TINCTORA 017

059

「……なに?」
 イコサは目を見開いた。会話が当然、イコサとノナの耳にも届いてきたのだ。それはテトラと博士さまの会話。
 ノナもその赤い目を見開いて、呆然とテトラの言葉を聞いている。
「誰の目から見ても明らかです。ヘキサ・キリングドールはもう、使えません。廃棄処分にするべきです」
 もう一度、はっきりとテトラが告げた。
「それは、一番古いナンバーを持つ、リーダーとして、私にそう進言するのか? テトラ」
「はい。というか、むしろもう……足手まといです」
「ふ、はっきりものを言う。だが、おまえはヘキサに勝った実績が少ないぞ? それなのに使えないと言うのか? 私が求めるのはな、テトラ。人間らしい兵器ではない。忠実に命令を実行できる優秀な兵器なのだぞ?」
「戦闘値ならば、ヘキサ・キリングドールは大きな値を確かに過去に残し、それを私が越えたことはまだありません。しかし、突然味方敵を区別することなく襲い掛かり、建物の配置すら短期間でも記憶できなければ、実践ではどうなるかおわかりになるかと」
 博士はにやと笑う。知っている。このときの顔は意地悪な心が締め付けられるようなことを言おうとしているときだ。
「そうか、おまえは仲間であるはずのヘキサを殺せと……そう言うのだな」
 しかしテトラは逡巡すらせず、はっきり言葉を発した。
「私はキリングドールです。博士様のキリングドール。任務を第一に考えれば、仲間などさしたる問題ではありません。不必要な存在は私達にとって邪魔なだけです」
「仲間の情より、キリングドールの本能が勝るか?」
「はい」
 博士さまはふーん、とあごに手をやって、考えるようなそぶりを見せた。本気でテトラはヘキサを殺す気なのか? ヘキサは死んでしまうのか??
 イコサもノナも言葉を挟めずにはらはらしていた。たとえ、ヘキサらしさが失われても、あれはヘキサなのに……!
「だが、ヘキサが一番の攻撃力を持っていたのも事実だ」
「ならば、問題はありません。ノナ・キリングドールはヘキサ・キリングドールと同型です。この二体を殺し合わせれば、ノナ・キリングドールがそのうちヘキサ・キリングドールを超えるでしょう。戦力上、問題は皆無です」
 名前を出されたノナははっとしてテトラを見上げる。だが緑色のテトラの瞳は博士以外を移していない。イコサは一瞬、テトラさえもおかしくなってしまったのかと思った。
「ふむ。それも道理……。では、テトラ、おまえがあと一週間でノナをヘキサと同じだけの戦闘値にあげてみせろ。それが適えばおまえ達に任務を与える。その任務に成功したら現戦力で十分とし、ヘキサ・キリングドールを廃棄とする」
「ありがとうございます」
 テトラはそう言った。博士さまは周りの研究員に指示を出して去っていく。白衣の姿が消えうせた瞬間に、ノナとイコサがテトラに詰め寄った。
「どういうことなの?」
「ヘキサ死んじゃうの??」
 テトラは二人を抱き寄せて、そして端のほうでぼぉっとしているヘキサに目を向けた。
「見なさい」
 ヘキサはもう死んでいるかのように動かない。時々思い出したかのように、瞬きをするだけだ。本当にお人形のように。今はもう、間違えて名を呼ぶことも、攻撃をすることもない。動くことすらままならない。
「ヘキサはもうヘキサじゃないのよ」
「そんなことない! きっとまた、笑ってくれる!」
「現実を見るの!!」
 テトラが怒鳴った。びっくりして二人して黙る。
「どうして? そんな決定従えないわ!」
「ヘキサのためよ! 彼のためにはこうするしかないじゃない! 私だって辛いのよ。なぜ、私がこんなこと言ってるか、わかる? ヘキサがかわいそうだからよ。私達、確かに博士様にとっては人間じゃないかもしれない。実験道具だと思う。でもね、私達にとって、私達は人間なの。最低限、生きる姿ってものがあってもいいはずでしょ? ヘキサはもう、ヘキサじゃない。あの中に、もうヘキサはいないのよ。あんな彼……もう、見てられないじゃない」
 二人してヘキサを振り返る。
「私達でヘキサを送ってあげたいの。ヘキサがヘキサであるうちに。だって、彼、言ったのよ。殺してくれって……。叶えてあげましょう、私たちで」
 ノナが耐え切れないように首を一回横に振り、そして黙った。イコサは信じられなかったのと同時にテトラの言う意味がわからなかった。だけど、ヘキサが苦しんでいるとしたら、本当のヘキサが耐えられなかったら、そう思うと。唇をかみ締めてイコサは涙をこらえた。
「そんな! 私たち、そんな……。じゃあ、私たち、何のために生まれてきたの?」
「人を殺すためよ」
「……名前の通りね」
 わざと冷たく言うテトラの決意がイコサには伝わった。
「俺だってそう思うよ。もうあれはヘキサじゃない。このままじゃ、ヘキサがかわいそうすぎる」
 ノナもようやく納得した。
「二人ともありがとう。で、たぶんヘキサを処分させるには、先ほど博士さまに私が言ったように、私たちが、ヘキサを使う価値がないと判断させれば……あるいは」
 誰も泣けなかった。監視の目があることを知っているからだ。もう、理解していた。それだけ成長させられている。ヘキサを殺すのはヘキサのためだとは思われてはならない。
「でも、どうやって私、強くなったら……?」
「うん。考えた。ノナはヘキサから一度だけ、あの『破壊の一撃』を習ってるでしょ? それをマスターしなさい。あとはイコサによけ方を習えばいいわ」
 破壊の一撃はヘキサの得意中の得意だった技だ。基本的な動作しかしないキリングドールの中で唯一オリジナルの攻撃手段を持っていたヘキサ。人差し指一本で全てを破壊しうる、パワー型にのみ許された技だ。
「うん。やり方は覚えてる。だけど力が足りなかった」
「何が何でも出来るようになりなさい」
 ノナが強く頷いた。イコサはヘキサを見る。そしてテトラに頷いた。イコサならヘキサの破壊の一撃が来る前に動き、避けることが出来る。攻撃に当たることさえなければヘキサはイコサにとって適わない敵ではない。
「わかった。ヘキサのためだもんね!」
 こうして努力の甲斐もあり、実力が認められたキリングドールたちは初めての実践を認められる。それこそが、かの有名な大虐殺。――テロベロール虐殺だ。

 帝都がケゼルチェックの隣でよかったなぁとケテルはしみじみ考えた。普段ならば半年に一回程度の十公爵会議だが、今は戦時なため、半月に一度ある。
 こんなに開催されたらお金を湯水のように使うなぁと馬車に揺られながらしみじみ思った。ホドと同じ馬車に乗っていても、彼は仕事をしっぱなしだ。次から次へと書類を片付けていく。
「ケテル」
「ん? なに?」
「頑張るんだよ。僕も今日いろいろな人に責められて、まー、大変だろうからねー」
「なんだよ? そんなこと予想済みのくせに」
 ホドはそう言って笑った。ケテルは思う。いったいこれから何回、こうしてホドに助けられるのだろうか。
「ケテル、そろそろ着くぞ」
「うん」
 馬車が着く場所には庶民の野次馬好きが集まっている。ホドが先に降り立った瞬間に甘い悲鳴が聞こえた。ホドってそういえば人気者だったなー。ホドと共にケゼルチェック市民以外の前に出る事がないのを思い出した。
「ケゼルチェック公!」
「バイザー公!」
 ホドは微笑む。顔だけはいかついが内心優しい頼れる伯父のような存在であるバイザー公はケテルが幼いころから付き合いがある。きっと気にしてくれたのだろう。
「この前の成人の儀以来だな。元気か?」
「はい。お気づかいありがとうございます」
 ケテルは笑って答えた。
「ホドクラー卿、こんな場所にいてもよろしいのか? 戦況はよくないと聞いているが」
「はい、御心配には及びません。それに十公爵会議の後に、陛下を交えまして、これからの戦略などをお伝えするつもりでこちらまで参りました」
「そうか。では、ケテルはわしと共に行くか」
「お願いいたします」
 ホドはそう言って頭を下げた。バイザー公が目で応える。ホドはその後にすぐに城の中へと姿を消した。
「やぁ、これは奇遇ですね、ホドクラー卿」
 声と共に、光が差す方まで歩み寄られた。しかし声だけでわかる。
「これは……ティティス様。なぜ、こちらに?」
 当然予測できたことではあったが、そう驚いて問う。というか、一応形上はお前が臣下なんだから、命令に従えよ。とホドは心の中で呟く。
「父上に呼び出されたもので」
 違うだろ、とホドは笑う。どこまでも愚かな奴だ。ホドには当然予測できたし、そして相手の思惑を正確に理解していたから、ティティスの背後に影のように従う、青い目に目もくれなかった。

 ダンチェート帝国との国境で一番攻め入りやすい場所には、当然相手も警戒している。
 そこはテロべロール要塞といい、難攻不落の要塞として当時のエルス帝国は手を焼いていた。山のふもとに建てられた石造りの町ぐるみの要塞だ。
 戦時になれば、石の城門は固く閉ざされ、わずかな隙間を縫って掘られたという小道を抜けて町民はダンチェート本国に避難する。そしてはるか下を見下ろすことのできる街はいままで敵国を入らせた事はない。
 ダンチェート帝国と戦争を行っていたエルス帝国は、このテロベロール攻略によって勝敗が決するとも言われていた。その要塞を物は試しで落としてこい、そう命じられたのがイコサ達だ。
「いい、まず城壁内で立てこもっている一般兵は無視。兵を統率しているやつを狙って、降伏させるの」
 テトラがそう言った。イコサとノナが頷く。
「その役目はイコサ、貴方よ。貴方は一番速力のあるキリングドール。見つけ次第殺していいわ」
 イコサは事前にテロベロールの指揮官を覚えていいた。それにいざとなれば階級章で殺していけばいい。
「ノナ、貴方はイコサが無視した一般兵の相手。要塞の破壊も込みでね」
「ええ」
 イコサが司令官を殺し、命令系統が混乱し、白旗を上げるまで、エルス軍に攻撃をさせないためにストッパーないし、戦争をしたというわかりやすい破壊がノナの役目だった。
「私は二人のサポート」
 テトラはパワー型でもスピード型のキリングドールでもない。平均的なタイプだ。だからこそ、リーダーシップを発揮し、広い視野で二人に指示を出せる。それに加え、魔法を使いこなせるのもテトラだけだ。
「開始時刻は14時。いいね?」
「うん」
 三人は力強く頷きあった。この作戦は博士さまにも許可をもらっている。あとは成功あるのみだ。この作戦でヘキサの処分が決まる。
 はっきり言ってイコサはもうヘキサとしての仕草が望めなくとも、ヘキサに生きていてほしかった。だが、ヘキサを見ていてつらくなったのも事実だ。ヘキサが自分たちを忘れているならばまだ、いい。自分を敵と間違えても構わない。
 だが、今のヘキサははっきり言って生きているような気がしない。しゃべらないし、動かない。ヘキサの形をした人形がいるようだ。元気だったころのヘキサを覚えているだけに、見るのがつらい。
 テトラもそうだし、ノナもそう感じた。だから、破棄処分してもらうことで、ヘキサを少しでも苦痛から遠ざけてあげたかったのだ。
 イコサは武装を確認しなおす。魔法が使えないイコサにとって長引く戦闘こそ、武器が必要だ。己の肉体でさえ武器となるキリングドールでもスタミナが永遠に続くわけではない。
「時間だ、行ってお前たちの力を見せてみろ」
「はい」
 要塞の前に広がる荒野。そこを軍隊ではなく、たった三人で出向いていく。何か警告する声が響いた。しかし聞かない。たった三人で戦争にきた、そう、俺らは兵器だから!
 警告のためか、銃が発砲される。それを合図としてキリングドールは消えた。イコサは最後にノナとテトラを見、駆ける。速力を更に更に上げていく。出し惜しみはしない。最高の速力へ。
 そしてその運動能力を利用して、高い城壁をひとっ飛びで超える。
「おい、今何か……!」
 見張りの声をはるか後ろに聞いてイコサは跳ぶように走る。誰にも気付かせない位に、速く、速く。
 その頃、テトラの魔法が城壁に着弾した。地鳴りと揺れがくる。視界に入った階級章で殺してもいい立場にいた人間を発見し、腰からナイフを抜く。走り抜く際に、すっとナイフの切っ先を調整しただけで、絶命する。
 イコサが走り抜けたずっと後で血が噴きあがり、倒れ伏す。部下が騒ぐのが聞こえ、周囲が見えぬ敵に警戒する。だがそんな間を待ってなどいられない。イコサは駆ける。最高司令官を殺すため。この戦いを終えるために。
 イコサは走り抜きざまに殺し続け、要塞の頂上まで上り詰めた。誰にも発見されなかったのは、イコサが速いのと、敵の情報伝達よりイコサが速いせいだろう。イコサは完全に加速も減速も出来るようになったために、接触など起こすことなく、上り詰められたからだ。
 指令室では突然生じた魔法攻撃に対応し、それに応えない部下に混乱していた。一瞬で把握する。あの一番奥の男に降参させればいい。後は殺していい人間だ。イコサはやっと脚を止めた。
「な! 誰だ、貴様!!」
 駆け抜けたがゆえに血さえ付いていない少年の乱入に、混乱する人間たち。だがその様子に何も感じることなく、一番手前の人間にナイフを振るう。
 血が今度はイコサに飛び散った。その様子を相手が理解できないうちに二人目に手を掛ける。
「殺せ!」
 銃を構え、剣を抜かれた。だが冷静に判断する。銃位、イコサなら簡単に避けられる。
 発砲音の後にイコサはその場におらず三人目が犠牲になる。剣を構えた四人目を投的ナイフで殺し、五人目も同様に殺す。
「降参しろ」
 イコサはテトラに言われた通りの言葉を口にした。最後のひとり。総司令官。
「我々がこの要塞は占拠した。今降参すれば兵士の命だけは助けてやる」
 血が髪の毛から滴って支給された軍服を赤く染めていく。決められた通りに話す。
「貴様……エルスの者か! どうやってここまで来た?」
「返答や如何に?」
 静かに問う。ここで降参してくれれば、終わる。ヘキサを救える。
「まさか、難攻不落のテロベロールが……堕ちるだと??! ありえん!!」
「ねぇ、降参してよ」
 イコサは願いを込めて言った。
「エルスはどうやって……」
 混乱する司令官に焦れる。何度目かの揺れ。魔法の着弾音と悲鳴。
「申し訳、ありません! 陛下……!!」
 司令官はうなだれて、剣を抜くとイコサに跳びかかってきた。それをひらりとかわし、司令官の胸に腕を突き刺した。
 倒れこむ司令官の背から生える己の手を、特に何も感じずに見ると、腕を抜く。真っ赤に染まった腕と、倒れ伏す司令官。
「えっと、次にすることは……」
 司令官が最後まで抵抗したり、自決した場合でイコサは制圧を完了して居れば、イコサは城壁の旗を燃やす事で博士に任務完了を告げる事になっていた。イコサは死に絶えた会議室を出て、そのまま塔の上の旗を用意してあったもので燃やす。
 ぼっとすぐに旗はオレンジ色の炎に彩られる。その炎を見て、敵国の兵士の悲鳴ともつかぬため息がこだまする。ノナがうれしげに笑い、テトラはほっとする。
 あの夜、ヘキサは一晩だけ己を取り戻し、テトラに大事な希望を託した。その後、言ったのだ。もう、自分はいなくなってしまう、だから、その時はどうか殺してほしいと。お前のその手で、完全に息の根を止めて欲しい、と。
 テトラはずっと待っていた。ヘキサの願いをかなえられる日を。ノナも感じる部分があったのだろう。イコサが一番なついていただけに、心配だったが、納得してくれたのだ。
「これで、ヘキサは心配ない。あとは私たちが自由になるだけ……!」
 テトラはそう言って、本陣で満足げに笑っているであろう博士さまをにらんだ。
 ――この事態はキリングドールが要塞を落としたのではなく、エルス帝国の新兵器によって落ちた、と歴史上で残っているが、新兵器が何だったかは言及されずに終わった。
 しかし多くの捕虜を捉え、エルス帝国は敵国ダンチェートへの安全な陸路を得たことになり、戦争は早期にエルスの勝利で終わるはずであった。が、安全な陸路を得たことで、逆に遠征したエルス帝国軍は袋叩きのように次から次へと壊滅させられ、被害は甚大。戦争は再びこう着状態へと持ち直すこととなる。
 それは当時のダンチェート側の指揮官が優秀だったとも言われているし、エルス帝国の私軍制度による軍のまとまりがないせいとも言われた。
 そうして、戦争を無駄に長引かせている北に南のケゼルチェック、バイザーが乗り込んできた直後、和平へと相成ったのである。

 夜の事だった。イコサはあの夜は何が起こったか、わからないままに全ては終わってしまっていた。突然、ノナとイコサは博士さまによって起こされたのだ。
 訓練に使う部屋に来るよう言われ、眠気眼で歩いて行った。部屋は昼のように明るく、魔術による光がともされていた。その中心には殴られたのだろう、ほほを腫らしたテトラの姿があった。
「テトラ!!」
 駆け寄ろうとした二人を研究員が留める。テトラは二人を見て、目を見開いた。
「こんなことってないわ!」
 二人はテトラがこんなに声を荒げて泣いているのを初めて見た。
「どこまで外道なの……!!!」
 服にはところどころ血が付いていて、激しく抵抗したことが伺える。
「約束が違うじゃない」
 テトラは研究員の後ろに立つ博士さまに怒鳴る。博士さまは冷たく笑っていた。
「私たちは貴方の命令に従ったわ! ちゃんと敵要塞も落とした! なのに、どうして……ヘキサを破棄処分してくれるというのはうそだったの?!」
 ノナが目を見開く。イコサは思考が止まった。
「何を言う。ちゃんと破棄処分だ、ヘキサ・キリングドールはもういない」
「嘘! あんな状態で破棄だなんてよく言えるわ!」
 イコサは何をテトラが激しているのかわからなかった。
「まったく、ヘキサもそうだったが、お前たちは仲間意識が強すぎるきらいがあるな」
「当たり前よ!! どうしてそうなったか考えてみなくてもわかることだわ!」
 博士さまはそこで肩をすくめ、ふっとイコサとノナを見た。
「どちらか、テトラを殺しなさい」
「え」
「殺すなら私だけにすればいいじゃない! どうして二人まで巻き込む必要があるの」
 テトラが叫んだ。ノナは唇をかみしめた。泣いてしまいそうだ。ノナには何が起きたかだいたいわかったのだ。だから、イコサを制して一歩前に進む。
「ノナ! イコサ!!」
 その覚悟を受け取ったテトラが最後の叫びを発する。
「私たちはこの首輪で支配されている。これを壊せば、自由になれるの。だけど自分じゃ壊せない!」
 ガッとテトラは殴られ、頭を床に激しく打った。
「死んでも自由はない。生きている時以上に支配される! だから、貴方達二人だけでも……生きて!」
 テトラの叫びをイコサは別の世界で聞いているような気がした。
「イコサ・キリングドール」
 博士さまの冷たい声で現実に返る。それはひどく冷たい声だ。やめて。言わないで。これ以上その音を聞かせないで。
「博士さま!」
 ノナが叫ぶ。
「テトラ・キリングドールを殺せ」
「博士さま、私にやらせて下さい、お願いです」
「だめだ。イコサ、返事は?」
 イコサは呼吸が浅く速くなっているのを感じた。いやだ、やめてよ。
「……」
「こんな博士さまに歯向かうようなやつ、私が始末したいです」
「イコサ、返事は?」
「…………は、い」
 かすれた声だったが、博士さまは満足したようだ。ノナがこらえていた涙を流す。イコサは震える脚を一歩前に出した。テトラはそんなイコサを見て、微笑んだ。
「大丈夫」
 テトラが囁く。やめて、何が大丈夫なの、テトラ。
「ヘキサの元に逝かせて、私の責任だから。彼と同じ苦しみを……」
 だって、さっき死んでも自由がないってそう言ったよね、テトラ。
「わかんない」
「イコサ、大丈夫よ」
「わかんないよぉおお」
 イコサは爪の切っ先にかすった皮の感触を知覚する。次の瞬間に生温かい血をかぶっていた。ノナが声も出さずに泣いていた。イコサはただ呆然としていた。殺したのは自分のはずなのに、死んだのはテトラなのに。
「わかんないよ、テトラ」
 自分の手が血に染まっている。まだ温かいテトラの血潮を感じる。くすんだ白い服が真っ赤に染まっていく。涙が血に混じって赤い涙がほおを伝う。
「イコサ」
 ノナが呼ぶ。引きずられていくテトラの遺体。それはあまりにもひどい扱い。だけどそんなこと言えない。
「わかんないよ、ヘキサ」
 だけど、教えてくれる年長の二人はもう死んだ。ノナは研究員がいなくなるのを待って、そしてイコサを抱きしめた。
 初めて人を、仲間を殺した時は、わからなかった。それが死ぬこと、殺す事を理解していなかった。
 二度目からは理解して、そして殺さないよう気を付けた。だけど、理解しても、わかっても殺さなきゃいけないことがある。それがたとえ大好きな人でも。
 血に濡れた身体が冷えていく。テトラのぬくもりがそのまま消えていくように。

 残り二人になったキリングドールが互いに手を取り、そして親密になるのに時間はかからなかった。二人は互いの存在を確かめあうように、失わないようにいつでもそばにいて、離れようとはしなかった。
 もう、二人しか残っていない。だから、二人はお互いをすり合わせるように、それは坂を転がる石のように、ごくごく自然に、そして急速に二人は男女の関係へと発展していった。
 ノナはイコサがいないと不安がり、イコサはもう泣くだけの子供ではなくなっていた。
 20人いた仲間たち。半分に減り、一人、また一人と消えて、4人になった。その4人もヘキサが死に、テトラが死んだ。
 いや、殺した。だからもう、ノナはこれ以上死んでほしくはなかった。いや、最後の一人になるのが怖かった。
 逆にイコサはノナを自分の手で殺す事になるのではないかと非常におびえていた。
 だから二人は相手を大切に思い、そして、結ばれたのだ。だが、この気持ちは決して二人以外に出されることはなかった。二人は以前と同じように兄弟のように、仲間として付き合うよう心掛けた。どこで、誰が二人を見て、二人に何を命じるかわからなかったからだ。
「イコサ、最近実験増えたね」
「うん。魔法陣の書き込みが増えた」
 二人はテトラの意志を継ぐべく、秘密裏に話し合う機会が多くなっていた。しかし用心深くなり、決して研究員にでさえ隙を見せる事はしなかった。二人は自分たちの状況を正確に理解し、それに対して一番ベストな方法を取らざるを得なくなった。気配に敏感になり、そして耳を注意深く傾ける。
 二人の秘密の逢瀬は夜にひっそり行われ、気付かれないように日々を過ごした。
 だが、博士さまが何を思っているかは知らないが、テトラを殺させたことを大人たちは不安がっているのであった。いつ二人のキリングドールが反抗するか、注意深く観察していた。
「イコサ・キリングドールは、どうなっている?」
「はい。数値はどれも良好です。一番よいサンプルが残ったようですね」
「ふん」
 満足げに笑う。
「ところで博士、今何をなさっているのですか?」
「何だ、お前。理解していないのか」
「はい。この魔法方程式が理解できないので、全体図が見えないのです」
「不勉強だな。いいか、今、イコサ・キリングドールに行っているのは、なんと言おうか……。いわば傀儡だな。うん、傀儡の術式になるか」
「かいらい……ですか。でも今でもキリングドールは言う事を聞きますよ?」
「あいつらには人間の意志が残っている。どんな状況でもそれを消し去り、我々の命令のみを実行する、そんな兵器に仕上げるための実験だ。これが成功すれば、どんな戦場でも役立つ」
 満足げに博士が笑う。ノナはこの効力がなかなか発揮しないが、イコサはもうすぐ術式が完成する。
 首輪に術式を身体の術式とリンクするように組み込み、これでテトラの言葉を信じたと仮定しても、望みは潰える。