TINCTORA 017

061

 イコサとノナが男女の関係となってしまったのは仕方ないとも言える。それは人間の本能なのか、それとも寂しさを埋め合わせる為の行為の結果だったのか。そう、二人きりなってしばらくのことだった。
 口付けを交わし、二人で寒さをしのぐように抱きしめあって、最初はそれだけで満足できていた。でも、それだけじゃ満足できなくて、その果てが見たくて。
「ね、ノナ、やってみようか」
「うん、イコサならいいよ」
 若さに負けたのか、二人はくすくす笑って愛し合った。口付けの果てに肌を重ねて、そして微笑みあった。
「愛してる、イコサ」
「おれもだよ、ノナ」
 だが、気を抜いてしまったのがいけなかった。二人の行為はすぐさま、博士さまの知るところとなった。
「おれが、我慢できなかったんだ。俺が悪い」
 イコサはそう言った。罰してくれと自ら言う。すると、博士様はイコサの大嫌いな目をして笑い、では、罰を受けよ、といった。白い研究者たちが多くいる中で最初に行われたのは日々の魔方陣の書き込みだった。
 うそだ、こんなに罰が軽いはずは無い。魔方陣を書き込んだ後、博士さまは言った。
「本当に反省しているか? お前たちが行ったことは、人間のすべき行為であってお前たちの行うべきではないことくらいわかっているな? お前は何だ? 言ってみろ」
「……兵器です。博士様の兵器です」
「では、兵器に感情は必要か?」
「いえ」
「そうだな? では何故した?」
「おれが……馬鹿だったからです。ノナは嫌がりました」
 イコサは必死にノナを救おうとそう、嘘を言った。
「ノナに罰を与えるな、と?」
「はい」
 見下して、そして哂う。
「ノナのためなら何でもできるか?」
「……はい」
「そうか。なら、いいだろう」
 博士さまはそう言って下がっていく。代わりに入ってきたのは白い研究者たち。円形にイコサを取り囲んで、じわじわと近寄ってくる。それはちょっとした恐怖だ。
「あ、そうだ。決して殺すな、前のように……な」
 一人の腕が服を掴んで破り裂く。肌が覗き、床に押し付けられる。そしてノナと共にしたからこそ、される行為がわかった。これが、罰か!! 自身を握られて、ぞわりと全身に鳥肌が立つ。
「おい、あれ」
「ああ、あれな」
 ひそやかに交わされた会話の直後、首筋にいつもの感触。金属の針が入り込み、液体が入る。しばらくして意識が遠のいていく。そして次には、耐えられないような衝撃がきた。
 裂けるような皮膚の感触、熱い感触、痛み、重み、そして恐怖。
「ああああああ」
 揺さぶられる。涙が止まらない。唇をかみ締めすぎて、血が垂れる。
「ほら、ノナ。お前を無理やり襲ったやつの末路だ。満足するだろう? お前と同じ痛みだぞ?」
「……イコサ!!」
 ノナの悲鳴にイコサの意識が少しだけ覚醒する。
「の、な」
「イコサ! ひどい、博士さま、ひどすぎます。どうしてこんなことを……!?」
「……ひどい?」
 イコサのうめきが聞こえる。
「イコサが言ったのだぞ? 俺がお前を一方的に抱いたのだと、違うのか? お前が望んだのか?」
 ノナにはそれがノナを救うための嘘であると理解した。
「……」
「そうか、合意の上か。そうか、そうか」
「……っ」
 ノナは否定できなかった。
「なら、お前にも罰が必要だよなぁ?」
 研究者の半分がノナに手を伸ばす。ノナの服に手をかけ、そして悲鳴を上げる。
「博士様ぁああ!!」
 イコサが絶叫した。視線を博士に向ける。
「約束が違う! ノナには手を出さないと!!」
「それはお前が一方的にやった場合。合意の上だったんだろう? なら女であるノナにも必要だろう?」
「あああああ!!」
 今度はノナの絶叫が響いた。ノナの姿を見て、イコサは理性を失った。イコサに乗りかかり、犯していた研究者の一人が血祭りに上げられ一瞬で死ぬ。そしてノナを犯していた男も殺した。
「殺してやる!」
 イコサは感情のまま叫んだ。
「だめよ! イコサ!!」
「殺してやるぅううう!!」
 飛び掛ろうとしたイコサにも余裕で笑う。
「やれ」
「はい」
 瞬間、イコサの身体が魔方陣で発光する。
「ぎゃぁあああああ!!!!」
 イコサが仰け反って絶叫する。
「何をしたの!?」
「何、イコサはお前と違って優秀でね。違う魔法陣を組み込んでいるのさ。イコサには絶対服従の魔法を仕込んだ。もう、イコサは操り人形、というわけだ。殺人人形に相応しい」
 一旦気を失ったイコサを抱き寄せて、ノナは青い顔をする。
「……外道!」
 ノナは涙を流した。
「お前はいらない。女は嫌いだ。すぐ、男を誘惑する。あの汚らわしい母と一緒だ」
 己の過去を思い出して吐き出す言葉には憎しみが宿っていた。
「……今度は私をイコサに殺させるのね……!」
「破棄処分だ」
 ノナが睨みつけても博士さまは笑っただけだった。ぴくりとイコサの瞼が動き、青い目が姿を現す。
「ノナ……」
「イコサ」
「イコサ・キリングドール」
 びくり、とイコサの身体が痙攣する。そのまま、いやだというように目が訴え、首がかすかに震える。
「ノナ・キリングドールと殺し合え」
「はい」
 滑らかに意思と反して紡がれだす言葉。そしてノナから離れる。立ち上がり、構えるイコサ。
 しかし最後まで目が嫌だと叫ぶ。しかしその意思さえ蹂躙されて、イコサの瞳からノナが消えうせる。
「イコサ」
 ノナもまた、決意する。そして加速した。激突する。イコサは速力に特化したキリングドール。先に仕掛けなければこちらが死ぬ。先にイコサの頭を蹴り飛ばし、脚を出させない。イコサが瞬時に立ち上がって、構える。
 ――くる!
 ノナは感覚で理解し、そしてあてずっぽうで腕を突き出す。クロスカウンターを叩き込み、ふっと指先に力を込める。接近した敵を見逃すほど、キリングドールは甘くない。イコサの手刀がノナに叩き込まれる。
「ぐふっ」
 血を吐いて、それでも指先に力を込める。これはヘキサから、そしてテトラから託された願い。
 トン、と軽い調子で触れたのは首輪。瞬時に衝撃が襲いくる。それはヘキサの得意技、ノナが受け継いだ、破壊の一撃!!
(首輪さえなければ、自由になれる!)
「ガッ!!」
 イコサが衝撃で吹っ飛びそうになるが、それをあえて抱きしめてとめる。イコサの腕はノナを貫いたまま抜かれていない。青い瞳が帰ってくる。衝撃で意識を失ったイコサが瞬時に回復するのは見越していた。
 それを見計らい、動きの止まったイコサにノナは口付けた。イコサの血の味がする、最後のキス。
「大好き、イコサ」
 にっこりと、微笑んだ。
「ノナ!!」
 イコサは目が覚めたとき、口付けられていると知って驚いた。だけど、血の味がして、そしてノナが笑って。
 視線を下げれば、そこには貫かれたノナの胸があり、貫いた自分の腕がある。
 一瞬、真っ白になった。そして何が起こったか、容易に想像できて……。
「うあぁああああああああ!!!!!」
 イコサは絶叫した。ノナを殺してしまった。愛していたのに! 自分より大事で、大切だったのに!
 イコサがノナを殺した。いや、ノナを殺させた、許さない。許せない!!
「殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる!!!!」
 気づいたら博士さまに飛び掛っていた。一瞬で首を切り落とす。
「やばい、首輪をつけていないぞ!」
「制御が!!」
「ぎゃぁああ」
 次々と研究者を殺していく。施設は血の海と化した。

 赤いバラがあのときの血の海のようだ、とかすかにティフェレトは思った。
 ここで待て、といわれてからティフェレトは窓際から動かなかった。日が差し込む窓からは暖かな午後の光が差し込む。見事な城の庭園。
 そういえば城に入ったのは初めてだ。ケテルといろいろな屋敷に行ったが、ここまで大きな庭、さすが一国の主の庭だなと思った。
「なにか、興味の惹いたものがあったかい?」
 ぎぃっと音がした瞬間に声が響く。ティフェレトは振り返って目を見開いた。
「……ケ、テル」
 白いケゼルチェックの色が良く似合う。栗色の髪もそのままで、力強い空色の瞳を見た瞬間に泣いてしまいそうだった。
 ああ、ケテルがこんなそばに。返事がないのも構わず、ケテルは触れる位置まで近寄った。
 何を言われるか、何をされるか、ティフェレトは息も止めてケテルだけを見ていた。
「髪、切ったんだね?」
 そうだ。魔法の為に魔法の道具として博士さまが切った。あのときと同じくらいに切りそろえられた。
 さらっと指が毛先をなでていく。かすめるようにほほに触れて、息が震える。
「僕を忘れたわけではなかったんだね? ちょっと記憶があいまいな君を見てるからね、心配した」
 そのまま首筋に指が降りていく。ああ、もっと触って欲しい。
「ねぇ、どうして僕から離れた?」
「っ……」
 ティフェレトは揺れる瞳でケテルだけを見ている。その身体が小刻みに震える。何か、何か言わなければ。でも、今更? 何を? 侘びの言葉か。それをケテルが欲しているとでも?
 ティフェレトが逡巡している間に唇が柔らかなものでふさがれる。身長差をものともせずに口付ける。唇を割って、舌が差し込まれる。拒否することなどできはしなかった。そのまま上あごを舐められて、ぞくりとした感覚が駆け抜ける。
 動かした手首を捕まえられて、窓にはり付けられる。ああ、うれしくて、感情がこらえ切れなくて涙が流れた。
 抵抗されないと見るや、ケテルはティフェレトの軍服に手をかける。その間に角度を何度も変えて口付けが続く。
「ん……ふ」
 吐息が漏れる。薄目を開けたティフェレトにケテルが微笑んだ。
 軍服を割り開こうとしていた手が止まり、同時に口付けも止まって、唇が離れていく。ティフェレトが、え? といった表情を隠せずにケテルを見る。
 ケテルは変わらず微笑んで、そして一歩、離れた。
「……軍服、似合わないね」
 くすりと笑って、身を翻すと、ケテルはそのまま部屋を出て行く。ティフェレトは愕然として、そのまま手を伸ばした。
「ケテル!!」
 叫んでいた。ドアの隙間からケテルが飛び切りの笑顔で手を振った。
 腰が抜けたように、ティフェレトはその場にへたり込んだ。
 ――ケテル、そのバイバイは何? もう、ぼくのことはいらなくなっちゃったの? それとも?
 伸ばされた腕が震えて、力を失って落ちる。震えている手を握って、そして胸の前で抱き込んだ。
「は、何を想う……? そんな資格ないくせに」
 泣きたかった。でも、泣けなかった。もう、ぼくじゃない。ぼくはおれになった。イコサに戻ったのだから。
 壊れた世界はもう元には戻らない。直そうとしなければ戻る可能性さえ潰えるのに。
 知っていたけど、でも……決めたから。
 会えてよかった、もう一度声をきけてよかった。これで甘える自分と決別できる。
「さようなら」
 ――さようなら、ケテル。さようなら、ぼく。さようなら。
 イコサの決意は固く、再び立ち上がったときは、殺人人形に見事に戻っていた。