天上の巫女セルセラ 007

第1章 魔女に灰の祈りを

007.竜の骨、骸の器

 竜の骨格に覆われた古代の小さな街並み。
 その中には石造りの住居をはじめ、かつてその街で生きていた人々の生活に必要な機構の数々が、抜け殻のように残されている。
 かつての商店や役所、広場に炊事場、鍛冶場、時計塔と厩舎。
 街の近くに広がっていたと思われる田畑の痕に、水路と風車。
 そして神殿。
 目的に必要ない魔獣の掃討はアンデシンたちに任せると決めているセルセラは、古代の街並みを殺気立ってうろつく魔獣の相手は完全に無視することにした。
 魔導で熾した光の地図の反応を見ながら、寂れた細い道を選んで先へと進む。
 その道すがら、残りの面々に竜骨遺跡と星狩人協会の関わりについて簡単に説明していた。
「遺跡の深部には罠もあるが、この遺跡は普段、星狩人協会の施設として使われている。遺跡の中に存在する“神殿”。その中にある六つの“門”を使って、別の大陸へと移動できるんだ」
「星狩人(サイヤード)はあちこちの大陸に一瞬で移動できるという噂は本当なのですね」
 星狩人協会の事情を始め様々な知識を有するセルセラの話。そこにタルテが世間一般の認識や理解を引き合いに出して確認を取る。
「ああ。一大陸に一つの竜骨遺跡。そこから全ての大陸に移動できる。……とはいえ、土地によっては大陸に一つしかない遺跡まで移動する手間と目的地へ直接移動する手間にほとんど変わりがないことも多いが」
「この緑の大陸から反対側の赤の大陸に行くのは遺跡を使った方が速いけれど、隣の青や中央大陸に行くならそのまま船に乗った方が速そうだもんな」
 ファラーシャは思ったことをそのまま口にするが、その率直さが全員の認識整理の助けになることもある。
「普段から使っている施設なら、星狩人の試験に使うのはどういう理屈なんだ? いちいち試験用の試練を設置して回っているのか?」
 一行の中で一番星狩人に関する知識に疎いレイルも、きょろきょろと辺りを見回す間に時折セルセラに視線を戻し、気になったことを尋ねる。
「施設として使ってはいるが、仕組みを完全に理解できている訳ではないのさ。ほら、この地図の地下の部分」
 セルセラは自らが魔導で作り上げた立体地図を皆の前に掲げてみせる。
「上の街並みはともかく、遺跡の地下階層の大部分は詳細のわからない未踏の地だ」
 竜の頭骨や背骨、肋骨の一部は地上に出ているが、腹部から下と手足は地面の中。
 その腹の中は侵入者を阻む仕掛けの数多くが残された迷宮になっていて、迷宮を抜けた先に本来の試験合格条件である鉱石を採れる部屋があると言う。
「毎年試験があるのに、まだ未踏の地が残っているのですか?」
「受験者は探索が目的じゃないからな。先人の痕跡を辿って安全に目的地に辿り着くのも星狩人の実力のうち。遺跡の探索自体も定期的に行われてはいるんだが……」
「それだけ手ごわい遺跡と言うわけですか」
「辰砂製だからな」
 全ての魔導士の頂点に立つ存在、“創造の魔術師”辰砂。
 神の力を奪った魔導士は当然神に匹敵する力を持っている。生半可な魔導士ではその遺産の解明すら容易ではないらしい。
「逆に全貌の知れない遺跡を普段から協会の施設として使うのはいいのか?」
「なんか自分の家の中で迷う人みたいになってないか?」
 レイルとファラーシャの突っ込みが重なる。
「どんな遺跡でも、辰砂が作ったものであることがわかっているなら協会側で管理した方がいいだろうというのがラウルフィカの考えだ。それに、緊急避難用の通路一本だけでも理解しておけば、いざ本部が魔王に攻め込まれた時でも逃げ込める」
 家は家でも、個人宅というよりは王族の住居である城のようなものだ。
 各国の王城は住居であると同時に仕事場でもあり、いざと言う時に隠し通路や隠し部屋に逃げ込む仕掛けがどこにでもある。
 広すぎて移動が大変だったり使われていない部屋があったり、不慣れな人間が迷うところも似ていると言えよう。
「……ま、ラウルフィカのことだから今回みたいに試験にかこつけて星狩人やその候補生に遺跡を探索させて情報(データ)集めしていることは否定できないけど」
「ヤムリカ殿の術だと遺跡内部の様子も簡単に覗けるようですし、合理的ではありますね」
 タルテは水晶球に映る景色を覗き込んだ時のことを思い返す。だが、セルセラは少しばかり苦い顔になった。
「ああ。候補生はともかく正式な星狩人になると、自分の見たものの全てを協会に届けるようになるからな」
「え? どうやってそんなことできるんだ?」
「……その仕組みに関してはおいおい話してやるよ。と言うか、今回試験に合格すれば嫌でもわかる。……ところで、ファラダ」
 セルセラはファラーシャの質問の答を、今は話したくないと言わんばかりに雑に打ち切る。
 そして、これまで黙りこくっていた同行者の最後の一人の名を呼んだ。
「お前は何か聞きたいことはないのか?」
「え」
 タルテやファラーシャやレイルが聞きたいことを遠慮なくセルセラに質問している間、ファラダはそわそわと周囲を眺めるだけで一言も口を利かなかった。
「いや……俺は……その……」
 もともと試験を受けに来た訳ではないレイルでさえ、成り行きとはいえ試験に参加してしまった以上は現状を理解するべきだろうと色々と尋ねている。
 だがこのファラダは、そういった興味はまるでないようだ。
 彼の目的は星狩人になることではなく、他のところにあるとでも言うように。
「み、皆さんの話についていくだけでいっぱいで」
「そうか」
「……」
 この頃になるとセルセラ以外の三人も、彼の様子がおかしいことを意識し始めた。
 しかし、今それを問いただすには少しばかり時間が惜しい。
「そろそろ下の階に降りるための部屋だ」
 魔獣たちに見つからず細い路地を抜けたセルセラは、役所にも神殿にも似た雰囲気の建物の中に入る。
 正面の扉を開けると、円形の模様が描かれた床の中央に白い石でできた下り階段が設置されていた。
 地上の魔獣はアンデシンや星狩人候補の受験者たちに任せると決めたが、ここから先目的地である鵞鳥の騎士の居場所に辿り着くまでに出会う敵は、セルセラたち五人で退けねばならない。
 光の地図の中で、敵の反応を示す点滅が動き回っている。
 一行に注意を促しながら、セルセラは階段を降り始めた。

 ◆◆◆◆◆

「さて、戦闘開始だ」
 セルセラは指揮棒にも似た魔導の短杖を振りながら、全員に様々な支援魔導をかける。
「セルセラ、これは?」
「敵から受ける物理的・魔導的な衝撃を和らげる防御魔導、疲労や痛みを戦闘中は自覚しにくいよう軽減する回復魔導、更に身体能力を若干上げる支援魔導だ。基本は本人の運動能力を邪魔しないように機能するが……」
 地下への階段を無事に降りた先、長い通路の先では魔獣の群れが待ち構えている。ここで長々と説明しても仕方ないと、セルセラは解説を適当に打ち切った。
「まぁ、戦ってみればわかるさ。僕は防御と回復の専門家(エキスパート)なんでな」
「防御?!」
「回復?!」
「支援……!」
「なんだよ。なんか文句あっか」
 竜が現れようとも動じなかったタルテ、ファラーシャ、レイルの三人は、一斉に驚愕の表情を浮かべた。
 セルセラは半眼でぎろりと睨みつける。
「だってセルセラ、世界一強い魔導士になりたいんだろ?」
「ああ、なりたいとも。それに僕は防御と回復が専門だからって、別に攻撃が弱いとは言ってないぜ」
「まぁ……あの時の攻撃は確かに容赦の欠片もなかったが……」
 出会いがしらに吹き飛ばされたレイルが眉尻を下げながら呟く。それに関してはそっちが悪いと、セルセラは完全に素知らぬ顔だ。
「あの、敵が来ます!」
 レイル以上に困った顔で、ファラダがもう目前に接近している狼型の魔獣を指さしながら叫んだ。
 セルセラたち四人も、無駄話はおしまいだと、すぐに迎撃体勢へ切り替える。
 ファラーシャが素手で狼型の魔獣を殴り倒し蹴り飛ばし、その奥から跳びかかってきた巨大な蜥蜴型をレイルが手早く斬り捨てる。
 二人は自然とお互い背中合わせになるような位置取りで、次々と飛び込んで来る魔獣を叩きのめしていく。
 レイルとファラーシャが討ちもらした魔獣は、彼らとセルセラやファラダの間に立ったタルテが引き受ける。
 遺跡内の通路なのでそこそこ幅があるとはいえ、槍を振り回せるほどではない。
 しかしタルテは槍を穂先近くで短く持ち替えながら、狼型も蜥蜴型もその他の小型の魔獣も労せず処理していく。
 まだ距離のあるものに刺突を仕掛けるのはもちろん、脇をすり抜けるほどに接近した魔獣も幅広の先端部分で上から叩きつぶす。
 タルテの武器は槍斧だ。刺突、斬撃、打撃を一瞬ごとに器用に使い分けて戦うスタイル。
 単純な打撃で力押しのファラーシャ。何を相手にしても藁のように斬り捨てるレイル。
(やっぱりかなりやるなこいつら……一人一人の動きを見てもアンデシンたちより数段上だ。下手をするとここ一番の……)
「げっ!」
 緊張感のない悲鳴を上げるファラーシャの前で、一匹の蜥蜴が何かを吐き出そうとしていた。普通ならこの場面で敵の攻撃を受けるのは致命だが、ファラーシャ本人は単に嫌そうなだけであまり動じていない。
 だが、咄嗟にレイルがファラーシャと蜥蜴の間に割って入る。
「あ、バカ!」
 レイルは死なない。不老不死の呪いをかけられた吸血鬼だから。
 けれど人間でないファラーシャが嫌そう程度で済ますものの多くは人間にとって致命的であり、ダメージとしてはファラーシャよりレイルが負う方が大きくなる。
「はいよ」
 セルセラは杖を持った腕を伸ばすと、五人の前に一斉に魔導の盾を展開した。
 巨大蜥蜴の吐いた毒々しい紺色の体液は、淡い緑の光の盾によって防がれる。
「ありがと!」
「だから言ったろ。防御は僕の専門だって」
 毒や酸、炎など吐きかけられてまずいものは、全てセルセラの魔導が防いでいく。
 再び戦闘は再開され、今度こそ恙なく終了した。
 彼ら以外に動くものがなくなった通路でファラーシャがくるりと、これまで背中合わせに戦っていたレイルを振り返る。
「私を庇わなくていいんだぞ、レイル。私はか弱い人間と違って、あのぐらい食らってもなんともないんだから」
「いやその……すまん。咄嗟に体が動いた」
 自分より頭半分背の高い少女に、レイルはなんとも言えず謝った。人を助けてバカ呼ばわりされることは、彼にとっても滅多にない体験だろう。
「でも、助けようとしてくれてありがとう」
 そんな彼に、ファラーシャは極上の笑顔で礼を言う。
 薄暗く魔獣の死体がまだそこかしこに残る遺跡内部でも、そこだけ明るくなるかような笑顔だった。
「あ、ああ……どういたしまして」
 魔獣の死体が塵となって消えていく。壁に残る青い血の染みも、もう数分もすれば全てどこからか吹き込む風に洗われることだろう。
「先へ進むぞ」
 セルセラが促し、一行は再び歩き始める。

 ◆◆◆◆◆

 それぞれが獅子奮迅ぶりの戦いを見せた後。
 最後尾について通路を歩きながら、ファラダは小さな期待に瞳を輝かせる。
「この方たちなら……」
 彼は祈る。自分にはそのくらいしかできないと知っていた。
「待っていてください。姫様……」