TINCTORA 018

063

 エルスでは栄えた街として名を上げる南方ケゼルチェックの土地。その港町のカフェで一組の男女が何気なく午後を過ごしていた。
 誰もが目にし、そして誰もが普通に行うであろうその日常は当の本人達にはあまり経験のないものであった。なぜなら、彼らは賢者だったからである。
 黒い髪と目に真っ白肌はここらの土地ではお目にかかれない東洋の美女を思わせる。目立つはずのその容貌に目を向ける人がいないのは、彼女がそういう特徴を隠すことになれているからだ。
 魔法使い、魔術師とはいえ、魔法を使うことだけがすべてはでない。賢者ともあって長生きをすれば、自然と身につくものだ。いくら自分が目立とうが、目立たず雰囲気に溶け込む所作など。
 その彼女は目の前の若者にしか見えない、しかしはるかに長く生きている青年に声をかけた。
「こうして日常に溶け込むのがあなたの賢者としての生き方なのね」
「そういう風になんでもかんでも賢者や魔法と結びつけるのは止してもらおうか。僕はただ単純にここのカフェオレが好きなだけなんだ」
 カップに口をつけ、店の外の活気ある人々を眺めて青年は微笑む。
「で、本題はなんだ? 『静寂なる深海の雪』。僕の休憩時間を見計らったように相席するなんてしゃれた真似をする」
 賢者として呼ばれた彼女はにっこり微笑んで相手を呼ぶ。
「ええ。あなたにお願いがあってきたの、『全てを喚びこむ明るき漁火』」
「『大帝の剣』の一派に加われという話だろう? その話ならもう断ったが? 何度も」
 最後の一言にアクセントを置いて青年が言う。
「でも、『黒煙の影』の一派は優秀な賢者を抱えているのよ。『文明の飴』、に『破壊の女神』」
 普通の人が聞いたらまさか人の名とは思わないような賢者の二つ名を上げる深海の雪。
「『破壊の女神』は僕のように関わりたくない派だと思うけど。それを言うなら君たち『大帝の剣』一派の方が数は多いのでは? 『深海の雪』、『妖精の長』、『邪眼の魔王』」
「今は一人でも中立というか、関わっていない賢者を集めたいの。あなた方の知識と魔力を貸してほしいのよ」
 やれやれとため息をついて明るき漁火が目をそらす。
「僕の他の中立派とやらに声は?」
「『等しき天秤』は『大帝の剣』がかけているわ。『太古の血脈』は『邪眼の魔王』だし、『闇の果て』は『妖精の長』がかけているのよ」
「役割分担とは……効率性重視なことで。他の二名は?」
 呆れて問うと深海の雪が答える。
「『群青の君』ははっきりと拒絶されて、それだけで戦闘になりそうな雰囲気だったからあきらめたわ。頭が固いのね、あのおばあさん」
「……おばあさんって失礼だな、君は。君たちみたいに若作りしてないだけだろう。」
「それ、自分にも当てはまりますから」
 じとっと若い青年の姿をねめつける。明るき漁火は視線を逸らす。
「こほん、で『楽園の檻』は?」
「それが、だめ。あの人姿を補足できないの。まったくどんな魔法なんだか。そういえば、『楽園の檻』ってどんな人相かも知らない。あなたご存知?」
「いや。……おそらく、彼と個人的に付き合いがあるのは最古の賢者だけじゃないか?」
「そこで『黒煙の影』につながってしまうのよ。だから困るの。あなたをしつこく誘う理由もわかっていただけて?」
 明るき漁火は肩を竦めるに留めた。
「それで、僕に何を?」
「漁火……『全てを』、『喚びこむ』、『明るき』……『漁火』」
 彼の二つ名を短く区切って唇にその名を乗せる。
「貴方なら『呼べる』いえ、『召喚できる』のでしょう? 誰でも。召喚魔法に特化した賢者・明るき漁火」
 明るき漁火が視線を漂わせてカップに口を付けた。
「誰を?」
「だからこその、『楽園の檻』では?」
「……成程」
 明るき漁火は一つ頷いてカップの中身を飲み干し、立ち上がった。急な動作に慌てた様子の深海の雪。
「な、話は終わっていないわ!!」
「いいや、終わりだよ」
 立ち上がり振り返って明るき漁火は笑った。
「我ら賢者の行動要因とは何か? 深海の雪」
「え、それは……その」
 深海の雪のカップも取り上げて、明るき漁火は店の出口へと歩き出す。
「興味だ、それで済む」
 慌てて後を追うべく深海の雪も席を立った。そして外へと連れ出して紳士淑女のように腕を組む。
「行こうか。召喚には今夜は最適。……満月だからね」
「では!」
 深海の雪は笑顔になった。くすっと明るき漁火も微笑む。
 ――生きている『隠遁の賢者』を召喚する。それ、なんかおもしろくない?
「そういえば、明るき漁火。『賢者の石』ってご存知?」
 歩きながら深海の雪がこっそり言った。
「ああ、神の欠片とか噂の手にすればこの世のものは全て思うがままというあれか」
「そう。それがあれば私達の目的は格段に短縮できるのよ。何でもいいわ。何か知っていることはない?」
「そういえば賢者と名前がつく割には知らないね。赤い石だとか、昔の賢者が作ったとかそれこそ眉唾物な事しか知らないね」
「そうよね……。等しき天秤は在り処を知っているらしいけど、教える気はないみたいだった。楽園の檻は知っているかしら?」
「まぁ、最古の賢者の一人なのだし、知ってる可能性はあるが……」
「そうよね」
 深海の雪は賢者なのに人間の少女のような、思わず手を貸してしまいたくなるようなものがある。それが彼女の魔法なのだろうか。知らずに操られていたりして。明るき漁火は苦笑した。

 ナックはクァイツやダリアといった信頼できる面々と共に石造りの街へと足を向けていた。彼らが魔法に対する知識や対抗手段について乏しいのは確かなことだった。
 楽園の檻と名乗った子供の賢者に言われなくとも自覚していることではあったが、神の使いである神父やシスターがおめおめと魔法を使い魔の手にかかるわけにはいかない。
 ナックからすれば、魔法というのは貴族の間では学問の一つであり、優秀な魔法使いを雇うのは当然のことらしいのだから禁忌に触れる神に背く行為と位置づけるのがいまいちわからない。
「それはだな、ナック。我らの敵である者と学問の魔法とは普通に違うものなのだよ」
「どこが違うんだ? 魔法なんだろう?」
 クァイツは剣を抜いて空に翳しながら言う。
「例えば、剣術」
 その剣を突然ナックの首につき立て無表情でクァイツは言った。
「この行為は悪か善か? ナック」
 驚いたナックはそのまま一瞬呼吸を止めた後に、息を途切れ途切れにしつつ言い切った。
「悪である、と思う」
「なぜ、そう思う?」
「俺が死ぬ、可能性があるから……」
 クァイツは頷くと剣を鞘に戻した。ナックは思わず首を撫で、ため息をつくと同時に息を吸い込んだ。
「悪かった、驚かせたな。ただ、こういうことなんだ。何が違うか。『目的』が違う剣術は例え同じに見えても同じものではない、そういうことなのだ」
「まぁ、ナックがそう感じてしまうのも無理はないの。明確な基準があるわけではないし。だから異端審問があるのよ。そのものが異端かどうかを調べるためのものが。そこで悪の技かどうかを神に誓ってもらうのね。そうすることで目的を図り、善か悪かを判断するのよ」
 ナックは頷くと同時に二人には訊けない問いが在るのを感じた。
 ――明確な基準がないのなら、異端審問の審判はいかにして行うものか。
「人を害する可能性があり、人を害する目的で学ばれた魔法ならそれはすなわち悪だ。しかし護衛の魔法使いや純粋に学問の向上のために学ばれた魔法は我々の叡智の欠片となる。それは善い行いだ」
 聖書を真面目に学んでいないにわか神父のナックにとってはそれはひどく曖昧に感じる。確かに言っていることは正しい。剣術だって武器だって護衛のためなら正当化されても、殺意や害意を持って向ければそれは罪だ。
「じゃ、賢者は『悪』?」
「まぁ、悪かどうか判断しがたいが、彼らは娯楽の為なら何万という人間を不幸に陥れるのも厭わない。それは彼らの本性が『悪』ということだよ」
 クァイツはそう言った。ダリアも頷いて微笑んだ。
「そっか」
「さっすが、模範的な神父さんはご意見も立派なもんだ」
 背後から声が響き、驚いて一行は振り返る。そこには目にも鮮やかな赤色の神父服が風になびいていた。
「……異端審問?!」
 クァイツがおどろいて武器を下ろす。
「ご高名はかねがね。クァイツ=レイズ筆頭神父。並びにジュリア=フェロン・シスター長。お初お目にかかります、異端審問第八部隊所属・『マスターゴーレム』イアン=マーケティーニであります」
「第八部隊……?! じゃぁ……」
「はい。あなた方が魔法に対してクソみたいな戦い方しか出来ないとのことで、上からご助力申し上げろとのことです。今日からご厄介になります」
「だめもとの申請が……通っちゃった……わけですか」
 部下がひっそり呟く。ナックがなにあの好戦的な見るだけでいらっとさせる人と思っている間にイアンはニィっとナックに向かって笑う。
「お前新人かぁ? 異端審問をわかってねーな。魔法ってのぁよ、『主』の行いを汚す行為に他ならねぇ。魔法使ってるようなやつは、十中八九『悪』と相場は決まってら。『異教徒』はそれだけで死ぬほど『罪』なんだよ」
「じゃ、王宮付き魔法使いとか、貴族のお抱え魔法使いとかは?」
 ナックが慌てて言うとイアンがまたにぃと笑う。
「神の教えを守る忠実な『信徒』である証を示せるのさ。そういう奴らは、よ」
 そういいつつ、彼の右手は属にお金を示すジェスチャーをしている。
「ちょっと! 貴方」
 ジュリアにイアンは肩を竦めて謝る態度を見せる。
「魔法と相対するような神父なんでしょ? こいつは。なら早く現実を教えてやった方が為ですよ」
「……結局どこもかしこも金と力がものを言うってことかよ」
 ナックが呟くとイアンは頷いた。
「わかってるじゃねーの。人間を動かすものがそれらである以上、多く持つものが多くを従えるのは自然の摂理だ。ただじゃ誰も生きていけないんだから当然だわな」
 救世主がもしこの世にいたならば、彼は己の善行で飢餓に苦しむ人々を無償で救えただろう。彼らの使徒と呼ばれる教会の人間は彼らの教えを守るものでも、彼と違って無から何も生み出すことは出来ない。
「だからこその主の教えなのだ。貴公も神父ならばお分かりのはずだろう」
 クァイツが厳しい顔のままそう言い放つ。イアンは肩を竦めてご尤も、と黙った。
 ――こうして、ナックらの対抗手段であるゴーレム使いとの仲は険悪になり、賢者の思惑に乗るしかないと思わざるをえなくなったのだった。

 明るき漁火とはよく言ったものだ。深海の雪とは魔逆の、その魅惑的な魔力の流れを深海の雪は感心して眺めていた。
 魔法使いは自身のラボと呼ぶべき自身の研究拠点を持っている。その拠点を他の魔法使いに見せることは自身の力を公開することにつながり、手札を見せるようなものであるから、見せないというか隠しているのがほとんどなのだが、明るき漁火は気軽に深海の雪を招いた。
 それほど自身の魔法が独自のものであると自信があるのか、こだわっていないかどちらかであった。
 その明るき漁火の召喚場は天井がなく、ただの広い空間だった。
 円形の庭に面したその場所に明るき漁火は少し思案した後、さまざまな鉱石を持ち出し、魔力と特殊な液体でそれらを液状にし、色とりどりの液体を作成した後、なにもない床に魔方陣を書き込み始めた。
「まぁ、相手は生きている『人間』だし、悪魔や魔物ではないのだから略式でよいだろう」
 この世の生き物ではない悪魔や魔物は召喚手順が決まっており、数字や数年を要するのはざらだ。彼はこの世で唯一どんなものでも召喚できると噂される。それは天使や神の一部だって可能だという噂だ。
「深海の雪、そこで見学するのは構わないが、一歩も動いてくれるなよ。計算が狂う」
「わかったわ」
 深海の雪は頷いて神妙にした。それ以降明るき漁火は深海の行きの姿など目に入らないかのように最終チェックを始めた。辺りを見渡した後、納得したかのように一つ頷いて、明るき漁火は上着を脱いで、シャツの袖を肘上までまくる。
 鉱物で己の腕まで魔方陣を書き込んでいく。床に書いたものよりは簡単なむしろ刺青のような柄だったが、彼の魔力を吸って鉱物さながらに光った。
 トン、トンとかかとを踏み鳴らす。
(……詠唱がないんだわ、特殊な魔法……確かに模倣は不可能ね)
 深海の雪は思わず息を呑んでその召喚を見守った。言葉による詠唱は一切なく、そのままリズムを取る度に、魔方陣が所々発光し、魔力がこもって魔法と組みあがっていくのを深海の雪は驚いて見ていた。
「そら!」
 拍手を一つ。すると魔方陣が一斉に光り、中から人影が現れた。
「召喚される経験って珍しいんだけども、どこのどなたかなー? って、あれ?」
「え?」
「『罪を飾る楽園の檻』?」
 深海の雪も明るき漁火も驚いて目の前の子供を見る。だって賢者が子供とは思わなかったからだ。
「おやおや、最近は珍客によく出遭う。さてさて定期的に会う機会を設けているお仲間お二人して僕に何の用かな? 『静寂なる深海の雪』並びに『全てを喚びこむ明るき漁火』」
「成功した。生きている人間も魔力の残滓があれば召喚は可能、ね」
 明るき漁火は一人魔術の成功に納得した様子で頷く。慌てて深海の雪が口を開いた。
「本来ならば私が貴方を訪ねるべきなんだけど、貴方の居場所を知っている人に心当たりがなくて、明るき漁火に呼んでいただいたの。まずその無礼をお詫びするわ、楽園の檻」
 優雅に腰を折る深海の雪に対して、無邪気に楽園の檻は笑う。
「そんなに大したことじゃないけど。『等しき天秤』に訊けばよかったのでは? 彼女ならたぶん簡単に教えてくれるよ」
 それを訊いて深海の雪は視線を反らし、明るき漁火は思いつかなかったな、と呟いた。
「で? 召喚に答えたからには僕には君らと契約を結ぶべきかい? そういう魔法は混じっていないように感じたけれど」
 悪魔など異次元の生き物の召喚には己が制御できるように、召喚の過程に屈服や契約なども魔法に練りこむ。故に時間や準備が長く複雑になるのだが、成功すれば己の目的どおりの使役が可能だ。
「呼ぶのが目的だし、貴方は人間だからそんなことは必要ないと思ったんですよ」
 明るき漁火が言った。
「ふむ。それはありがたい。で? 呼ばれたからには何か用?」
「此度の賢者内での諍い、貴方は『大帝の剣』側に加担して下さる気はない?」
 これ以上の会話はなしなのかと明るき漁火は感じたが黙ってやり取りを眺めていた。
「加担。加担、ねぇ? 言い方が正しくないよ。我々賢者が集団でことを進めるに値する集団に育つと思うかなぁ? 僕は否だよ。君と違って大帝の剣が面白いことは認めるが心酔には値しない。そんな人間らしい言葉が賢者の君から届くとは、ある意味新鮮。ある意味予想外。助力が欲しいならそれに見合う報酬を提示すべきだ」
「報酬に見合えば協力を惜しまない、と?」
「魔法使いとは基本そうだと思うけど」
 楽園の檻はそう言うとその場に腰を下ろした。
「貴方の望む報酬とは?」
「賢者は生きる屍。その意思を生きる方向に持っていく刺激が一番の報酬だ。君や大帝の剣はどうか知らないが、ほとんどの賢者はそういうものだ。そこに味方も敵もない。ただ、それが重なったときのみ協力体制が描かれるだけの話。君は根本から賢者の考え方ではない」
 語られるその姿はまさしく子供なのだが、語るその表情や口調が老人を思わせた。これが最古の賢者か、と明るき漁火は内心興味を覚えていた。
 確かに楽園の檻が言う言葉は正しい。明るき漁火ももうこの世で召喚したいものなどないから、賢者になってしまったのだ。自分の技を高める者があるならそれに夢中になり命さえ簡単に投げ出してしまえる。
 そう、明るき漁火にとっての興味、刺激がそれだ。
「貴方こそ、言い方が正しくない。具体的な貴方の刺激こそ提示すべき内容だ」
 明るき漁火に言われて、しまった! 気づかなかった、といった顔をする楽園の檻。
「なるほど、正論だ。で、君はそれが知りたかったのかね? 基本的に僕はなんにでも興味を持つんだ。だから協力した暁には何を見せてもらえるか、何が変わるのかを教えてもらいたい。そうだね、大帝の剣に協力しろと言うなら大帝の剣に協力した暁には何がどう変わるか、それが僕を刺激すれば協力は惜しまない」
 一部納得できる理由だ、妥当かなと明るき漁火は思っていると深海の雪が言った。
「では、協力してもらえない場合でも私達の目的が知れてしまうじゃない。貴方は目的を黒煙の影側にも話してしまうのでしょう? 目的が知れれば対策も練れてしまうのよ!」
 どちらかと言えば深海の雪は怒った口調だったが、逆に楽園の檻は鼻で笑い、失笑した。
「底が知れる」
 一言だった。ばっさり切って捨てられたその言葉に深海の雪は一瞬唖然として、次に侮辱されたと思ったのか再び口を開いた。だが、その前に明るき漁火が彼女を制止する。
「深海の雪。本来の目的はそうじゃなかっただろう? 『社交辞令』に熱を上げることはない」
 明るき漁火のフォローを意外そうに見守る楽園の檻。だが、彼を尊重して楽園の檻は言った。
「では、『本題』を訊こうか? 深海の雪」
 深海の雪は怒りをどうにか押さえ込むと咳払いを一つして改めて問うた。本来の目的がスカウトだったが一蹴されてしまえばしかたない。軽く話したあの話だろうと辺りをつけ、深海の雪は言った。
「『賢者の石』について教えていただきたいの」
 今度は楽園の檻も笑わず、顎に手を当てて、ふむと考えた。
「何が知りたい?」
「まずは在り処を。等しき天秤は最古の三賢者のみ知っていると言っていたから」
 等しき天秤は在り処は三人以外が口伝するときは誰かが死んだときのみと言っていたが、どうしても確かめておく必要はある。だって黒煙の影は知っていることになるのだから。
「在り処は知ってるよ。だけど教えることはできないな」
「やっぱり」
 わかっていたとはいえ、残念さを隠すことも出来ず、深海の雪はため息をつく。
「おや? なんでそう思う?」
「等しき天秤は言っていたわ。賢者の石の在り処を知っているのは管理をしている賢者三人のみ。その三人以外が知ると二度と補足できなくなってしまうって」
 それを聞いて楽園の檻は一瞬目を丸く見開いた後、腹を抱えて笑い出した。
「な、なに?」
「成る程。アーシェにしては陳腐な嘘をついたものだ」
 明るき漁火は等しき天秤というか賢者を名前で呼んだことが新鮮だったが、深海の雪こそ目を見開いた。
「嘘!? 嘘ってどういうこと??」
「そんな制約はないよ。確かに在り処は教えられない。でもそれはそんな約束のためじゃない。黒煙の影と契約したからだ。たぶん、等しき天秤も黒煙の影と契約したんじゃないかな? だから、そんな納得できるようで無茶っぽい嘘を。っていうか、等しき天秤としてはそんなあからさまな嘘を信じるかで君たちの器を図っていたんじゃないの?」
 笑いながら言われたことは深海の雪にとってショックであると同時に先ほどのやり取りを越える怒りを感じた。
「あの、女!!」
「一つ、教えよう。『冷酷なる等しき天秤』とは僕が彼女につけた名だが、嘘をつけない、つかないという意味ではない。彼女は賢者だよ? そんなわけない。あれは冷酷と思えるほど、等しい天秤のような魔女なんだよ」
 幼い唇を吊り上げて楽園の檻は続ける。
「すなわち、物事を量らせたらわずかな狂いすらなく、正確に判断できるという意味だ」
 明るき漁火は召喚を主にするが故に、その二つ名を納得できるが、他人の二つ名はそれぞれ意味があるのだと改めて感じた。適当ではないわけか。
「そしてたぶん、等しき天秤にも言われたと思うが、年長者として一つアドバイスをあげよう。若い魔女」
 立ち上がって左右違う瞳に怒りと恥辱に染まる深海の雪を写す楽園の檻。
「『賢者の石』には手を出さない方がいい。あれは人間に『賢者』ですら扱える代物ではないよ。それを知ってなお扱おうと思うのは思い上がりだ。愚か者のすることだね。大帝の剣に言うといい。賢者の石を使って君らの成すべき事をしようとすれば、必ずそれは失敗に終わるだろうと。……特に今回の賢者の石は」
「え?」
 怒りに染まっている深海の雪は否定をするが、明るき漁火は最後の言葉が気になった。
 ――今回、の?
「そんなことはない。大帝の剣ならやり遂げる」
「さて、本題も終わったことだ。僕はそろそろお暇しよう。『檻』の外は僕にとって居心地がいいものじゃないんだよ。興味を惹くものはたくさんあるけれどね」
 『退去』の術式すら用無しと見えて、その場で楽園の檻の姿は液体のように形をなくしてその場から消え去った。
「ふむ、確かにあれは賢者だ」
 明るき漁火は納得する。すると深海の雪が憤慨して言った。
「どこが?」
「彼の主張には納得できるモノが多くあったよ。君は違ったのなら、君はまだまだ賢者ではない部分が多いんだ。それは恥ずべきことじゃない。逆に貴重なものだ。例えば、彼の報酬が刺激と言う話。君は言ったね? 目的が知れれば敵にも知れる、と」
 そう、楽園の檻の下に黒煙の影が来て、目的を報酬代わりに教えろと言う可能性があるということだ。
「教えてしまえば、敵の持ち寄った刺激が君らの目的以上であるということだ。それは楽園の檻という賢者を図れなかった君たちが悪いのさ」
 そもそもこれは魔法使いの基本事項だ。人間であったことはそれが物欲であり、金であったが、賢者は長いときを生きる糧を探す。
「……私が賢者として未熟であるのはわかったわ。今回はありがとう、明るき漁火」
「礼には及ばない。私の糧は召喚に対するものだから。しかし……これでよかったのかい?」
 召喚は成功したが、彼女の目的は果たせなかったのだ。
「いいの。裏切り者を見つけたのだから」
 深海の雪の目は怒りに燃えていた。そこらへんが若いのだと明るき漁火はアドバイスすることを胸に留めた。