルとホドに報告しなければ。誰か分からないがティフェレトを欲している。それと同時にティフェレトは変わり始めた。
 新たなる嵐の予感。ゲヴラーは赤い瞳を歪ませて空を睨んだ。

 ホドは軍部の方で仕事をする事が多くなった。ホドは軍にも籍を置いている。その身分は中尉。でも戦場に出たことはない。ホドは戦術予測を立てて戦いを勝利に導く作戦立案者だ。
 ネツァーが戦場で戦い勝利を掴めるのは、ホドが立てた戦術が優れたものである事を示している。
「ジューダイヤ海峡……」
 悩むホドの背後で派手に窓が割れる。木の枠がホドの傍まで飛んできた。何事? とホドが観察していると窓から男が三人侵入してきた。三人とも赤いカソック(神父服)を着ている。
「これは神父さま……どうかなさいました?」
「疑わしきは罰せよ! ってことでテメェはサヨナラだぁ! ホドクラーさまよぉ!!」
 チンピラがただ神父服を着ているだけかと最初ホドは思った。それほどガラが悪かった。
「異端審問の皆様ですか?」
 異端審問は白い神父服を着用することをホドは知っていたが言ってるセリフが異端審問のものだ。
「そのお仲間ってトコー」
 真ん中の背が低い男が笑って言った。
「私が何か、異端裁判にかけられるようなことをしましたか?」
「俺らにはカンケーないね!」
「そうですか」
 穏やかに笑った。この程度ならいっちゃった奴らが強襲してきた、でいいかな?
 ホドはそう考えて壁に立てかけてあった剣を抜いた。やっと立ち上がり、机の前に移動する。
「書類は大事なものが多いので汚さないでくださいね」
 ホドはにっこり笑うといっぺんにかかってくる男を睥睨した。
「死ねよぉお!!」
「テメぇがな」
 ホドはニッコリ笑ったまま、斬りかかってきた男に向かって腕を振った。次の瞬間には男は正確に心臓を貫かれている。
 剣を引き抜くと血が溢れた。それを見て激昂したらしい小さな男がホドの背後に回りこむ。正面にいた男は銃を構えてホドに向かって撃ってきた。
 後から迫り来る剣と前から迫り来る銃弾。回避不能と思われたとき、ホドは先ほど倒した男を盾にして銃弾を防ぎ、背後の男と切り結んだ。ホドは相変わらず笑っている。
「おのれ、ガドゥを盾に!!」
 はー、こいつガドゥって言うのかと思いながら、軽々と剣を跳ね除け、返す刃で男の首を切り裂く。
 一瞬で二人の男を絶命させたホドは笑顔のまま銃を持っている男に向かって剣を向けた。
「ひぃ!!」
 びびって後退する男にホドが笑みを漏らす。ホドが剣を下ろした瞬間、風が吹いて男の絶叫と共に血が飛び散った。
 三人の男は一瞬のうちに床に倒れ伏している。ホドは剣を一振りして血を払う。
 その頃になってようやく部下の軍人が部屋に慌しく入ってきた。
「ご無事ですか? ホドクラーさま!!」
 と言った瞬間にひっと悲鳴を上げる。
「こいつら片付けておいてくれるかな?」
 にこやかな笑顔でホドがそう言う。そう言うホドの身体には血が一滴もついていない。剣を部下にあずけるとそのまま何事もなかったかのようにホドは仕事を再開する。
 その様子に驚く部下がホドに長くついている部下にたしなめられる。それを遠くで聞きながら、カソックを来た男が襲撃してきた意味を考えた。
 あの十字架を持つのは異端審問でも特に重い罰を執行する特殊部隊だったはず。残虐性に富んだ処刑専門のチームだ。そんなのに狙われるとは。なんかしらで僕らが疑われているわけか。なんでわざわざ戦争中にしかけてくるかな、ヴァチカンも。
「お疲れ」
 はっとするとネツァーが顔を覗かせていた。
「あれ、なんでここに居るの?」
 彼女には戦場に出す船を見ているはずだった。
「船は同型のものばっかりよ? 父の時から変わってないもの。見る必要ないわ。それより、襲われたんでしょ? 誰なの?」
「僕の心配してくれたんじゃないの?」
 意外そうにホドが言う。するとネツァーはくすくす笑った。
「あんたがやられる可能性なんて低すぎるわ。今回も容赦しなかったんでしょ?」
「だって遊ぶ暇もないからね。あいにく」
 ホドは机の上に広がった書類を眺めて溜息をついた。
「シルフに頼めばよかったじゃない」
「疲れるから嫌だよ。僕がやったほうが速い」
 ホドがそう言った時、風が吹いた。
「ああ、そうだな。悪かったよ」
 ホドはネツァーが何も言っていないのにそう言って手を軽く振った。その様子を見てネツァーが笑う。
「ね、ぶっちゃけ、どうすんの? 今回の戦争」
「ん? まぁ考えてあるよ。ただ、それをどうやって陛下に認めてもらうかが問題だ」
「へー。認めてもらえないような戦い方するの?」
 二人が穏やかに話している間も戦争は行われていて、人が死んでいる。この二人の行動によって人がどれだけ死ぬかがかかっている。
「ああ。一番僕がやりたいのはね……」
 ホドはそう言ってネツァーに笑った。それを囁かれてネツァーが絶句する。
「あんた……それ……」
 黄緑色の目が悪意を含ませて哂っていた。

「なんだって!?」
 ナックは驚いた。クァイツから命じられた事が信じられなかったのもある。
「そんなんあったの!?」
「ええ。わたし達異端審問は大きく三つに分けられていて、そのうち2つが実働部隊。そのなかでも最凶って言われているのが赤い神父服を着た部隊よ」
「戦力はこっちの方が大きいけれど個人個人の戦闘力は圧倒的にあっちが大きいからコンサイスさまもティンクトラ殲滅にあの部隊の導入を決めたんだろうね」
 ネグロが穏やかに言った。
「なんで俺が残りの異端審問官全員とその特殊部隊まで支配しなきゃいけないんだ? クァイツがやるべきじゃないのか?? 俺、異端審問に入ってからの日は浅いよ」
「クァイツはたぶん手が離せないんだと思うの。まぁ、わたし達がサポートするから大丈夫」
「そうそう。さっき届いた情報なんだけれど、ホドクラー卿を強襲した特殊部隊が返り討ちにあって殺されたらしい。軍部で問題になっているそうだ」
「え!? もう??」
 ナックは顔合わせも行っていないその例の特殊部隊の行動力に驚いた。と、同時にやられたってことは戦時だし警戒されていたのか? とも考えた。
「それで、そのことについてあっちの部隊のリーダーがそれをこじ付けにホドクラー卿を異端裁判に掛ける予定らしいとのこと。まぁ、あっちはクァイツの命令もきかない連中だからナックはほっといていいんじゃないかな? ただ、邪魔されたと思われるとこっちが攻撃される可能性があるってことだけナックは覚えておけばいいと思うよ」
「そうね。で、わたしたちはどう動きましょうか?」
 ダリアの問いにナックは悩んだ。
「情報が必要だと思うんだ。ここにティンクトラが潜んでいるのは間違いないんだ。だから、ホドクラー卿が、ケゼルチェック卿が本当に噂通りの人物なのか確かめようと考えている」
「じゃ、ケゼルチェック卿と会う必要があるわけか……」
「丁度いいんじゃないかしら? 今は戦時。ホドクラー卿はケゼルチェック卿のお屋敷にいないわけだから、何とか会えるかもしれないわよ?」
 こちらが教会側ということを使えば、ケゼルチェック卿も出てこざるを得ないというわけである。
 この時代において教会の名前は絶対だ。ヴァチカンから異端者のレッテルを張られれば貴族でさえ、その場所に留まる事はできない。追放者となってしまう。
「そうだな。情報を集められたら公式書類を作成して会いに行くのがいいだろうね」
 ネグロの言葉にナックは頷いた。

「マスター、任務は失敗しました。疑似体は全て消失。生き残りは私とオクトーのみです」
 少年が跪いて報告する。その隣にはオクトーの姿もあった。
「ご苦労様、クィーンクェ、オクトー。試作体の調子はどうだった?」
「はい。記憶は戻っていないようですが、一部、印象深いものから戻りつつあるようです。記憶の有無とは関係なく戦闘経験値はいつでも引き出せていると判断しました」
 オクトーはそう言う。少年がオクタと呼んだ。でもオクトーには彼もオクタとしての記憶もない。事実が記録されているだけだ。
「恐らく記憶がまだ10%程度しか戻っていないと考えられます」
「彼がこちらに戻ってこないのと、初期化を解いたのになかなか記憶が戻らないのは何故だろう?」
 それに答えようとした少年より先に別の声が響く。
「現在の状態に満足しているからだと思われます」
「彼の身の回りにいる人間を消去する必要があると考えます」
「ノウェム、ウースス」
 マスターと呼ばれた男が二人の名前を呼んだ。
「しかし、マスターが何故試作体ナンバー20に拘るのか、私には分かりません。能力ではわたし達より劣っているはずです。処分した方が早いのでは?」
「違うんだよ、クァツトゥオル。彼には特別なプログラムを仕込んだ。それを君たちに入れるには彼が必要なんだ。彼の身体と魂にしか魔方陣が残っていないからね」
「特別……?」
 いつの間にかこの部屋の中にはマスターと呼ばれる男の他に十人の少年少女が集まっている。マスターはそれを眺めて、微笑んだ。
「ウーススの言う事ももっともだ。彼には一年間、堕落させた日々を過ごさせてしまった。それがいけなかったのかもしれないね。今更人間になんてなれるはずはないのに、試作体はどいつも人間になりたがった。きっと彼もそうなんだろう。目を覚まさせてやる必要がある」
「なんなりとご命令を」
「彼の身の回りにいる者はちゃんと把握している。そうだな……セクス、セプテム!」
「はっ!」
「こいつらを消してきてくれ」
 その命令を聞いたのは黒い髪をした同じ姿をした二人の子ども。黒い髪は青色を含んでおり、どちらかといえば濃紺の髪に見える。そんな髪色は当然自然には存在するはずはない。目は片方が緑。もう片方が赤色というこれまた普通の人間とは思えないものだった。
 二人の子供は目の色がお互い左右逆なだけで他に違うところは一つも見られない。二人の年齢は10歳位に見えるほど幼い。
「了解しました」
「了解しました」
 声も同じ。一卵性双生児のような二人は同じ表情をして部屋を退出する。二人の子供が消えた後で意地悪く別の声が笑った。
「マスター、あいつらで大丈夫ですか?」
「どういう意味かな? デケム」
「あいつ等だけで殺せますかね? この双子」
 少年はそう言って、紙に記されている似顔絵を指した。紙の似顔絵には先ほどの子供と同じように全く同じ顔をした二人の少女、もしくは少年が描かれている。水色の髪を二つに結んでいる。
「そういうお前ならできるのか?」
「もちろんさ、トレス」
「だそうです、行かせてやったらどうですか? マスター」
「では、デケム。君はドゥオと共にこの二人の抹殺を頼もう」
 別の書類をそれぞれマスターの前に進み出た二人に渡す。
「あ、会いましたよ、この男」
 クィーンクェと呼ばれていた少年がドゥオという少年に囁いた。
「強かったですよ。疑似体を一瞬で消しましたからね。外見といい、彼が居る状況は普通の人間の集団ではない可能性がありますね」
 紙に描かれた似顔絵は白い髪に赤い目の男のものだった。
「この男なら試作体と共に行動しています」
「こっちの女は?」
「見かけたことはありませんね」
 デケムという少年が手にした紙には青い目に鳶色の髪の毛をした女が描かれている。
「しかし、マスター。いいのですか? 現状況ではマスターは戦争に参加しなくてはいけないのでは?」
「麗しい我が上司が私に戦力外通告を出してくれたからもうしばらく自由に過ごしてよさそうだ」
 そう言ってマスター、いやティティス・アバル・ギブアルベーニは微笑んだ。
「まずは彼、いや個体ナンバー20を手に入れないと何も始まらない。大丈夫さ。彼は私の元に戻ってこざるを得ない。その時は彼女も私のものになるだろうさ」
 ここはティティスに与えられた軍の研究室。そこにはティティスと信用を寄せた研究員以外は立ち入る事ができない。結界と呼ばれる魔法がかけられている。
 壁際には一面、人が一人悠に入るくらいの円筒形のものが並んでいる。床にはチョークで書かれた魔法陣が多数残されていて、まさしく魔法の研究室だ。
 四人の少年少女が部屋を退出し、今居るのはティティスと三人の少年と三人の少女だ。年齢は成人に近い者が多いようで、ティティスと同じくらいの身長の者が多い。
「個体ナンバー20。我々の完成の鍵を握る唯一の試作体生き残り」
「その特殊なプログラムを我々が手に入れたとき、試作体はどうするんですか?」
 黒髪の少女がティティスに尋ねた。
「ん?どうしようか……。私に従順なようなら使ってやってもいいが、基本的に試作体は処分だね」
「処分ですか」
「どうした? ノウェム」
「いえ」
 首を振ってノウェムはその赤い目を閉じた。