TINCTORA 016

16.春眠

055

 まどろむような午睡の中で
 永遠に等しい時間を求めて、
 ただただ、なつかしく、いとおしい
 母の胎の中の羊水に浸かっている気分のまま
 ぼくはまた、
 君の夢を見ている。

 気だるげに細められた目からは涙の痕が伺える。とても簡素なベッドに横たわるのは、絶世の美女、もとい美男。
 シーツの上に広がった短い黒髪はまだ夜の月明かりを弱く跳ね返しているだけだ。人々にとっての休息時間、眠りの時間、すなわち夜。
 彼はいつも心休まることを知らない。いつも過去を見て、そして最後に絶望する。
 彼、以前ティフェレトと呼ばれ、現在イコサと呼ばれる少年とも青年とも言いがたい外見を持つ彼はもともと時間間隔が薄く、決まって夜寝たりはしない。
 だが、いつ寝ても眠りは浅く、いつも夢を見る。
 とても幸せだった時間。大好きな人が隣にいてくれた時間。
 だがその時間の針を止めたのはいつだって自分だった。まだあの過去に戻りたいのか。否。戻るとしたらあの時間ではなく、限定的な彼が創ってくれた世界の中で生きたい。
 でもそれすら叶わない。もう、望んではいけない。

 自がどこで生まれたかは知らない。自に両親がいたかすら知らない。自が何者であるのかも、どうしてここにいるのかも、ここが何をする場所なのかも、知らない。
 ただ、そこにいて。ただ与えられたことをこなすだけ。それが自たち。自には何もない。他と同じ。周りにいるのも自。自と他は変わりなく、自と他は同存在。
 そういう認識で暮らしてきた。物心、という表現がふさわしい、初めて他、そして自を識別したのはもう、自の体がいくつかの歳を勝手に越えさせられた後だった。
 そうして、思考を持てるほど知識を詰め込まれて初めて気づくことができる。
 ああ、自はおれ、ぼく、わたし。この体の主であり、この思考を司るもの。
 他、すなわち自ではないもの。この体以外では何も支配ならない、他のもの。そして自は自分、他は他人。そう、わたしたち、ぼくたち、おれたちは人間という種類の動物と認識する。それが一番根幹に存在する“おれ”の記憶。すなわち、物心。
 自分はいったい何なのか。自分はここでなにをしているのか。そんな疑問を持ったとき、与えられるものは何もない。
 この場所には自分によく似た他人と自分より大きな他人の二種類が存在する。大きな他人は大人。自分たちの行動を制限し、支配し、自分たちはこのものたちの行くことを聞かないといけないと知っている。
 そしてそれがどういう意味を持つのか知ることになるのはずっと後。大人の言うことを何の疑問も持たずにただただ続けていくうちに、ふっと気づいたことがある。
 他がいない。そう、自を自覚したころには、他、他人は自分の身の回りに溢れんばかりにいた。自分の周りには他人しかいなかったはず。あれ? どうしてほかの他人はどこへ消えたの? どこへ行ったの? その疑問に答える者はなく、ただただ大人たちが行う行為に耐えるだけ。
 大人たちは何がしたいのか自分にはまったくわからなかった。変な図面の上に寝かされて永遠と眠たい言葉を投げかけられる。それが終わると大人は時には喜んで、時には怒った。
 大人は他にも怖いことをする。それは自分しか支配できないはずの体というものを他人が支配してしまうことがあるのだ。自分にはそれがとても恐怖に思えた。大人がそれを行うとき、必ず痛みが付随する。自分はどこかにぶつけたり、強い衝撃を与えたりしなければ起こすことのできない痛みを大人は自分の中から支配する。
 いたい、いたい、いたい、いたい。でもそれを見て大人は喜ぶ。喜ぶ大人が言う言葉は大抵同じだ。それはこう発音する「成功だ」そして怒るときは必ずこう言う「失敗だ」。
 そしてある日、気づいた。失敗だとたくさん言われていた他人は、いずれ消える。そういえば自分は失敗だと言われたことはほとんどない。
 他にもある。他人が大人たちの行為に耐えているとき、激しく大音響で声を上げるときがある。耳をふさぎたくなるようなその声を多く発していた他人は、これもまたいずれ消える。そういえば自分はそんな声を出したことはない。自分は出せないのかもしれない。
 そうした日々が続いて、いつしか他に囲まれていた大きな場所には自分しかいなくなった。他人がいないな。そう感じた。他人がいなくて寒かった。
「おめでとう、君は選ばれた」
 ある日、大人はそう言って、自分を何かの図面の上に寝かせた。すぐさま眠気がしてきて、急に意識を失った。その後、目が覚めてそして頭がすっきりしていることに気がついた。
 自分? 自分じゃない。おれだ。他人、違う。あれはおれと同じ実験体の子供だ。大人? 違う。あれは研究者だ。ここは? 実験施設だ。誰かに知識を与えられたのではない。そう、理解できたんだ。
「これが最後ですか? さすがにうまくいきましたね」
「ああ。これだけの身体成長が魔法で制御可能とは!」
「逆転を応用すれば老人も、可能かと」
「ああ! そういう意味では、彼は完全なる成功だね」
 何がしたいかはわからなくても、もう理解できた。こいつらは俺を使って魔法の実験をしている。
「そうそう、君に新しい識別番号を与えよう。20番目の成功体。今日から君はイコサだ。イコサ・キリングドールだよ」
「イコサ?」
「そうとも。さぁ、向こうに行くといい。君の仲間が待っているよ」
「仲間?」
「ああ」
 手首についていた認識票をはずされ、代わりに大きな金属製の首輪がつけられた。そのまま立ち上がって研究員が示す方角へと足を向ける。
 それにしても、以前知覚していたのとは体が違う。でも、ちゃんと自分の支持通りに動くし、これが自分の体だ。そうか、あの研究者たちは自分の体をまた勝手に成長させたのか。
 重い扉を開いて、中に足を踏み入れる。部屋の中には自分と同じようなさまざまな同じ格好をした少年少女がいる。一斉にこちらを見た。
「……」
 無言。イコサだと言われても自分がイコサとはわからない。きっとみんなも同じような境遇に違いない。誰も彼もがイコサのような何もわからない、ただ自分の状況だけ理解できるような顔をしていた。
「ねぇ、君が最後?」
 横から金髪の女の子がイコサの腕を引いて尋ねる。
「知らない」
「あたし、オクタ。オクタ・キリングドール。君は?」
「おれは、イコサ。イコサ・キリングドール」
 そう呟くと、女の子はやっぱり、と言った。
「イコサ! 20番目、君が最後の仲間ね」
「最後? 仲間?」
「オクタ、無理させちゃだめだろ。そいつまだ目覚めたばっかだろ? 何もかもわかんねーんだよ」
 奥から赤毛の少年が言った。
「でもヘキサ、この子が最後なんでしょ? 仲良くしたいじゃない」
「へきさ?」
 赤毛の少年が傍に寄ってきて、その手で俺の頭をぐるりと触る。いや、違う、これはなでる、だ。
「俺はヘキサ・キリングドール。6番目。博士さまがな、20体しか創らないって仰ってたんだ。だからイコサ、お前が最後の仲間ってことになる」
「そうよ、モノ、ジー、トリ、テトラ、ペンタ、ヘキサ……って続いて、20番目がイコサ。つまり君」
「たった20人の仲間だ。仲良くしようぜ」
 ヘキサはそう言って、一回り大きい手のひらを差し出した。
「え?」
「あ、知らないか。目覚めは個人差あるからな。これは握手。そして挨拶。これから一緒に楽しく過ごしましょうって、あいさつさ」
 おずおずと差し出したその手を暖かく握り返してくれる手があったことを、イコサはこのとき初めて知った。その状況を冷ややかな目で見ている仲間もいたし、同じように笑っている仲間も、われ関せずの仲間もいた。
 イコサは19人の仲間に囲まれて、初めて開けた視界に戸惑いながら日々をすごした。キリングドール計画は段階がいくつかあった。この時点で段階は三段階目まで進んでいた。
 一段階目が魔法耐性を強化する実験に生き残ること。第二段階では魔法が本当に効果を発揮するか、第三段階はその赤子を魔法で一気に成長させることだった。
 イコサは赤子に等しい幼児のときにこの実験施設に連れてこられ、一旦、6歳児に人工的に魔法によって成長させられた。体の成長と共にいっきに脳も発達させられ、思考を持つことを認められたことはかなりの現実を受け入れるだけの情報も持っていた。だからこそ、最初は当惑し、だんだん状況を理解してくる。
 最後に生まれたイコサは何も理解できず、最初のほうに生まれたヘキサやオクタは暖かくイコサを見守った、というわけだ。
 しかし、仲間と言われ、キリングドールといわれても、何も変わらなかった。苦痛を子供ながらに感じる日々は続き、大人たちのいいように扱われる。その最中、実験によって6人が命を落とし、それが11、15~19番目のキリングドールだったためにイコサは次こそ自分が死んでしまうのではないかと恐れを抱いた。
 死に方も個別に違った。実験中にあっけなく命を落とすものもいれば、徐々に力を失い、動かなくなったものもいた。
 残されたキリングドールたちは何も言わず、何も感じない日々を表面上は送りつつ、内心恐怖でいっぱいだった。
 次は自分ではないか。次は自分が死んでしまうのではないかと。

 そうした日々が続いた中で、よくテトラやジーが呼び出されるようになった。実験ではないみたいだ。なぜなら博士さまの周囲にいる白い服を着た男たちと一緒ではなかったからだ。ヘキサが怖い顔をしてそれを見ていたのを覚えている。
 帰ってきたテトラは必ずといっていいほどほほを腫らして帰ってきていた。その事象は理解できなかったけど、キリングドールの中でも初期に覚醒した面子は何をされたか、どうしてそんなことをされるか理解していたようだった。
 そう、実験がうまくいかず、兵器として役に立たないこととホドによる南軍の戦争介入が博士さまを焦らせ、怒らせていたのだ。八つ当たりに使われていたというコトだ。
 その事実から俺は目を背けていたように思う。なにか嫌なことを怒られた後のようなことをされているのに、聞くのが怖くて、次からお前が怒られろと言われたりしたくなくて、逃げていたのだ。
 オクタと二人、こわごわと帰ってくるテトラ、それに寄り添うヘキサたちを見ていた。

 そして一回目の運命を変える日がやってきた。
「今から一番仲のいい者と二人組みを作りなさい」
 博士さまがそう言った。おれはすぐさまオクタと一緒にいた。でも仲がいいテトラとヘキサは別の子と組んでいた。年長者のキリングドールは何をされるかわかっていたのだ。
 有名な方法で仲がいいもの同士で殺し合いをさせると精神的に強く、殺しをためらわない暗殺者が育つという。博士さまはそれを試したのだ。
「いいか。今回は本気を出せ。相手を殺すつもりでやるんだ。手加減は一切認めない。さぁ、モノからおいで! 他のものは呼ばれるまで別の部屋で待機だ」
 俺とオクタはいつものように実験後などにさせられる戦闘訓練だとばかり思っていた。いつもは本気を出さず、急所を狙えないが、今回は違う。ただそれだけだと思っていた。本当の意図を測らずに、それが何を意味するのかを考えもせずに。
 そしてオクタが呼ばれ、俺も一緒に入った。
「さぁ、オクタ、イコサ、戦い合いなさい。最後まで動いていたほうが勝ちだよ」
「はい、博士さま」
 俺とオクタは笑い合いさえしていたのだ。戦う前まで。そして戦闘が始まった。俺はオクタに飛び掛る。オクタも俺に対し、みぞおちを狙って必殺のこぶしを放つ。オクタは力に特化されたキリングドールだ。防御でさえ敵わない圧倒的な力の前に俺は逃げることしかできない。
 逆に俺は速さに特化したキリングドール。唯一の武器は速さを重さに変換すること。だから主な攻撃手段は蹴りだった。オクタの施設を破壊するほどの拳が何度も身体を掠める。俺は一撃くらい、そのままオクタの勝利が確定しそうだった瞬間、俺は加速して姿を補足させないようにし、逆に背後からオクタに飛び掛った。
 完全に油断していたオクタの首に手刀を叩き込む。オクタの抵抗を感じ取って、一瞬の跳躍で離れると、そのまま加速の果てに頭めがけて蹴りを叩き込んだ。その瞬間にオクタの首から血が嘘のように天井に向かって噴きあがった。
 俺は雨のように降り注ぐオクタの血を受け、オクタが動かないことに喜びを覚えた。
「やった、俺の勝ちだね! オクタ」
 そしてオクタに手を向ける。すぐにオクタが起き上がって
「もう、負けたな、次はぜったいあたしが勝つんだから」とか言って腕を握り返してくれるものだと信じて疑わなかった。いくら待ってもオクタは動くことはなく血は勢いを衰えさせていった。
「オクタ?」
 どうして動かないんだろう? なんで倒れたままなのかな?
「オクタ? 俺の勝ちだよ? さ、行こうよ」
「オクタってば!」
 俺の必死の問いかけはむなしく響くだけだった。しだいに素足に水の感触がして、下を向くとオクタの血が血溜りとなっていた。そこで人間は血液の三分の一を失うと死んじゃうんだって、と話し合ったことを思い出した。
 オクタの血が! 急いで俺はしゃがみこみ、オクタの血を両手ですくい上げて、オクタに戻そうと、オクタの上にかけ始めた。だがその行為はオクタの衣服を無駄に赤に染めるだけでオクタはやはり動かない。
「オクタ! オクタ!!」
 イコサは泣きそうなのをこらえて周りにいた白衣の男たちに叫んだ。
「オクタが動かない! どうして!!?」
「は? 何を言っているイコサ。お前が殺したんだろうに」
 俺が、殺した?
「おめでとう、イコサ。君は優秀だね」
「おめでとう、生存を許されたんだよ、君は」
「こ、ころした? 俺が?」
「そうだとも、わかってやっていたんだろ? 動かなくなるってことは死ぬってコトじゃないか。さぁ、もう行きたまえ。次の者の試験を行うんだから」
 俺は引きずられていくオクタの身体を見ながら、部屋を追い出された。そのまま違う部屋に押し込まれる。そこには全身を赤色に染めた俺と同じ格好をし、そして俺と同じように仲間を殺した、いや初めて人を殺したキリングドールたちの姿があった。みな押し黙り、呆然としていた。
 イコサも例に漏れずそうなる。厳しい表情をしていたのはヘキサとテトラだけだった。
 年長者で残ったのは二人だけだったのだ。そう、半数減らすために行われた殺し合いの結果残ったキリングドールはわずか7体。トリ、テトラ、ヘキサ、ノナ、ヘンデカ、トリデカ、イコサだけだった。
 この7人だけが仲間を殺して生き残った。全員血まみれだった。
「残った番号は3、4、6、9、12、13、20ですか。3はラッキーナンバーなんですかね、ははは」
「まぁ7体なら成長魔法をかけて個別能力を強化する予算はあるでしょう」
「ついに本格的な殺人兵器になりますね」
 俺は初めての殺人というより、オクタを殺してしまったことから立ち直れなかった。さっきまで一緒に話して笑っていたのに、俺の攻撃で動かなくなってしまった。
「イコサ」
「ヘキサ、オクタが……! 俺が、殺したって」
「そうだ。お前が殺したんだ。俺もモノを殺して今ここにいる。いいか、俺たちは、俺たちキリングドールは人を殺すために生み出された。人を殺さなきゃ生きていけないんだよ」
「でも、オクタは同じキリングドールだった!」
「命令はきかなくちゃ、俺たちは破棄処分になっちまう。オクタを殺したならオクタの最後を見ただろう? イコサ、もうお前は嫌でも現実を見なきゃいけない。俺たちが生きている世界は、地獄だ」
「地獄? 地獄って、なに?」
「生きていたくなくなる世界だ」
「生きていたくなくなる、世界……?」
「そうさ。俺たちは博士さまの命令を絶対きかなきゃ生きていけない。それと同時に実験に成功し、成果をあげなければ殺される。そういう世界に生きているんだ」
 イコサは頷いた。自分は今生きたいのか、死にたいのか、生と死の概念さえ理解していない幼い俺はヘキサの厳しい言葉を表面上だけ深く耳に残し、その意味さえわからず、そして問う。
「命令ならヘキサは俺を殺す?」
「大丈夫だって、ばかにすんな。お前一人くらい守る力は持ってるよ」
 ヘキサはそう言って頭を撫でてくれた。そのとき俺はそれだけで満足していた。人を一人、それも仲間を殺したということの意味さえ理解できずに。
 死ぬということは、動かなくなるということ。もう二度と、オクタとは言葉を交わすことも、笑い合うことすらできないと知ったのは魔法による強制第二成長の魔法実験を受け、身体が10歳に変わった後だった。
 生き残った7人のキリングドールは第二成長をすでに成長を第二成長を終えているヘキサとテトラ以外全員が受けた。一気に四つ年取ったおれは、殺人の意味を、そして生と死の概念を理解した。人を殺すということの本当の意味を。
 俺が、殺してしまった。後悔の念すら抱くこともできなかった。あんなに純粋に無邪気に仲間を殺してしまったのだ。それに愕然とした。ヘキサが言った意味を心底理解できた。
 一番大事な友達だったのに、一番大好きだった、一番近くにいたのに、殺した。俺が。
 そのときは本当にただ純粋に、殺したいと! 殺したいと思ってしまったんだ。殺して、自分を優位を見せ付けて!
「なんてことだ」
 殺意と呼ぶことすらできない。その想いとは程遠い。ただ単純に、相手より優位に立ちたい、殺してみたいと思ってしまったその事実こそが、自分が人を殺すためだけに生まれてきた兵器だという証なのかもしれない。
 そしてその穴をオクタを殺した穴を埋めるように、他のみんなも同じように俺たちはまた団結する。仲間になる。残ったキリングドール同士で身を寄せ合って。
 それが、また同じ命令をされたときにどうなるかきっとしているのに。一瞬の寂しさと孤独と失ったものの存在と引き換えに、新しく仲間を。
 仮初でも表面上だけでも笑っていられる日常が俺たちの支えとなるように。もし、同じ命令をされたら、仲間と呼んで仲良くしていてもその仲間同士で優劣をつけて殺しあう定めなのに。
 なんて醜い生き物なんだ、俺たち。
 違うのか。俺たちは生き物にさえなれない、ただの……。
 ――兵器だ。