TINCTORA 019

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 ナック達、異端審問官はナックが所属した時から短期間で大きく編成が変わり、ナックですら把握が困難になっている。
 まず教皇庁、通称ヴァチカンの頂点はもちろん、教皇である。現在の教皇はヴィント教皇である。
 その教皇を支え、各地の教会並びに、関係各所をまとめ、人々の祈りの礎となるべく組織の運営を任されているのが枢機卿。ナック達異端審問官を束ねるのは枢機卿の一人、コンサイス枢機卿だ。
 ナックは会ったことがないがもう二人枢機卿が異端審問官の組織を支えているというが、資金面などで協力しているだけで、実質異端審問はコンサイス枢機卿が束ねていると言っていい。このコンサイス枢機卿が創ったのが異端審問で在り、多くの神父、シスターを抱えていた。
 黒い格好をしているのが特徴で、といっても一般的な神父やシスターは黒い服を着ているので、それに合わせた形をとっている。ナックもここに所属する。
 この黒い異端審問を束ねるリダーがクァイツ。シスターをまとめるのが、ジュリアである。銃器や刀剣の扱いに長ける者が多く、実働部隊である。
 対して赤い目立つ格好をしている異端審問が存在する。設立にはコンサイス枢機卿ではない枢機卿が立ちあげたらしいが、管理は異端審問と同じく、コンサイス枢機卿が行っている。異端審問の中でも特別部隊と言っていいだろう。野蛮で性格に問題のある者が多い、ようにナックには感じられる。
 彼らは対魔法戦を想定して作られた過激派である。コンサイス枢機卿の命令には従うが、独自で動く場合がほとんどで、ナックはしばらく在ったことも無かった。
 黒い異端審問と赤い異端審問。両者の仲は当然良くなく、互いをよく思っていないことはわかる。その両者が手を取り合って、共同で作戦を行うことがコンサイス枢機卿の命令で決定した。それも、ティンクトラによって、多くの仲間が負傷、最悪の場合は殺害されたせいである。
 水色の双子や魔法使いの男の手によって黒い異端審問官は半数に減らされた。それに加え、敵であるとわかったホドクラー卿は、これまた賢者によってもたらされた情報により、風魔法に強いことが判明したので、対魔法戦を考えざるを得なくなったからである。
 ナックの部隊には、土使いのいけすかない赤い神父が加わった。今まで共にしたネグロやダリアと言った仲間は他の班の編成になり、相談したいクァイツはエルスのお偉いさんから離れられないのだという。しかも自分がリーダーのままという、どうすればと途方に暮れることは変わりない。
「で、ナックさんよー、今後どぉすんだよー?」
 黒い神父服の一行とも口を利いた事も数えるほどしかないというのに。
「今、クァイツに今後の方針を確認中なんだ」
 と、答えるしかない。
「ってもさ、ホドクラー卿が黒ってわかったんなら、屋敷を荒さがしなりすりゃいいじゃねーか。疑わしきは罰せよ、これ異端審問の基本だぜ?」
「それでいいのかなぁ」
「でも、ホドクラー卿は侯爵という肩書をお持ちですが、ご自身の屋敷を持っていらっしゃらないようですよ」
 書類を確認しつつ、若手の神父がそう告げる。
「え? そうなのか?」
 貴族=金持ち=屋敷持ちというイメージだったのだが。
「はい。ケゼルチェック卿の御屋敷に住んで居らっしゃるようです。ちょっと特異な方ですね」
 自分の屋敷といえば、貴族なら持っていて当然だろう。逆に持っていなくてどうやって客などを持て成すのだろうか。ナックなどは当然知りえないが、ホドが激務すぎて自分の屋敷を持つ手間と暇をはかりにかけて不要と判断したためだ。ホドはそういうところは実益だけ考える人物なのである。
 ちなみに、将軍を任されるネツァーも爵位は侯爵。ヴァトリア侯爵で、彼女は屋敷持ちの昔からの貴族かつ、大金持ちである。ホドはケテルとネツァーの屋敷を渡り歩いているというのが実情だ。
「じゃ、ケゼルチェックの御屋敷だな。決定」
「はぁ?!」
 ナックからすればこの国で十本の指に入る偉い人の御屋敷に入るなんて真似を考えることすらできない。
「なに言ってんだ、班長。俺らは異端審問だぜ? 押し入って捜査なんてざらにやってきたことじゃねーか。どんなお偉いさんだって主には逆らえない。いわば俺らは代理人だぜ? 文句なんか誰も言えないだろ」
 赤いやつらが過激なのはそういう所からきているのだろう。そして金を持つ人間だけがうまくすり抜けて行くのだろう。
「まぁ、そういう考え方は好きではないけど、他に思いつかないですね」
 皆に賛同されて、ナックは確固たる反対意見を言えず、ケゼルチェックの中心部まで赴くことになったのだった。

 以前、この御屋敷に来た時はクァイツと一緒だった。今度は一人(+過激な人間一人)であのホドクラー卿に立ち向かえるだろうか。しかも戦争が終わるまで手を出さないと約束もしたし、今度はアポイントメントも取っていないというのに。
 ――幸先悪そうだな。
 ケゼルチェック明るい色相に手入れが隅々まで行きとどいた庭、そして立派な屋敷を見上げ、ナックは思わずため息をついた。それにしてもキラがこの屋敷のどこかにいるのだとしたら、そうだ、こんなところで溜息をついて、立ち止まってはいられない!
「さ、行こうぜ」
 ナックが促して門番に声を掛けようとしたとき、明るい声が響いた。
「ナックだろ!!?」
 驚いて声のした方を見る。
「お、お前!!」
 門番のはるか彼方、ケゼルチェックの屋敷の中でナックは見知った顔を見つけたのだった。
「カナード!!?」
 ナックは異端審問に拾われる前は、このエルス帝国のレジスタンス組織の一つに所属していた。名も無き反抗分子、という名前の元活動していたのだが、突如ティンクトラという組織の一人である赤い目の男・ゲヴラーが襲撃を行い、組織は壊滅に陥った。
 そのレジスタンス組織に同じ時期に加入した仲間がカナードである。まだ子供で同じファキ村出身でもあり、ナックは仲良く共に過ごした仲間だった。レジスタンスが壊滅した際に行方不明になっていたのだ。なにせ、あの血の惨劇の中、カナードとキラの遺体だけが見つからなかったのだ。
「生きていたのか!」
 カナードは門番に知り合いと告げ、一行を庭園の隅の東屋に誘った。異端審問の他の面子はカナードを知らないが、ケゼルチェックの御屋敷に簡単に入れたので、想い出話くらいは目をつぶってくれるようだ。
「俺はあの時、オレガノに命じられてキラの足取りを追っていたんだ。しばらくして帰って驚いたよ。知らない人間が出入りしているから何かあったんだと思って」
 どうやらカナードはクァイツたち、異端審問が出入りしている最中に帰り、異変を察知したのだという。
「で、国に見つかったなら、みんな生きていないと思ってさ。必死に逃げたんだよ」
逃げている最中に事の真実を知ったようだ。
「で、それからどうして、ここに?」
「ほら、助けた人たちの戸籍を得るのに、ケゼルチェックかリダーを頼っていただろう? だから、もしかしたら、うまくすればケゼルチェックの戸籍が得られるかと思ったんだ」
 カナードは機転の利く少年だった。ナックのように絶望し、呆然とするのではなく、己が生きるために必死に道を模索したのだ。
「で、行き倒れたところを偶然にこの屋敷の庭師さんが拾ってくれて……今に至る、というわけ」
「へぇ! そりゃ、よかったなぁ」
「うん。ケゼルチェックの人たちはみんな優しいし、いい人が多い。なにせあったかいから冬場、外にいても凍死する心配はないし、いい街だよ!」
「……そうだな。クルセスの冬は厳しいものな」
 もう戻れない故郷を思ってナックが呟いた。クルセスの冬は厳しかった。手足の凍傷は放っておくと、生死をさ迷う大けがの元だったし、外に長時間いれば凍死する危険性も十分あった。皆肩を寄せ合い、冬場は少ない暖を一緒に取って過ごしたものだ。
 村は今、どうなったのだろう。焼き払われて、滅ぼされて。仕事仲間と一緒に酒を飲んだ酒場はもう凍りついてしまったのだろうか。火が燃え盛っていた溶鉱炉の火は当然なく、二度と動くことはないのだろう。
「ナックは? あの後どうしたの? それって、神父様だよね?」
 無邪気に聞くカナードは、年相応の少年だ。元々レジスタンスのような暗部にいるべき少年ではないのだろう。
「ああ。神父様に拾って頂いて……悪を裁くお手伝いをしてる」
 そう言った瞬間、赤い神父服の青年が笑う。睨むと肩を竦めて黙り込んだ。
「へぇ、すごい。ナックはいつでもかわらないなぁ」
 そんな眼差しで俺を見ないでくれ。俺は……流されて、そうしてここまで来ただけなんだから。キラも取り戻せていない。親父さまや村のみんなのかたき討ちすらできていないのだ。
「では、カナード君はこのケゼルチェックの御屋敷の庭師を?」
 部下の一人であるジョナサンが身の上話の区切りのいい所で割って入る。
「はい。まぁ、見習いですけど」
 照れたように笑うカナード。
「では、御屋敷にも詳しいの?」
「御屋敷全部に入ったことは在りませんけれど、庭に関係する所や、働いている人たちがご飯を食べたり、休んだりする所は自由に出入りできますから」
 もちろん、庭は任せて下さいと胸を張る。
「じゃぁさー」
 にぃっと笑う赤い神父服の青年がカナードを騙すように笑う。
「ケゼルチェック卿を騙して、悪いことをしようとしているやつがいるんだ。君さ、ケゼルチェック卿を救う為にも俺らに協力してくんない?」
「えぇ!?」
 カナードが驚いて目をまん丸に開く。ナックはせっかく幸せを手に入れたカナードを巻き込みたくなくて、赤い神父服の袖を引っ張ったが、彼はお構いなしにカナードに提案する。
「幼くて、慈愛に充ち溢れているケゼルチェック卿を騙しているらしいんだ。その証拠をおれらは探しているんだよ。でも敵も用心深くてなかなか尻尾を見せないんだ。君みたいにケゼルチェックの御屋敷で働いている人が協力してくれると、助かるなぁ?」
「で、でも……」
「君がここでこうして暮らせるのは誰のおかげ? 優しいケゼルチェック卿のおかげだよねぇ? ここで拾ってくれた庭師さんは誰に雇われているの? ケゼルチェック卿でしょう? そのケゼルチェック卿が騙されてひどい目に合っても関係ないの? 君ってそうやって恩をあだで返すような人なの?」
「おい!」
 カナードの目がおろおろと彷徨う。畳みかけるように言葉が重ねられていく。
「かわいそうな、ケゼルチェック公。君が勇気を出せば、救われる命もあるのにね」
「やります!やらせてください!!」
「うん、有難う」
 決断したカナードの目はまっすぐで輝いていて、ナックには直視しづらい。それでもカナードはナックに言った。
「何でも言って。出来る事なら協力する。なにより、ナックと一緒にまた過ごせるなら、それに越したことはないからね! ご主人さまをナック達が救ってくれるなら、喜んで力になるよ!!」
「カナード、いいのか? お前、忙しいんだろう?」
 ナックが巻き込む後ろめたさから何とか回避しようとするが、決断したカナードの意志は固いようだ。
「大丈夫だよ!」
 むしろ任せてくれと言わんばかりのその姿にナック以外の異端審問官が歓声を上げて、カナードと握手を交わし始めるのだった。