TINCTORA 014

048

 ケセドはいつもホドの秘書のような仕事をして日々を過ごしている。ケテルにそう命じられたからだ。ケテルが望んだ生命、ケテルのためにしか使わない。
 ケセドは既に死んでいる。死体を拾ったケテルの言う事しか聞かない。それがケセドの唯一自分で決めたことだった。
 ホドは多忙な身の上だった。ホドの仕事の一部はケセドが肩代わりできる物が多かったから事務的処理を行う事になんら苦痛はなかった。
 しかし今はその仕事より優先しなければいけない任務がある。ケセドはこれから隣国リュードベリ帝國へと赴く。そこでしなければならないことがあるからだ。
 だから普段ケゼルチェックの屋敷から外出しないケセドが外出していた事は不幸だったのかもしれない。
「あなたは、ナリア・C・アナマイズさんですね?」
 ケセドが無言で声をした方に振り返る。すると其処には誰の姿もない。代わりに背後、しかもすぐ傍で男の囁き声がした。
「返答は?」
「貴方のお名前はなんでしょうか」
「先ず先に自分の名を名乗れ、ということですか?」
「いえ。私は自分の名前を他人に名乗れるほど偉い身分ではありません。私は貴方の返答次第で貴方の目的が見える、そう考えました」
「……随分正直な方だ。私はプロジェクト・ドール、プロダクションナンバー2、個体識別名はドゥオと申します。ドゥオと、呼んでください」
「では、ドゥオさん。私に貴方のような知り合いは居なかったと記憶しております。これが初対面だと思いますが、私に何の御用なのでしょうか」
 ケセドは背後に感じる気配に殺気が混じっていても動じない。
「これで、わかっていただけたでしょうか?」
 ひやり。そう言い表せるような冷たいナイフの感触が首に押し当てられる。
「私は何か貴方にご迷惑を掛けましたでしょうか?」
「はい。とても些細なことではありますが、貴方が抹殺対象になった時点で私は貴方を探す手間と殺す手間がかかります。強いて言わせていただけば、それが迷惑行為です」
「なるほど。私はそんなところで貴方にご迷惑をお掛けしましたか。申し訳ありません。お詫び申し上げさせていただきます。が、一つだけ申し上げましょう。貴方は私を殺せません」
 ナイフが首に食い込み赤い筋となって血が流れる。
「この状況でもそう仰いますか?」
「ええ。なぜなら私はすでに死んでいるからです」
 ケセドが静かに答え、手を胸に当てた。ドゥオはしばらくそのままで見ていたが、ケセドが胸から放した手には白い鍵が握られていた。胸にポケットがあるようには見えなかったが鍵でどうしようかと言うのだろう。
 ケセドはあくまで静かに、そしてゆっくりと鍵を右に回した。まるで何もない空中に扉があるのだと言わんばかりに。
『オープン』
 その瞬間に首に押し当てたナイフから血がほとばしる。先程より激しく血が流れ出したのだ。
 それだけではない。いつの間にか、植物のような蔓のような物体がいくつも地面から立ち上がり、ドゥオを拘束しようと伸びてきている。
「っく!」
 ナイフで辛うじて植物を払い、ドゥオは跳び上がった。ケセドは静かにそれを目で追い、白い鍵を持つ手を止める。
「植物系の魔法!?」
「プロジェクト・ドール。先程そう仰いましたね? そう記憶しております。それは何ですか?」
 ケセドは静かに事務的に問うた。
「いずれ死ぬ貴方には関係のない事だと思いますよ!」
 一瞬の加速。これで首を切り裂けば、勝ったも同然だ。そうドゥオが思ったとき、首を狙ったナイフが止まった事に気づいた。植物の蔓がナイフを絡め取っている。
「!」
 何故だ!? この女はキリングドールの加速に目が追いつくとでも言うのか? しかも植物など速度で絶対に勝てないはずの魔法で何故?
 しかもドゥオ自身ケセドの魔法発動を見ることはできなかった。もしや、この女は自分より早く魔法を形成するのか? 賢者でも不可能だ。
「いえ、先程も訂正させて頂きましたが、私はもう死んでいますのでその発言は無意味です」
 ドゥオは気づくことができなかったがケセドの白い鍵を持つ手は先程とは角度が違っている。腕を回された角度が大きくなっているのだ。
 もともとケセドは身を守る手段も攻撃する手段も持ち合わせていない。そのケセドの為にビナーが授けた魔法が限定魔法だ。オールマイティに魔法を全て扱える賢者のコクマー、ビナーとは違い、ある種に限定した魔法だけを使う。
 ビナーがケセドの魔法に対する特質を活かし、与えた魔法を普通の魔法使いに引けをとらない最上級のものに仕上げた結果、おそらくケセドにこの分野の魔法で敵う者はいない。
 ケセドとビナー。二人が組んだ事によって生じたケセドのみに許された最強の限定魔法、それが時間魔法だ。
 ケセドは時間魔法を賢者より誰より使いこなすことに長けている。
「この加速度は日々鍛えていただいておりますので対応は可能です」
「何? 試作体が協力だと?」
「……試作体? 私はそのようなことは申しておりませんが?」
「っ! ……あなた方がティフェレトと呼ぶモノだ」
「ティフェレトですか。あなた方はティフェレトと同じ存在、そういうことですか。なるほど……これは我が主がとても興味を持たれます。よって少々考えを改めさせていただきましょう」
 ケセドは事務的に分析し終わったのか、もう片方の手で胸を押さえる。ドゥオが動かないうちにその手に握られていたものは黒い鍵だった。但しデザインは白い鍵と多少異なる。白い鍵に比べて黒い鍵の方が短いのだ。
 黒い鍵を握った手でケセドは腰につけていたポーチから小さな粒のようなものを地面に蒔く。ドゥオはこれが植物の魔法の種だ、と確信した。
「失礼ですが貴方を捕獲させていただき、我が主の下に持ち帰ります」
「なんだと?」
 絶対的な力と速度を誇るキリングドール相手にこの女は勝つ気でいるのだ。
『範囲指定完了。空間隔絶完了。オープン』
 ケセドが静かに呟いた瞬間、ドゥオはケセドの黒い鍵が左に大幅に巻かれたことを見、そして自分の体が勝手に動き出していることを知った。
「何だ!?」
 しかしドゥオの声は響かない。絡められた植物が地面に消えていき、ドゥオの体がナイフを引き戻し、加速して後退する。その後、ドゥオが払ったはずの植物が千切れた状態から再びドゥオのナイフと接触して蔓に戻っていく。
 ドゥオは自分の体が勝手にナイフを操り、飛び上がることに驚愕した。ケセドの方にわずかに視線を向けると、最初に傷つけた首から血が、なんと戻り始めている。
「この女、時を戻しているだと!?」
 またしてもその声は響かない。それもそのはず、ケセドは自分を含め時間をそのまま戻した。先程とは違う行動をケセドもドゥオも取ることは叶わない。それが時間の絶対摂理。
 そのままドゥオはケセドの背後に戻り、首筋にナイフを当てていた。そこまで時間が、いや二人の行動が戻った瞬間にケセドの黒い鍵が光を失う。今まで鍵がわずかに光っていたことすら気づかなかった。
『黒鍵(こっけん)状態維持。白鍵(はっけん)範囲指定完了。再度、オープン』
 白い鍵が右に回されたとき、勢い良くドゥオの体に太い幹位の蔓が全身に巻き付いた。植物はドゥオの動きを完全に封じた。指の一本さえ、自由に動かせない。
『白鍵、クローズ』
 ケセドの呟きに呼応して白い鍵が塵となって消えうせる。
「捕獲完了」
(こんな簡単に捕まってしまうとは! この女、時間魔法を操るだと!!?)
 魔法の中でも時間を操る魔法は最も難易度が高いとされ、一般的な魔法使いは使うことができないと言われている。その時間魔法を容易く扱うケセドにドゥオは恐怖した。
「申し訳ないのですが、こちらを飲んでいただけませんか?」
 ケセドが差し出したのは何かの植物の種のようだ。
「何かもわからないのに飲むと思います?」
「それもそうです。ですがこちらの説明をしている暇があいにくありません。飲んでいただければ助かります」
 ドゥオはなんとかこの蔓を切り裂けやしないか、逃げる方法はないか探ったがびくともしない。
「飲んではいただけないのでしょうか? では……仕方ありません。少々、痛みますが、無理矢理入れさせていただくことになります。ご了承ください」
 ケセドはそう言って、無表情にドゥオの手からナイフを取り上げると、ドゥオの額に突き立てた。
「うわああああ!!」
 激しい痛みと熱さがドゥオの全身を駆け抜ける。ケセドは無表情のまま何度も何度もドゥオの額にナイフを突き立て続けた。その度に血が派手に飛び散る。
 ガッ、ガッ、ガッ、ガッと頭をナイフで抉られるたびにドゥオの体が揺さぶられた。何度ナイフを打ち付けられたことか、しかし最後の一撃は強烈でドゥオは絶叫せざるをえなかった。
 ケセドが何度もナイフを突き立てていたのはドゥオの頭蓋骨を割るためだったのだ。
 ドゥオは頭蓋骨を麻酔も無しで割られ、痛みに悶絶し、発狂寸前まで精神を追い詰められた。しかしケセドが行った行動はそれだけに止まらない。割れた頭蓋骨の間に指を突っ込まれ、そこでドゥオは痛みと恐怖に失神した。
 脳の間にケセドは先程の種を埋め込み、指を抜くと静かに黒い鍵を回した。みるみるうちにドゥオの傷がふさがっていく。
『黒鍵、クローズ』
 ケセドはそう言うと、足元に鮮やかな青色の魔法陣を展開させる。
「マルクト、聞こえますか? こちらに来ていただきたいのですが」
「はい。お願いします」
 たった三言、言っただけで魔法陣は光を失う。しかしそれと同じ場所で緑色の鮮やかな光が再び魔法陣を象り現れた。
「何の用? オレら急いでんだけど?」
「……イェソド。マルクトと交替したのですか?」
「ああ。ってオマエも狙われたのか」
 イェソドが倒れているドゥオを見て言った。ケセドも二人が連れている子供を見て頷いた。
「ティフェレト。それが目的のようです。こちらには脳に直接タイプの種を埋め込みました。ホドとケテルなら種の使い方を知っています。ホドに引き渡していただけますか? 私はこれからリュードベリに向かわなくてはならないので」
「わかった。しかし種を頭に直接埋め込むなんて、お前、本当に『慈悲』なのか? 疑っちゃうよ。無表情で普通にグロいことするからさ。オマエもゲヴラーと同類だよ」
 イェソドはからかうように言って、ドゥオの身体を子供のそばに寄せる。
「私は最初に飲むように勧めましたが聞き入れてくださいませんでしたので」
「……最初に言っておいた時点で痛みを覚悟できるから慈悲を与えた、とでも言いたい? とんだ慈悲だぜ。まぁいいや。ホドに渡すんだね?」
「はい」
「じゃ、任務失敗すんなよ」
 緑色の魔法陣に五人の人が飲まれていく。
 姿が完全に消えたのを見送ってケセドは歩き出した。彼女には彼女にしかできない役目を果たすために。

 ティフェレトとゲヴラーはようやくホドとネツァーがいる通称海軍第一基地の近くまできていた。ゲヴラーの頭髪と瞳の色、それに加えてティフェレトの美貌は良くも悪くも注目を集める。それを嫌う二人はわざわざ森林や使われない道ばかりを通ってきたのでいままで楽に二人きりの旅を続けられた。
 本来ならば馬車を使っても結構な距離がかかる道のりがあるのだが二人の脚力は普通の人の何倍もあるのでわずか一日半の行程となった。できるだけ直線距離で進んでいたせいもあるだろう。
 だが、それは時として敵に格好の戦闘場所を与えてしまう。またしても二人は自分たちとそう歳も変わらない少年少女の相手をせざるを得なくなった。
「この前からよぉ、なんで俺達の目の前に出てくんだよ、てめえ等」
 ゲヴラーが怒りを露にした声で叫んだ。テォフェレトは無表情を崩さず、音もなくナイフを抜いた。
「なんだよ、お前。その目……人間じゃねーだろ?」
 無遠慮というか、ゲヴラーが気にしていることを堂々と少年が訊いた。
「化け物ってヤツぅ?」
 明らかな挑発。ゲヴラーは挑発されれば黙っているタイプではない。売られた喧嘩は買うタイプであり、三倍返しは基本中の基本と豪語するタイプでもあった。
「テメェ……よっぽど死に急いでんなぁ? 生命は大事にしろよぉ?」
 ゲヴラーの全身から殺気が溢れ出す。ティフェレトは向かい合う二人を冷静に眺めた。ティフェレトの瞳が二人から離れ、周りの他の気配に向けられた。冷静にどうするか考えているのだろう。
「目標ブツ見っけ! ヒャア!」
 少年はティフェレトの方に顔ごとその視線を向けると、次の瞬間姿が掻き消える。
「ティフェ!」
 ゲヴラーの声が響いた時には、ティフェレトのナイフと少年のナイフがぶつかり合ったまま、力に押されてティフェレトが後ろの方にすっ飛ばされた。
「くっ!」
 ティフェレトが一瞬でゲヴラーと離され、目の前には戦いを欲する少年の瞳だけがあった。
「何なの!」
 少年の攻撃を避けるうちにどんどんゲヴラーと離され、ゲヴラーの姿も声も認識できない位置まで後退していた。敵の目的は二人を離して各個攻撃することだろう。まんまと敵の思うままに進んでしまった。
 ゲヴラーなら負けることはないだろうが、こちらも散歩をしていたというわけでもない。ゲヴラーと合流した方が効率もいい。
「デケム。貴方の任務は赤目だったはず。なぜ彼と交戦しているのです?」
 ティフェレトは舌打ちをして辺りを見回した。いつの間にか敵の気配が増えている。目的は自分だったのだ。この前と同じことをしてしまった。うかつだった。
「固いこと言うなって。マスターは俺に自由にしろって言ったんだ。構わねぇだろ? それに……俺も試作体との交戦データが欲しいんだよ!」
「赤目を舐めない方がいいわ。アレは強い。ウースス、疑似体はすべて赤目に向かわせた方がいい。でないとこちらの任務に支障をきたす恐れがある」
「同感だ」
「この前戦闘したお前たちが言うのだからそうなのだろう。行け」
 何十とあった気配が離れていく。残りは何人だ、とティフェレトが感じる前に敵はティフェレトの前に降り立った。その数は七人。少年もいれば少女もいる。
「抵抗しないでこちらに来ればとてもありがたい」
「誰?」
 ティフェレトは恐らくこのチームのリーダーの少年に尋ねた。少年といっても絶対ティフェレトより年上だろうが、ティフェレトはこの目の前に立ちはだかる者たちが何者かわかっていた。
「プロジェクト・ドール、プロダクションナンバー1、個体識別名はウースス」
 そう言う少年は灰色の頭髪に灰色の目、褐色の肌をしていた。背はティフェレトより頭二つ分高く、体つきもがっしりしていた。腰には長い剣を差している。
「プロジェクト・ドール、プロダクションナンバー3、個体識別名はトレス」
 そう言ったのは少女で金髪に紫色の瞳をした、通常ではありえない相の女であった。
「プロジェクト・ドール、プロダクションナンバー4、個体識別名はクァツトゥオル。」
 白髪に黒い目の少年だ。ティフェレトよりも背は高い。彼がこの中で一番の長身のようだ。
「プロジェクト・ドール、プロダクションナンバー5、個体識別名はクィーンクェ。この前一瞬だけお見かけしましたよ」
 黒髪に黒い目。ティフェレトと同じくらいの身長の少年はニコっと笑った。
「自己紹介は必要ないだろう。この前した」
 そう言ったのはオクトーだ。彼女が居る事にティフェレトは眉をひそめた。
「プロジェクト・ドール、プロダクションナンバー9、個体識別名はノウェムと言います」
 ティフェレトはその少女を見て一瞬、息が止まった。赤い瞳。黒く長い髪。知っている気がした。そんなはずはない。ティフェレトは思考からのノウェムを追い出した。
「で、最後は俺、ナンバー10。個体識別名はデケムだ!」
 褐色の肌に色素の薄い金髪、それに見合う薄い青い瞳。この中で一番の美形だった。
 七人のキリングドールがティフェレトを囲むように立ちふさがる。この前オクトーと戦闘したときのことを思い出す。速さが自分と同じ、もしくはそれ以上の人間が七人。こちらは一人。敵わない!
「マスター。そう言って思い出す人物はいるか?」
 ウーススがティフェレトに訊いた。ティフェレトは素直に首を横に振る。頭の中では必死にどうやって逃げ出すかを考えていた。それと同時に別の声が頭の中で響いている。
 ――逃げる? 中途半端だな。殺してしまえばいいじゃないか。
「お前、自分の名前を言えるか?」
 今度はトレスと言った少女が訊く。
「ティフェレト。ぼくはティフェレトだ! それ以外なんでもない」
「違う」
 まるで押さえつけるようにウーススが低い声で言い放つ。
「違うぞ。お前は第一期プロジェクト・ドールで生み出された試作体。トライアルナンバー20。20番目のキリングドール!思い出せ!!」
「違う! ぼくは……」
 激しい頭痛がした。気づくと呻いて頭を抱え込み、膝を地についていた。
 こんな無防備の姿なのにイキリングドールたちは何もしてこない。ただ様子を見守り、ティフェレトの記憶を思い出させようとしている。
 ティフェレトは必死に思い出したくないと念じた。
 ――世界が、壊れてしまう。ケテル……。
「イコサ」
「っ!!」
 全身の血がざわついた。その声に、その名前に躯という器が反応する。ティフェレトは視線を上げた。目の前にいつの間にかノウェムが跪いてティフェレトを覗き込んでいる。
「やめろ」
「貴方の名前。偽りのティフェレトなんかじゃない。貴方の本当の名前。教えてあげましょう。トライアルナンバー20。20番目の試作体。イコサ・キリングドール。……貴方の名前は」
 ノウェムが耳元で囁く。
「イコサ」
(イコサ)
(信じてる)
「うわああああああ!!!」
(イコサ、助けて)
(イコサ)
(イコサ)
「やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ」
 がむしゃらに振り払った右手の先にノウェムはもういない。すっと軽く跳び上がってティフェレトの手の届かないところに逃げている。
 ――なんなんだ、壊さないで、ぼくの世界を!
 ――なら、殺してしまえばいいんだ。帰っておいで。さあ!!
「なんなんだ。お前等」
 ゆらりと立ち上がるティフェレトの姿は長い前髪に隠されてその表情が読めなくなっている。
「俺に何をしたいんだ」
「私が行きます、ウースス」
 オクトーが降り立った。その傍にデケムも降り立つ。
「これ以上、俺に何をするんだって訊いてんだよ!」
 刹那、ティフェレトの体が掻き消える。一瞬の加速の果てに響き渡る金属の接触音。まるで音楽のように連続的に聞こえる、しかし耳障りでもある金属音はティフェレトとオクトーのもの。
 突如始まった戦闘行為に残りのキリングドールも臨戦態勢に入った。通常の人間には絶対に見ることの敵わない瞬間的な攻防。
 暗く沈んだティフェレトの青い瞳は感情を映さない。殺気が膨れ上がる。
「調子乗ってんじゃねぇぞ!」
 デケムもその神速の戦いに参戦する。ティフェレトが威嚇するかのように短く息を吐いてデケムのナイフを自分のナイフで受け止めた。受け止めた瞬間に跳ね上がる脚がデケムの横顔に直撃し、デケムの体が後方に吹っ飛ばされる。
「死んじまえ!」
 ティフェレトがそう叫び、オクトーの腹にティフェレトの手刀が突き刺さった。それを判断できたウーススが指示を送り、残り全員のキリングドールが一気にティフェレトに向かう。
 ティフェレトはそれを確認して跳躍、一番最初にティフェレトに追いついたクァツトゥオルを蹴り飛ばす。しかしその攻撃の時間こそが致命的な時間のロス。ティフェレトは背後からウースス、クィーンクェの攻撃を受け、激しく地面に叩きつけられた。
「っぐぁあ!!」
 衝撃で息が止まる。ティフェレトはすぐさま立ち上がろうとしたとき、既に遅く八方向から投げられているナイフを回避することができなかった。
「あああっ!」
 脚を腕をナイフが地面と繋ぎ止める。凄まじい速さで投げられたナイフは刃の部分だけではなくて柄の部分までティフェレトの身体に突き刺さっていた。クィーンクェが止めとばかりに柄まで刺さっているナイフを足で踏みつけ、完全にティフェレトを地面とつなぎ合わせた。
 地に磔になったティフェレトは痛みに体が痙攣を始める。
「いいんですか? ウースス。生命を残さないと魔法陣は手に入りませんよ」
「記憶が完全に戻っていないんだ。無傷で手に入れられないさ」
 ティフェレトは痛みに呻き、そして怨嗟を吐き続ける。
「では、始めようか。皆、マスターから頂いた魔法陣はちゃんと引き出せるな?」
「了解」
 磔になっているティフェレトに跨ってクィーンクェが顔を近づける。そのまま睨み上げる目を見下してクィーンクェは微笑みながらティフェレトの顎を固定して口づけた。
「んっ!」
 眉を激しく寄せてティフェレトが嫌がる。しかし固定された顔が動かず、口づけを受ける破目になる。その時ティフェレトの額で魔法陣が浮かび上がる。
 色は青白く一般的な魔法使いが行う色をしていた。それを確認するとクィーンクェがティフェレトを開放する。続いてウーススが同様にしてティフェレトに口づけた。
「魔法写しってなんで口づけなんだろうな。面倒だよな」
 デケムはもともとゲヴラーの削除を命令されていたため魔法陣を持っていないが他のキリングドールは記憶復元のための膨大な魔法陣をそれぞれマスターから与えられ、ティフェレトに口付ける事でティフェレトに魔法陣を写し、ティフェレトの中で魔法陣を復元、発動させる。
 これは古い時代に魔法使いが自分の身の安全を確保した上で大掛かりな魔法を使う際に用いられてきた方法だ。
「マスターは誰を依り代に選んだんだ?」
「オクトーだよ。彼女が一番魔法耐性があるから」
 現在ティフェレトは頭上から覗き込まれたノウェムによって両手で顎を固定され、彼女の口づけを受けている。
 口から口を伝って魔法がティフェレトに流れ込み、分割されて運ばれた魔法は徐々にその効力を発揮するために魔法が形成されていく。