TINCTORA 015

15.覚醒するもの

051

 隣を覗き込めば空になっているベッド。寒いと感じて起きた原因は、きっとあの窓だ。
「さむ」
 ケテルは窓の傍に立って、窓を閉めようかと手を掛けてふっと止まった。
「……ティフェ?」
 どうしていないの? 窓が開け放されているってことは……彼が出かけたということだ。だからベッドも空なんだ。
 いつものことだ。そう思いたいのに、不安がさいなむ。
 世界が壊れるといって泣いた彼を放っておけない。夜空に浮かぶ白銀の月。いつもは美しいと思えるそれが今晩のケテルにはとても不気味に映った。
 月を一睨みするときびすを返してケテルは部屋を出た。
「どうしたんだよ? ケテル」
 サロンを覗くとまだゲヴラーとイェソドたちが起きていた。星と月の位置からそんなにまだ宵の刻ではないんだろう。
「ティフェ、知らない?」
「出かけたの?」
 イェソドが問う。ケテルは頷いた。
「こっちには来てないぜ。ティフェは夜に徘徊癖があるからそのうち帰ってくんじゃねーの?」
「だと、いいんだけど……」
 不安そうなケテルにイェソドがマルクトを見て頷く。
「探そうか? マルクトなら大体の位置はつかめるし」
「いや……いいんだけど……」
 寂しい夜だ。ケテルはそう思った。いつもいるぬくもりがない。ホドもいない。
 この屋敷に音がない。ホドが夜遅くまで仕事する音も、コクマーとビナーが静かに酒盛りする気配もティフェレトの健やかな寝息も聞こえない。
 ゲヴラーとイェソド、マルクトは人間じゃないから気配が基本的に違うんだ。
「寝れねーの?」
 それでも、赤い瞳は優しい。誰もが気味悪がるその目がケテルは結構好きだ。感情をはっきり映す目は安心できる。
 ゲヴラーは彼自身が思っているよりずっと人間らしくて、優しいんだ。
「ティフェがいないから目が覚めて……探しているうちに冴えちゃったんだよ」
「じゃ、ここで一緒に帰ってくるまで遊ぼうぜ? お前はそれから寝ればいいじゃん」
「さんせー。ゲヴラー静かだからつまんないんだもん」
 イェソドがそう言って伸びをする。
「テメー、なんだと?」
 ゲヴラーたちは静寂を苦としない。音が聞こえない圧迫されるような沈黙が彼らには恐怖ではない。ケテルは首を振った。
 もう、独りじゃない。一緒にいてくれる仲間を見つけたじゃないか。
「そうだね。それもいい」
 ケテルがそう言ってゲヴラーの隣に腰を下ろした瞬間、ケテルの身の内で一瞬血が沸騰するような、目がチカチカとスパークするような感覚に襲われた。そこで聞こえるはずのない絶叫を聞く。
「ティフェ!!」
 立ち上がったケテルを見てゲヴラーが悟ったようだ。
「行かなきゃ!」
 目を見開いたまま行動に移そうとしたケテルの腕をゲヴラーとイェソドが掴む。
「ダメだ!」
「行っちゃダメ!」
 その手を振り払ってケテルは叫んだ。
「行かなきゃ! ティフェがっ!!」
 ケテルの姿が白く発光する。余りの眩しさに残された三人は目を覆った。白い光が強すぎて、ケテルの姿を見失い、光の消失と共にケテルの姿もまた、消えていた。
「ケテル……!!」
 ゲヴラーが呆然として呟いた。イェソドも驚いている。
「クソっ! 追うぞ!」
「了解」
 床に赤と緑の魔法陣がまるで花のように咲いた。

 苦悶を重ねるティフェレトはその場についに倒れこんだ。敵であるはずのナックでさえその姿に同情せずにはいられない位、彼は苦しそうだ。
 薄目からは涙が浮かんでいる。血を吐き続け、魔法の発動を必死に抑えている。
「あっ、アガっ!」
 ティフェレトが眼を爛々と黄色に輝かせたまま、苦しげに呻く。押し留めることのできない魔力の解放は抵抗するティフェレトの体を苛む。
 その証拠にティフェレトの口からは幾筋の血が垂れ、とめどなく吐き出される。魔力によって生じる風圧がティフェレトの短い黒髪を洋服を激しくはためかせていた。
 ティフェレトは必死に力を抑えようと、土に爪を立てる。ガリガリと無駄に爪をひっかき、その手のそばに新たに血が一滴、二滴と落ちた。
 苦しがるティフェレトをただ呆然と見つめるしかないナック。その様子を満足そうに眺める男。
 男は魔法陣を新たに喚起し、再び一編成された軍人が現れた。ただ、その軍人たちも目の前の光景に戸惑っているようだった。
「さあ、もっと見せておくれ、イコサ」
「いや……」
 しかし男に応えるように魔力がまた溢れ出す。ティフェレトはもう何度目か再び絶叫した。これは何の罰なのか。人を殺すように強制される人間の想いを汲み取れる人間はこの場にはいないのだろうか。
「イヤだァァァァ!!!」
 その瞬間、ティフェレトの周りの地面が真っ白な閃光に照らされる。その場所から太陽が出てきたとでもいうくらいの圧倒的な光量。夜を昼に塗り替えて、白い輝きはその場のすべてを断罪するように、空間を切り裂いていく。
 男が軽く驚いて目を覆う。ナックはようやく強い光に焼けた視界が戻ってきたことを確認して、ティフェレトの方向を見た。
 そのころには圧倒的な光は徐々に薄れて、辺りが見えるようになっていた。
 現れたのは一人の人影。よくよく光が収まってみればそれは真っ白な光の移動魔法陣。
 現れた人はまず跪いて、呻くティフェレトを抱きしめた。
 ティフェレトは魔力を制御できずにガクガク震え続けている。溢れる魔法が現れた人物を容赦なくを切り刻む。
 真っ白な外套を着たその人物は一瞬で外套を赤く染められたにも関わらず、怯む事なくティフェレトを抱きしめ続けた。
「しっかりしろ、ティフェ!」
 ティフェレトはその人物を知っているようだ。すがる様に自分から抱きついていく。だが極度の混乱状態のために、言っていることが先ほどから述べている否定の言葉だけだ。
「俺じゃない、俺じゃないんだ!」
「君じゃない! だから、ティフェ!」
 突然魔法を終わらせようとする人物に男が怒鳴った。
「邪魔をするのか、貴様!!」
 長い栗色の髪が肩からこぼれ、空色の瞳が真っ直ぐに男を射抜いた。次にまた地面が発光する。しかし今度は白ではなく、真っ赤な魔法陣から二人の人影が現れる。
「ティフェっ!」
 現れた男が叫ぶ。未だにティフェレトの魔力は収まることはない。この場を満たすのはティフェレトの魔力だ。栗色の髪の少年はティフェレトを抱きしめ続け、魔力を抑えようとしている。
「赤い目の男……」
 ナックは呟いた。現れたのはゲヴラーだ。そしてもう一人、双子の片割れ。
「ゲヴラー、イェソド、ここにいる者を全員殺せ!」
 栗色の髪の少年はその外見に似合わない残虐な言葉を吐いた。ティフェレトを落ち着かせるために少年はティフェレトの耳元に口を寄せる。
「俺じゃない、俺じゃない、俺じゃない、俺じゃない」
 繰り返しティフェレトは叫ぶ。わかっているよ、と少年は言った。
「引きこもっていたのはやはり演技、というわけかっ!?」
 男が呪いがこもったような低い声で言い放つ。
「今、お前の相手をしている暇はないんだよ、ティティス!」
 まるで睨み殺さんばかりの鋭い眼光が男に向けられた。そして少年が言い放つ。
「この借りはいずれまた、お前のすべてで支払ってもらう!」
「ほざけ! 私は貴様からすべてを奪いにゆくからなっ!!」
「てめぇ、よくもティフェを! イェソドっ」
 ゲヴラーが叫ぶ。もう一人は赤紫色の瞳をして、ナックと会ったときとは別人のように頷いた。
「わかってるってぇ」
「許さないかんな!」
 ゲヴラーの血の粛然が始まった。それを確認して少年は叫ぶティフェレトの口に己の指を突っ込んだ。
 黄色い目は焦点を結んでおらず、目の前の少年の姿でさえ、映っていないに違いない。
 精神状態がまともではないティフェレトは叫び、抵抗して思い切り指が噛みきられ、赤い血がティフェレトの口腔に溢れる。
 少年は少し顔をしかめただけでされるに任せる。するとティフェレトの暴走ぎみの魔力とは別に静かな魔力が微かに感じられた。
『鎮まれ』
 少年が姿に似合わぬ低い声で呟いた瞬間、劇的な変化が起きた。溢れる魔力が暴走を止め、ティフェレトは叫びを止めて気を失った。
 それを確認して少年はティフェレトを抱き上げ、叫んだ。
「マルクト!」
 それに応えるかのように足元で緑の魔法陣が発光する。ナックはこの暴走するティフェレトを一瞬で抑えこんだ少年の存在を唐突に理解した。
「お前が、ティンクトラの主、ケテル……か?」
 少年は初めてナックを見、一瞥すると無言で魔法陣の中に消えていった。ナックにはその無言が肯定であったと理解できた。
 ゲヴラーはまず男に斬りかかる。男はすっと再び魔法陣の中に消え去り、残された軍人がおろおろしている最中にどんどん血の虐殺が繰り広げられていく。
 イェソドの分解能力によって戦車はその場でただの鉄クズと成り果て、ゲヴラーによって残りの人間さえもただの肉塊に変えられていく。
 おぞましさと恐怖にナックは顔をしかめた。先ほどまでの騒ぎはなんだったのか、首謀者であろう男が消え、騒ぎの原因であるティフェレトがまたいなくなったことで、辺りは静かになり、虐殺者のゲヴラーの赤い瞳がナックに向けられた。
「お前、さっきのヤツらの仲間か? ……なら、お前もキラも殺すっ!」
 イェソドも無言でナックを見下した。
「違う!」
「じゃ、なんでここにいる?」
「俺はあんなヤツら知らない!」
「でも、ケテルはこの場にいる全員を殺せって言った。殺してもいーんじゃない?」
 イェソドが言った瞬間、ゲヴラーの瞳に殺意が宿ったのを伺えて、ナックは自分の死を予感した。その瞬間、二人の足元が白く発光する。
「えっ!?」
「まさか!」
 ナックの目の前で二人の姿が消えていく。これは魔法陣による強制移動。召喚が予想外だったのか驚きの表情を浮かべたまま、二人はナックの前から姿を消した。
 ナックは今見たことが夢でないか疑わしいほどだった。でも最初に現れた少女の攻撃で自分がいまだに動けないのも事実。
「ティンクトラはケゼルチェック卿が……?」
 こんな偶然はありえないだろう。ケテルと呼ばれた少年が、ケゼルチェック公爵であることは間違いないだろう。では……この国は! ホドクラー卿もヴァトリア将軍もティンクトラの一員なら。
「なんなんだ、奴らの目的は?」

 軍部で将軍と軍師による密かな話し合いが冗談交じりに語られている夜、そろそろお休みくださいといいに来た部下の目の前で将軍と軍師は白い光に包まれて消えた。
 また別の場所で密談を行っていた男女の間で突然白い光と共に女が消える。

 倒れこみ半ば錯乱状況である少年とそれを必死に抱きかかえ、元に戻そうとする少年。その二人を囲んで突然の状況に何もできない8人の仲間。
「これは……!」
 口を閉ざすビナー。
「どうしちゃったの??」
 混乱するネツァー。ケテルに押さえつけられた身体をじたばたと抵抗するかのように動かし、口からは血を、目からは涙を流すティフェレトの姿に誰もが驚きを隠せない。
 しかもその目はこの場にいる誰もが知らない、黄色に輝いているのだ。
「コクマー、ビナー! ティフェをどうにかしてよ!!」
 ケテルが叫んだ。ノウェムから受けた攻撃もそのままにしているのでティフェレトは失血でどんどん体温が落ち、肌は青白く、がくがくと震えている。唇は紫色になり、錯乱状態の今、ティフェレトは全くの別人のように見えた。
「……理解できたかね? 等しき天秤」
「ああ。にわかに信じがたい事象だ。だが我にまだ知識が足りない。黒煙の影、お前なら……」
「ああ。私もそう思っていたところだよ。我らが主がお望みだ」
 ケテルに命じられて唯一ティフェレトに起こったことを理解できた二人は、主の命令を実行するべく、お互いの認識を確認しあった。
「それにしても……こんなモノが記録されていたならば、あれだけの執着、頷けるものだね」
 コクマーがうっすら笑ってそう言った。
「なぁなぁ、ティフェ大丈夫かよ? どうしたんだよ?」
 ゲヴラーがおろおろするのを見て、ビナーはそれを無表情で返し、コクマーは笑い返す。状況がつかめていないのは皆同じだ。
「時間がとにかくない。このままではいけないだろう」
「もちろん、簡易で済ませられるものはそれで構わないとも。ただ、本格的なものに関しては後ほどとしか言えまい? 違うかね」
「無論だ。とりあえず腹を治す魔法を受け付けねば」
 そうとだけ言った賢者は互いの唇を触れ合わせ、角度を持って交わり、じばらくそのまま口づけを続けた。なにしてんの? と純粋な突っ込みをイェソドがする。
「魔法移し」
 ケセドが冷静に言い放ち、二人の賢者を見つめる。二人の賢者は互いに向き合ってティフェレトを挟み込む形で立ち、ビナーは黒い杖を、コクマーは紫煙をゆっくり吐き出した。
 コクマーの煙が色を変え、形を自由に変形させて、ビナーの杖が澄んだ音を立て続ける。二人の賢者から魔力があふれ出し、魔法が発動する圧力で二人の賢者の髪や服が揺れ始める。
 ビナーとコクマーはそのまま気を高め、互いの状態を感じ取って同時に魔法を発動させた。魔法陣も呪文も存在しない魔法は純粋な魔力の形成によるもの。
 ケテルの泣きそうな顔は塞がっていくティフェレトの腹を見て安堵に包まれた。それを確認したほかの仲間も息をつく。
「ティフェレトが死なぬ状態にはしたが安心するにはまだ早い」
 ビナーが冷静に言った。目は黄色のまま、荒い呼吸を繰り返すティフェレトの精神状態は変わっていない。失血死だけを免れた状態で根本的な解決には至っていないのだ。
「どういうこと? ケテルが僕らを呼ぶほどのことがティフェに起こった?」
 ホドがやっと口を開いた。
「わからない。突然ティフェの危機を感じて、それが今までの何より恐ろしいものってわかって、無我夢中で助けに入った。で、ティフェが死ぬのが怖くてみんなを呼んだ」
 ケテルはティフェレトを抱き締め続け、自分の混乱した思考をまとめるように呟いた。
「ビナー、わかるかい?」
「わかったのは、ティフェレトが前から言っていたように……本当に兵器だったということだな」
「兵器?」
 ケテルが恐る恐る尋ねる。まるで知りたくない真実を知る事がわかっているように。
「我も初めて見るな。これは魔法兵器とでも呼べばいいか……」
「そうだね。これだけの魔法、取り返そうと躍起になるのもわかるというものだよ」
 コクマーは薄笑いを顔に貼り付けて紫煙を吐き出した。
「わかるように説明しろよ!」
 ゲヴラーの怒鳴り声にビナーとコクマーは冷静に解答する。それを全員に理解させるように言葉を選んでビナーは口を開いた。
「ティフェレトの身体能力の高さは魔力に侵食された躯が起こした結果、と先ず説明できる」
「それはゲヴラーみたいにもともと持ち合わせていたものじゃないって事だね?」
 説明を補足するように、自分に納得するように細かなところでもホドが確認を取る。
「そうだ。ケテル、ティフェレトと同等の存在をこの前、ケセドが捕獲したと言ったな?その者は何といってティフェレトを説明した?」
 それは戦闘になったイェソド、マルクト、ケセドがキリングドールたちから言われていた事の確認だった。すなわち、自分たちは造られた存在である、ということ。
「キリングドール。殺人人形。おそらく、この計画を始めた者はただの人間に魔力を持たせ、そして最大限の魔法的効果を得る……そのような人間を造っていたと推測できる」
「その過程で、ティフェレトだけが唯一成功した」
 ホドの冷静な合いの手に二人の賢者が頷く。
「最初は魔法による強化人間を造りたかったに違いない。だが、目的が変わったかもしくは、ティフェレトの偶然による成功のせいで魔法を巨大な規模で行う兵器である人間の製作を現在は行っている。だからティフェレトの記憶を蘇らせる必要があった」
 ゲヴラーが慌てて口を挟んだ。
「記憶が何の関係があるんだよ?」
「イェソド、君なら見ることができたのではないかね? ティフェレトの魂と器に書き込まれた魔法が。記憶があるないでは起動における魔法が繋がらない、その図が見えたのではないかね?」
「あぁ、今見た限りでは……魂の色が違う。まるで魂の色を映しているみたいに、その目、変わってる」
「つまり、ティフェレトの記憶がなければ起動できない魔法だったのだよ。だからティフェレトの記憶を蘇らせるために、執拗に記憶を蘇らせる魔法を書き込んだ痕が見える」
 コクマーはティフェレトの身体に触れてそう言った。その瞬間にティフェレトの体中に青白い魔法陣が複雑な、すでに落書き、文字の羅列といった状況で浮かび上がる。
 それを見てゲヴラーがひでぇと呟いた。それだけティフェレトの身体は魔法に犯されていた。
「でも、なんで! ティフェの記憶を消したのはそっちだろう?」
 ケテルが憤って尋ねる。ケテルはティフェレトを奴隷市で見つけ、買った。だが、ソロモン軍がティフェレトを返すように迫ってきた時に、軍人はケテルにこう言ったのだ。
『初期化を施しましたが、まさか貴方のところにいるとは……!』
 これは作為的にティフェレトの記憶を消したと言っていた事になる。その時はわからなかったが。
「捕獲のためだろうね。考えてごらん、記憶が何もない状況で放り出されれば、誰だって戸惑い、呆然とする。その間にティフェレトを回収しようとしたが先に奴隷商人に拉致られたのだろう」
「……いま、ティフェレトはどういう状況で何が危険なんだ?」
 ホドが尋ねる。状況の認識こそが今一番必要なのだ。
「我々賢者も、普通の魔法使いも人間も持てる魔力は限られている。強い、すごい、まぁ称えられる魔法使いほど持てる魔力は大きいだろう。いわば躯の中に魔力をためる器があると考えてくれればわかりやすいだろう。普段、その器は満たされている。魔法を一定時間で使えば器の中身は減る。逆に休息を取る、魔力を外部から補給するなどすれば器は再び満たされる。では、それ以上の魔力はどうなるのか? 器からはみ出たそれ以上の魔力をためる事は叶わない。そのまま自然の気と交じり合い、消える。すなわち、一人の人間が持てる魔力の量は決まっている。わかるな?」
 コクマーは全員の顔を眺めて言い、ビナーが先を続ける。
「自分が持つ魔力以上を欲したらどうなるか、一つは自身の魔力耐性を高めて器を徐々に大きくしていく。これが我々賢者だな。もう一つは器を保てなくなって器が崩壊する。器の崩壊は自身の崩壊も意味し、魔力を多く持ちたい場合は一般的に修行などをすることで器を徐々に大きくする事でしか叶わない。現在のティフェレトは器を失くした状態なのに魔力を保有する事が可能になっている状態だ。つまり、我々賢者の数倍、いや数十倍の魔力を保有している」
「えぇっ!!?」
「どうして死なない?」
 別々の反応を返しつつ求める答えが同じことを知ってビナーは言った。
「だから、それがティティスが偶然に得た魔法だ」
「内臓魔力……とでも仮に呼ぼうか。器がないのだから魔力をためる量が限られていない。だから余った魔力は放出される事なく今までずっとティフェレトの中に蓄積されていた。この一年でティフェレトが知らずためていた魔力の量は膨大すぎる……! これで単純な魔法を一回発動すれば……」
 コクマーの言う事の続きは誰だって容易に想像できる。複雑な魔法以上の効果が得られる。例えるならば蝋燭の火程度の燃え方が大爆発になりかねない、ということだ。
「ティフェレトはどうして有り余る魔力に犯されることなく今まで普通に生活してこれたのです?」
 ケセドの問にコクマーが答える。
「体質だろう。違うかね? 等しき天秤」
「恐らくはこの魔法が限定起動のものであること、そしてやはりティフェレトの体質だな、まさしく。そもそも魔法を活用して自身の身体能力を上げるなど、普通は身体が魔力に侵されて死に至るのだが」
「じゃあ、ティフェが十分に魔法に合わない体質だったなら……」
「死んでいるだろう、すでに」
 ケテルがぎゅっとティフェレトを抱き締めた。うー、うー、と唸るその表情には疲労が浮かんでいる。
「さて、話を戻すが、現時点での問題はこの量の魔力は我々賢者でも御しきれない。だがティフェレト自身もまたできないと見た。……するとこの魔法を強制的に終わらせなければ、我々も危険だ。先程のように、全てを破壊しようとするだろう」
「でもティフェ自身も制御できないとすると……この魔法の発動権はティティスが持っているってことになるのか?」
「違うな」
 ビナーはティフェレトを観察して、何を理解したのか断言する。
「ティティスもまた、この魔法を理解するに至っていない。恐らく、全てを破壊しつくすか、ティフェレト自身が躯を失う事、魔力が尽きる事でしか止まらないのではないかと思われる」
「じゃ、どうしようもないじゃないか!」
 ゲヴラーが叫んだ。
「案ずるな。魔力は御せなくとも我々、腐っても賢者。先程から魔法構築を見る限りはどうにかできぬこともない、そうだろう? 黒煙の影」
 コクマーは唇の端に笑みを張り付け、ケテルに問うた。
「さあ、我らが主人。私に何を求めるかね?」
「命じる! ティフェレトを元に戻せ!」
「元に、は難しいかもしれないが、少なくとも今の状況は脱することができよう」
 ビナーはコクマーに目線を送り、ティフェレトを部屋の中央に寝かせた。膨大な知識量をコクマーからビナーに口づけによって送り込み、状況と魔法性質をビナーが瞬時に理解していく。
「せっかく全員揃っているのだ。使わない手はあるまい。等しき天秤」
「ああ。最適と言えよう」
「なぁ、助かるのか? ティフェ、もとに戻るのか?」
 イェソドはゲヴラーと一緒になって尋ねる。
「魔法の組み立てはすでに理解した。魔法性質も。だが偶然の産物だな、よくよく見てみれば。魔性構築が乱雑すぎる。これがティフェレトが苦しむ原因の一つでもある。それを直す。それに加えてこの魔法を元に再度魔法を構築し、上書きする」
 ビナーは静かにそう言った。
「ティフェレトを直すには全員の協力が必要だ。その方が我ら二人でやるよりも時間が短縮できる。それでもそうだね……おおよそ三日はかかる盛大な魔法になるだろう。ティフェレトの身体が器として魔力に侵されすぎればその機能を侵食されて失われるだろう。なるべく急いだ方がいい」
 ケテルが驚いて目を見開き、一同の目を見つめた後頷いた。
「始めてくれ」