天上の巫女セルセラ 047

第2章 永遠を探す忠誠の騎士

047.いつか呪いが解けるまで

 合同葬儀のためにどこかいつもより厳粛な雰囲気が漂い人気のない街中、セルセラたち一行は外に机と椅子を置いて食べるタイプの食事処で一休みしていた。
 葬儀が完全に終わって人通りが戻り始めるまでは開放的な店に人は寄り付かないらしい。
 他に客がいないことを理由に、出発前の腹ごしらえともう一つの用事のためにこの店を選んだ。
 去り逝く命があればまた生まれ来る命がある。
 厳密にはまだ生まれていないが、と言いつつセルセラが上に向けた両掌に意識を集中すると、そこに眩い緑の光が現れ、一点に凝縮し、具現化した。
『ばぶぅ』
「よし、順調順調」
「セルセラ……その子、まさか」
「元“つぎはぎの怪物”の核となっていた水子霊、今は僕の第一子の席を予約済の魂ちゃんだ」
 少女の掌に収まる赤子の姿をしたものが、大きな三つの眼球できょろりきょろりとあたりを見回す。
 赤子と言うには小さいが、胎児にしては体が完成され過ぎている。
「三つ目?」
 真っ赤な体にひときわ目立つ緑の瞳を見て、レイルが首を傾げた。
「あのマッドサイエンティストによる改造の名残だな。これを完全に取り去ると今回の記憶も何もなくなっちまうようだ」
 魂が持つ生前の記憶による憎悪を怪物制作術式の中核としていたため、セルセラの知識を以てしてもロベルトの影響を完全に消し去ることはできなかったのだ。
「……この子は憎しみを忘れることはできないってこと?」
「そうだ」
 ファラーシャの問いに頷く。
 憎しみの記憶を取り去れば、もはやこの魂がこの魂でなくなる。
 それはそれで幸せなのかもしれないが……セルセラも本人も、その道を選ばなかった。
 辛い記憶も何もかも捨てて生まれ変わりたいのではない。
 辛い記憶を抱えたまま、それでも幸せになりたいのだ。なれると信じたいのだ。
「何をもって憎しみを忘れたと言うかは定義次第だ。魔導で無理矢理記憶を弄って過去をなかったことにするよりも、幸福な日々の積み重ねで自然と憎しみが薄れていく方がいいと、僕は思う」
「そっか……うん、そうだな!」
 ファラーシャも笑顔で頷き、セルセラから三つ目の赤ん坊に視線を戻す。
「まぁ、見た目以外に影響はないようだし、この姿はあくまで今の魂が少しだけ自由に活動できるよう与えた仮初の現身だからな。実際に生まれてくるときには色んな要素が再構成されて肉体には影響が出ないようになる」
「魂が改造されているのに肉体には影響出ないのか?」
「ああ。魂と一口に言っても難しいが、よっぽどのことがない限り人間の精神的なものは肉体の影響の方を大きく受ける。……というか、肉体が魂と連動しているなら性格の悪い美人や心優しい不細工はいないだろうし、絵物語のお約束『肉体と精神が入れ替わっちゃった!』ネタも使えなくなるな」
「なるほど! 理解した!」
「その理解本当に正しいんですか……?」
 ファラーシャ向けの説明にしたせいかどうかはともかく、セルセラの説明は時折物凄く雑だ。タルテがいつも通り呆れ顔で突っ込みを入れた。
 そんな周囲の騒がしさも気に留めず、水子霊は大きな三つの瞳で「外の世界」を楽しそうに観察している。
 一頻り辺りを見回して満足したのか、未来の母親たるセルセラに視線を戻すときゃっきゃと嬉しそうに笑いだす。
 血のように真っ赤な三つ目の赤ん坊は、一見不気味な姿。とはいえ今更そんなことに怯むような者はこの面子にはおらず、レイルやタルテも興味深そうにはしゃぐ小さな赤子を見守っている。
「この子に名前はつけるのか?」
「ああ。もう決めてある。“カティア”だ」
 レイルの問いに、セルセラは迷わず即答する。
「変わった名前をつけるんですね、あなた」
 タルテが顔を顰めた。
「別にいいだろう。僕にとっては馴染み深い名前なんだ」
「まぁ、意味を知っている者も少ないからいいんじゃないですか? あなた自身変わった名前ですし」
「タルティーブなんて奴に言われたくないんだけど?」
「私の名前を嫌うのは、本人が無法者気質なだけですよ」
 “秩序”という意味の名前通りお堅い性格のタルテにセルセラは舌を出す。
『あぅ……』
「ん? どうしたカティア」
 霊体のカティアは、普段はセルセラの胎内にいるが、セルセラが呼んだ時以外にも、ある程度自分の意志で姿を現わしたり消したりすることができる。
 もう少し外の世界を堪能するかと思ったのに唐突に姿を消してしまった子どもに首を傾げていると、人気のないこの場所に竪琴を抱えた吟遊詩人が近づいてくるのに気づいた。
「こんにちは、皆さん」
「よぉ、ラルム」
「お疲れ様!」
 カティアが消えたのは、ラルムの気配を感じ取ったかららしい。
 魂だけの赤子は人の気配に敏感で、元は怪物と恐れられていたせいだろうか、かなりの人見知りだ。
「私はそろそろこの街を離れます。皆さんももう行くのでしょう。……次はどこへ?」
 最初は四人にくっついて成り行きでルチル神父の教会についてきたラルムも、いつの間にか消えたり現れたり随分と気儘に動いている。
 それでもこの街では幾度か助けられたこともあり出立の挨拶くらいはしようかと、合同葬儀での鎮魂歌の演奏が終わるまでセルセラたちも時間を潰していたのだ。
「青の大陸だ。ちょっとエルフィスに呼ばれててな」
「ファンドゥーラーの“屠竜王”ですか。……あなたと最も縁深い国王ですね」
「屠竜王……?」
 いつも通り最近の世情に疎いレイルは無視し、セルセラとラルムは話を進める。
「お前に渡したいものがあったんだ」
「俺に?」
 セルセラはラルムを連れて、少し三人から距離をとった。
 懐から何枚か小さな紙片を綴ったものを取り出すと、吟遊詩人の手に押し付ける。
「そっちから来てくれて手間が省けたぜ」
「これは……」
 ぱらぱらとめくって内容に軽く目を通したラルムが一度凍り付き、セルセラを驚いたように見返す。
「他人が手にかけたものは無理でも、自分で収穫から調理までしたものなら少しはマシなんじゃないか? もう試してたら悪かったな」
「……!」
 セルセラがラルムに渡したのは、誰でも簡単に作れる野草料理のレシピだ。
 調理そのものだけではなく、食材の調達方法や、野生で栄養価の高い木の実の情報なども加えられている。
「何故、そこまでしてくださるんです?」
「単に気になっただけだよ。僕はただ文字を写しただけだしな。興味があったらあとは自分で調べてくれ」
 どうせ時間は無限にあるだろう?
 皮肉な口調でそう言うが、皮肉で済ますには、他者の手を借りない食材調達と調理について書かれた紙片の量は膨大だ。
 宿の裏手で吐いているのを見られたので、ラルムが普通に食事ができないことはセルセラも知っている。
 けれどその対策として、こんな風に手を差し伸べてくれるとは思ってもみなかった。
 ラルム自身、もはや自分のこれは、どうにもならないと思っていたからだ。
「世の中どうにもならないことがあるのはわかってるよ。お前のそれも、一朝一夕の努力程度でどうにかなるものでもないんだろう?」
 ラルムは他人の作った料理を食べることができない。
 病弱な自分を救うために、両親が自分の友人である人魚を殺し、その肉を自分に食わせたと知ったその日から、ラルムの胃は他者の手による食事を受け付けなくなった。
 永遠に満たされぬ空腹を抱えながら、望まず奪ってしまった奪った人魚の力で人心を惑わす歌を唄う。
 それは罪であり、罰。
 かつて死に近く生きることを願い続けた少年は、今は不老不死の化け物となって死を探している。
 聖女と呼ばれる少女は薄々彼の事情を察しているらしく、あえてなんでもない風に笑う。
「僕は、諦めるってことが嫌いなんだよ。やれることは全部やっておきたいだけだ」
 例え目の前の少年にしか見えない存在が、セルセラの何倍も生きていて、彼女程度が簡単に考えつく限りのことはもうやっているとわかっていても、何かをせずにはいられない。
「お前を知り、お前が抱える問題を知った。その解決策を考えることが、いつか他の誰かの問題に転用できるかもしれない」
 目の前の人魚のような事情を持つ者はそういない?
 だが実際、この短期間でセルセラは同じような不老不死と知り合っている。
 無駄なものなんて何もない。
「あなたは……いえ、あなたも」
 何とも言えない顔で見返すラルムに、セルセラは胸に手を当ててほとんど囁くような声で告げる。
「絶対に小さくすることのできない悲しみが胸にあるのなら、それを収める器の方を大きくするしかないんだよ」
 死んだ人間が変わることはない。
 だから……生きている自分の方を変えるのだ。
 器が大きくなればその中の悲しみも、いつかは相対的に小さく感じられるだろう。
 戸惑った顔で天上の巫女の言を聞いていたラルムは、やがてぎこちないが作り物でない本物の微笑を口元に昇らせる。
「……斬新な考えです。正直俺には今の今まで思いつきませんでしたよ」
「……お前はずっと一人でいるのか? 一人だとどうしても視野が広がらないで袋小路にはまるぞ。……僕たちと一緒に来るか?」
「いいえ。ありがたいお誘いですが、俺にも知人の一人や二人おりまして、定期的に会う約束もしておりますので。……それに俺のようなものが傍にいると、あなたは良くてもお仲間が気を遣いますよ」
「あいつらだってもともと勝手に僕の旅についてくるって言いだしたんだぞ」
「ふふっ。その割には仲がおよろしいことで」
 明け方のどこか荘厳な海のような笑みに、これ以上誘っても脈はないだろうと感じたセルセラは、そこでラルムに別れを告げた。

 ◆◆◆◆◆

「よろしかったのですか?」
 合流したリーゼルは、どこかで彼らのやりとりを見ていたらしい。
 手渡された紙片の束をじっくりと眺めているラルムに、開口一番尋ねる。
「仕方がないだろう。どうせ傍にいたらすぐに襤褸が出ちゃうよ」
 人魚詩人は緩く首を振って答え、薄いが丈夫な紙に綴られた丁寧な文字を、宝石を見る時のように太陽の光に透かす。
「そうではなく……あなたは、あの巫女様と一緒に行きたかったのではないですか?」
「……」
「“あの方”は、それであなたが救われるのなら、きっと止めはしませんよ」
「……いいんだ」
 詮索されたくないから詮索しない。それが信条のはずなのに珍しく食い下がったリーゼルに対し、ラルムは静かに微笑む。

「俺は、救われる必要なんてないんだよ」

「……」
 両親が自分を救うために友人を殺してその肉を食わせた。
 ラルムが自分の生を肯定することは、友人の死を認めることだ。
 だから親の愛情も何もかも否定して故郷を離れた。
 それが愛情だと認めるということは、自分のために彼女が殺された過去を受け入れることだから。
 それは絶対にできない。許せない。赦さない。
 そんなものは愛ではないと否定して否定して、肉体だけでなく、心も永遠に、その時に囚われている。
 息子を怪物にしてまで取り戻したがるような、こんな醜い永遠を求める感情を一生理解できない。
「でも……彼女に殺されて救われたいという吸血鬼殿の気持ちは、誰よりもわかるよ」
 背徳神のために近づいた天上の巫女は、種々の噂やリーゼルから伝え聞いたものよりも遥かに眩しい存在だった。
 傲慢で、残酷で、傍若無人で無茶苦茶で。
 けれどやはり、彼女は聖女なのだ。
 どうあっても救われないと思われた水子霊の魂を浄化して受け入れ、我が子を化け物に変え他人の子の亡骸も犠牲にした罪の意識に苦しみ続ける葬儀屋に、自分でけじめをつけさせる。
 罪なきか弱い魂は優しく慰撫し、悩み苦しむ者には自らの足で進むべき道を示す。
 その存在は、彷徨う旅人の行く先を示し続ける不動の星のように闇の中で光り輝く。
「またいつか出会うだろう。その時は……」
 その時は、どんな関係になっているだろうか。
 まだわからない。
 何せ自分は怪物にされた水子霊や、我が子を怪物に変えた親よりもずっと罪深いものなのだから。
「とりあえず今は……久々に料理でもしてみようかなって」
「あら、素敵。上達したらぜひ私もお相伴にあずからせてくださいね」
「俺が作るの?」
「だってあなた、私が作ったものは食べられないじゃないですか」
「しかも上達を要求するの?」
「当たり前でしょう。普通、不味いものより美味しいものが食べたいじゃないですか。自分の欲望に素直になって何が悪いんです?」
「……はははっ」
 リーゼルの欲望に正直な要求に、ラルムは笑い出した。そうだ。きっとそういうことなのだ。
 生きる上での当たり前を、自分は長いこと忘れていた。
「そうだね。きっと、それもいい」
 ぐしゃぐしゃと若干手荒に頭を撫でてやった少女が不機嫌そうな顔になるのを見てまた笑う。
「もう……!」
「ごめん、ごめんってば」
 リーゼルとの付き合いはまだ数年だが、こんなやりとりにも今では慣れたものだ。
 今の自分は、恐らく十年前、百年前には思ってもみなかった未来を歩いている。
 ならこの先もきっと、思いもよらないようなことが待ち受けているのかもしれない。
「――さぁ、行こう」
 総て運命は、背徳の神の導きのままだ。

 ◆◆◆◆◆

 次の目的地である青の大陸へ向かうには、アジェッサよりもっと西北の港を使う必要がある。
 街を出た一行は、ひたすら西北へ向かって街道を歩き続けた。
 セルセラたちは馬車や馬などの移動手段を用意していない。
 一般市民の移動に関しては馬車も馬も十分に有用なのだが、活動範囲が世界各地に渡り転移門を使って様々な土地を訪れる星狩人は、自分の馬を持たないことの方が多い。
 馬車や馬は必要に応じて行く先々で借りるか乗り合い馬車などを利用する。
 星狩人自身の種族や能力によっては、自分自身の足で移動した方が速いという場合もあった。
 セルセラは箒で空を飛ぶ。レイルとタルテは自分で走る。ファラーシャは走ることはもちろん、翅で飛ぶこともできる。
 馬車いらずの一行だが、その上更に意外な移動手段が増えた。
「わんわん! ……お任せください!」
 街中では子犬の姿をしていたハインリヒが張り切って宣言し、瞬く間に人を乗せて走れるほどの体躯に変化する。
「おお!」
「おや、これは便利ですね」
「お乗りください! ご主人様!」
 魔導での移動手段を持つが他三人と違って体力無尽蔵ではないセルセラは、勧められるままハインリヒの背に乗ることにした。
「いいなー! 私ももふもふしたーい!」
「……すみません特殊民族の方はお断りで」
「うわーん!」
 人間の体重ならば余裕で担げる魔獣でも、セルセラの十倍ぐらい体重があるファラーシャを乗せるのはお断りとなった。
 そんな訳で犬は魔女と鳩を乗せて走り続け、その速さについていける三人も走り続けて、一行はあっという間に中央大陸を駆け抜ける。
 目的地を目前にしたその日の昼時、街道近くの森で、一度休憩を取ることにした。
 晴天の森は穏やかだ。遠くで鳥が鳴く声と風にそよぐ樹々のざわめき。
 食後のどこかのんびりとしたそんな空気の中で、セルセラはここ数日塞ぎがちだったレイルに話を振る。
「……お前ここ最近何か言いたそうだな」
「え? 別に俺は――」
「本当に?」
 反射的に否定しかけたレイルだったが、セルセラにもう一度胸の裡を問い質されて返答を改めた。
「……いや、そうだな。俺はずっと……本当はこの話を誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない」
 アジェッサの街で一行が怪物の事件を解決した直後から湧き上がってきた気持ち。
 怪物を救う手立てが見つからないと全てを諦めた自分と、それを救ってみせたセルセラとの差をまざまざと見せつけられて生じた感情。
 レイルの過去に関しては緑の大陸で出会い、一の魔王であったドロミットを倒した後に一通り説明している。
 しかし、彼はまだ彼女たちに話していないことがあった。
 子犬サイズに縮んでいたハインリヒがキュウンと気まずそうに鳴き、その頭の上で翼を休めていたドロミットが静かに目を伏せる。
 それぞれに事情があった二人の魔王が察するその内容。
「八十年前、俺が倒した魔王は……」
 聖騎士時代のレイルが王に乞われて国を救うために倒した魔王、それは。
「小さな少女だった」
 敵だと、悪だと、素直に断じるには、あまりにも稚くか弱い存在だった。
「生前から病弱で……誰にも愛されないと、寂しそうで……」
「魔王と面識があったのか?」
「生前と言うことは、魔王になる前からの知り合いだったのですか?」
 八十年前、レイルが魔王を斬ったのは不本意であっただろうことは、セルセラとタルテもほぼ確信していた。
 レイルに憑りつき不老不死の呪いの根源となっている幽霊ゲルトルート。年端も行かぬ少女の姿を見て、レイルが好んで魔王退治に赴いた訳でないことはすぐに予想がつく。
 しかし、続く告白に、さすがのセルセラとタルテも少し驚いた顔になった。
 ゲルトルートとレイルに以前から面識があったとは思っていなかったのだ。
「ええ!?」
 何も知らないファラーシャは素直に目を丸くする。
「じゃあ、レイルは知り合いを殺しちゃったのか!?」
「ファラーシャ」
 明け透けな物言いに、タルテが口を挟もうかと迷う間にレイルは頷く。
「ああ」
 そしてかつての聖騎士、今は呪われた吸血鬼は再び過去を話し出した。
「俺が彼女と最初に出会ったのは、主君である聖女様のお忍びに付き合って街を歩いている時だった。……あの子は、とても具合が悪そうだった……」

 ◆◆◆◆◆

 ――あ、ごめんなさい。
 ――……いいえ。
 申し訳ない。お怪我はありませんか?
 ――……大丈夫。
 街中でエスタがぶつかりかけた相手。それがゲルトルート。
 殺気がないどころかエスタにでさえ簡単に捻れそうな如何にもか弱げな少女を、この時のレイルが警戒することはなかった。
 むしろその顔色の悪さが気にかかりエスタと二人で心配したが、ゲルトルートは一人で大丈夫だと言い放った。
 慣れているから、と。

 ――私が体が弱いから、誰も私を心配なんかしない。

 その後も何度か街で会って、レイルは次第に彼女と話をするようになった。
 一人歩きの休日にたまたま出くわし、青褪めた姿を見咎めて休ませたこともある。
 夏は夏で暑さが辛そうで、冬は冬で雪の冷たさに埋もれてしまいそうな儚い女の子。
 ゲルトルートの両親は、昔は病弱な彼女を心配してつきっきりだったが、数年前に健康な弟が生まれてからはずっとそちらにかかりきりだと言う。
 顔を合わせた回数はそう多くはない。だが他人と言うには彼女を知りすぎて、知人と言うにはあまりに知らなさ過ぎた。
 出会ってから一年後、しばらく街のいつもの場所でも顔を見ることのない日々が過ぎた。
 レイルは密かにゲルトルートのことを心配したが、彼女の詳しい素性を知っている訳でもなく、自分から探すことはできなかった。
 そうこうしているうちに、国からレイルに魔王討伐の指令が下された。
 聖騎士の仲間を引き連れて魔王の居城とされる氷の城で出会った魔王。
 これまで討伐に赴いた者のほとんど全てが氷漬けにされて殺されたという。
 僅かに生き残った者たちも、出会いがしらから強烈な吹雪を叩きつけられて、魔王の姿を見た者はいなかった。
 その頃、魔獣の王がどのように生まれるのか、ほとんどの国々は知らなかった。
 星狩人協会は魔王の情報を収集し情報提供も呼び掛けていたが、各国との連携は上手く行っていなかった頃だ。
 その二十年前に組織の中枢が六の魔王の襲撃を受けて協会が弱体化していた時期でもある。
 各国は自分たちの土地に魔王が出現すると、ほとんど自力でなんとかするしかない時期。
 姿も能力もわからない魔王に、こぞって軍隊や勇者を派遣してなんとか彼らが魔王を倒してくれればと祈る日々。
 レイルもその勇者の一人だったのだ。
 すでにキノスラ近隣の大国が送り込んだ軍隊を壊滅させられていた。
 元々軍事力のほとんどないキノスラは、一人の聖騎士に命運を賭ける。
 様々なものを背負って氷の城に赴いたレイルを、城はまるで待ち構えていたように迎え入れた。
 何故、という疑問はすぐに晴れた。
 誰もその姿を見たことがないと言われる魔王は、彼の見知った少女だった。
 彼を見て一瞬、ゲルトルートがいつものように嬉しそうに笑ったのをレイルは確かにその目にした。
 しかし彼女はもはやレイルの知る少女ではなくなっていた。
 魔王の姿を見て驚いたものの、先手必勝とばかりに斬りかかった聖騎士の仲間たちを、ゲルトルートは顔色一つ変えず氷漬けにしたのだ。

 ――みんなどうして私の邪魔をするの?
 ――私はただ生きていたかった。いつ死ぬかもわからないあの体は嫌だった。それだけなのに。

 つい先程まで言葉を交わしていたはずの聖騎士仲間がもう息をしていない。
 驚愕と絶望の表情を永遠に閉じ込めた、氷の彫像と化している。
 魔導の知識がないレイルでは、彼らを救う術がないことはすぐにわかった。
 仲間の死体を前に、レイルは、これまでとは違う意味で後に引けなくなっていた。

 ――騎士様、あなたも私を殺すの?

 聖騎士であり、仕える国と主があったレイルに魔王ゲルトルートを倒さないという選択肢はない。
 仲間の仇を討ち、近づくもの全て氷に閉じ込める魔王を倒して故郷に平和をもたらさなければならない。
 その姿が彼の知る少女であっても。

 ――酷い、酷いよ。騎士様。

 腕を凍らせる凍傷より、その腕に伝わる少女の心臓を剣で刺し貫いた感触が痛む。

 ――それでも、あなただけは……。

 せめて仲間の死だけは伝えねばと息も絶え絶えな状態で魔王の城を離れ、途中で味方に回収されてなんとか王都に戻ることができた。
 これで死んでも、レイルとしては良かったのだ。
 命令あってのこととはいえ、レイルはゲルトルートを邪悪な魔王として倒すことしかできなかった。
 以前から彼女の寂莫と孤独を知っていたのに、その心を癒やすことができなかった。
 彼女が魔王になることを、止められなかった。
 誰にもそのことを言えない代わりに、彼女の与えた傷で死に、常闇の国で彼女に詫びることだけが自分にできる償いだとレイルは思っていた。

 しかし、もう二度と目覚めることはないだろうと思いながら眠りについたレイルは不老不死の身体と共に目覚め。

 誰よりも守りたいと願った主君である聖女は、国を守って命を落としていた。