第1章 魔女に灰の祈りを
005.賽は投げられた
鵞鳥の騎士が消えた後、竜骨遺跡の様子が変化した。
「ちょっと見ないうちに随分とトゲトゲしい見た目になっちまって」
舌打ちするセルセラの視線の先、見る者を異様な風体で威圧する城砦が、まるで最初からそこに存在していたかのように堂々と鎮座している。
時の移ろいを感じさせる古めかしい街並みを抱えた竜の標本のような遺跡は、いまやその全域を突如出現した鉛色の棘に覆われていた。
「なんだ、あれ」
「大きさはともかくあの形状……『釘』のように見えますね」
タルテが建物のあちこちを貫く鉛色に目を凝らしながら指摘する。
遺跡を貫く無数の巨大な釘は、石壁と完全に一体化していた。
どこからか降って来て突き刺さったわけではない。釘が刺さっている周辺の壁にも地面にも、それらしいひび割れなどは見当たらない。
言葉通り、突然、その場所に湧きだしたのだ。
そして遺跡の周辺には、次第に冷たい霧が立ち込めて来ている。
明らかな非常事態。試験会場となるはずだった遺跡の異様な変貌に、一同は今年の辰骸器取得者選考試験はどうなるのかと表情を険しくする。
「試験を中止するべきではないでしょうか」
青年がそう言うと、他でもない受験生側からブーイングが上がった。
「ティーグの意見は尤もなんだけどさ、こんな山奥の遺跡に来るまで、試験を受ける側は結構な路銀を使ってるんだよ。しかもここにいるのは大半が現役星狩人じゃない一般人だ」
まだただの星狩人志望の受験者たちは、資格を持たない身でこの近辺の仕事の依頼を受けることはできない。
星狩人がほとんど訪れない僻地ならともかく、協会本部がすぐ傍にある街々であえて無資格の魔獣狩りを頼る者は少ないからだ。
試験の合否が生活に直結する者たちにとっては、例年通り試験が開催されるかどうかは大問題だった。
自分の力量不足ならば仕方ないが、アクシデントで試験自体を受けられなくなるのは納得できない。
「そうですね……軽はずみなことを言いました。申し訳ありません」
「安全管理という点では間違っていない」
試験の補佐をさせるためにこの場にティーグを呼びつけたラウルフィカが宥める。
ティーグはセルセラたちの身内、天上に住む者の一人だ。
元は大地神を崇める国に生まれた青年貴族で豊穣の巫覡を守護する聖騎士の一人だったが、色々と事情があり巫覡の少年共々天上に住むこととなった。
月神の眷属であるラウルフィカとは違い、ティーグとその主である巫覡は元々大地神を信仰していたため、今は大地神の眷属として存在している。
明るい茶の髪に緑の瞳。大地の属を思わせる色彩を持ち、穏やかで人の好さそうな印象を与える青年だ。
……というか、セルセラやラウルフィカのような見た目ばかり最上級だが性格に難のある面々に比べれば間違いなく人は好い。
「天上の様子に変わりはないんだな」
「はい。神々にとっては、この程度いつも通りの些末事だと言うことでしょう」
ティーグはラウルフィカたち地上に訪れている神々の眷属と、天上の者たちの連絡役を主に担っている。
地上で大きな変化が起きた時は、彼を通じて天上の他の眷属やその主たる神々に報告をするのだ。
地上を離れた神々が今更人々の生活に直接干渉することはないが、それでも魔王の動向や地上の生き物の衰退などは見守っている。
しかし今回のことは、神の骸を素材として作られた竜骨遺跡に魔獣が溢れたにも関わらず、神々が関知する様子はないという。
「つまりは、我々人間だけの力で十分に対処できるということだろう。ヤムリカ、何か視えたか?」
「はい、お義父さま」
今度は義娘の名を呼び、ラウルフィカは“先視の民(タンジーム)”としての預言を聞く。
薄いヴェールで視線を隠した特殊民族の女は、片手に持った透明な水晶球を示しながら答えた。
「今回の異変の原因は、やはり先程現れた『鵞鳥の騎士』の魔獣のようです」
セルセラたちがその水晶を覗き込むと、変異した遺跡内の光景が映し出され、くるくると万華鏡のように入れ替わっていく。
石壁を貫く鉛色の釘。天井をドーム状に覆われた古い街並み。
魔獣が跋扈する狭い通路。どうやって開けるかわからない扉らしきもの。
くすんだ色に金の箔押しが目立つ古書が並ぶ本棚。無数の絵画が飾られた壁。
数々の罠。心くすぐる財宝の山。
そして。
「いた! さっきの奴だ!」
遺跡の最奥であろう部屋に、鵞鳥の騎士が静かに佇み後姿を彼らに見せている。否、彼らが勝手に水晶を通してその姿を見ている。
水晶に映る光景の中で鵞鳥の騎士がさっと腕を一振りし羽根を散らすと、その羽根から小さな鵞鳥の魔獣が生まれていく。
「あいつ、魔獣を作ってるのか」
「そんなことできるのか?」
セルセラの隣でちゃっかり水晶を覗き込んでいたファラーシャが尋ねる。その質問にはヤムリカが答えた。
「自らの力を分け与える形で、部下を増やす魔獣は存在します」
「ということは、奴を早く倒さなければこの遺跡内が魔獣だらけになってしまいますね」
鵞鳥の騎士をそう命名したタルテも、何故かセルセラにくっついて重要情報を遠慮なく覗き込んでいる。
「すでに遺跡内を埋め尽くす魔獣の掃討も必要だな。この遺跡から魔獣が溢れれば襲われるのは下の本部と付近の街だ」
ラウルフィカはそう判断し、続いてパンパンっと手を鳴らすと周囲で成り行きを見守っていた人々の注目を集めた。
「試験の続行を決定する。ただ、内容は変更だ」
不安そうに協会幹部の決定を待っていた受験者一同が、顔つきを引き締めラウルフィカの言葉を聞き逃すまいと集中する。
「こたびの試験内容は、竜骨遺跡に起きた変事の解決、及び魔獣の掃討だ」
周囲が一斉にざわついた。
「なんだ、そんなことでいいんですかい」
手慣れた現役星狩人(サイヤード)の一人の言葉に、ラウルフィカは詳細を続けた。
「ああ。どうせこのままではいつも通りの試験は開催できないうえに、どのみち遺跡を元通りにするために人を集めて魔獣を退治せねばならん。ならば、その役目をここにいる受験者たち――星狩人(サイヤード)候補生に行ってもらおう」
世界各地で戦っている現役星狩人をわざわざ招集するよりも、この方が早い上に受験者たちの実力も計れて一石二鳥。協会長はこともなげに言う。
「よく言いますものねぇ。実戦に勝る修行はないと。どの道この遺跡内の魔獣すら退治できない人たちに、星狩人が務まるはずはない……」
「とはいえ、先程の黒竜のような怪物級が混じっている可能性もあるからな。現役星狩人が候補生たちを補佐し危険な時には援護してやるように。今回の試験は、協会からの依頼形式だ」
「依頼形式と言うことは、魔獣退治とひよこのフォローに関する報酬は出るんで?」
ちゃっかりした星狩人の一人が尋ねると、ラウルフィカはそれについてもあらかじめ決めていたようだ。
「出す。星狩人と試験の合格者はもちろん、不合格者でも魔獣退治の分は働きに応じた報酬を出す。あくまで試験が本題と言うことを鑑みて、依頼料は相場より割安だがな」
会場から一斉にどよめきが上がった。これで大方の金銭的な問題は解決したと考えていいだろう。例え試験に落ちたとしても、魔獣退治に貢献すれば無駄足ではなくなった訳だ。
「セルセラ、アンデシン」
ラウルフィカは現役星狩人の中から、先程の黒竜との戦闘でも特に目立って活躍していた二人を呼ぶ。
「ここにいる星狩人の中では、お前たちが最も星狩人歴が長い。この場の指揮はひとまずお前たち二人に預けよう」
「はいはい」
「会長のご期待に応えてみせます」
二人のことをよく知らない受験者たちの一部から戸惑いの声が上がる。
実力はともかく、二十代や三十代の如何にも玄人の風格を持つ星狩人を差し置いて、見た目十代の少年少女であるこの二人が一番星狩人歴が長いということに驚いたのだ。
その理由を知っている者たちは納得のいく人事だと、隣同士であちこちひそひそと話し出す。
「それでは皆の者、あとのことはこの二人の指示に従うように。協力して任務を遂行し、事態を解決せよ。以上だ」
こうしてなんだかんだで、異変も事件も混乱も、全てを踏み台にして行けとばかりに、今回の辰骸器(アスラハ)取得者選考試験は始まったのだった。
◆◆◆◆◆
「で、どうする? アンデシン」
「俺たちに任されたのは魔獣の掃討と、この事態の根本的な解決。原因にはさっきの鵞鳥の騎士とやらが関わっているだろうから、奴を見つけ出し倒せばいいんだろうな」
「星狩人志望の新米たちを引き連れて魔獣の掃討をする試験官役と、大元である鵞鳥の騎士を退治する役に分かれる必要がある」
実力にばらつきのある星狩人候補生たち全員を引き連れて大元である鵞鳥の騎士と戦うのは無理だ。
そもそもあの黒竜を生み出した鵞鳥の騎士自身は黒竜より強い可能性が高く、黒竜に手も足も出なかった者たちを連れて行く意味はない。
この状況で星狩人が考えることは大体皆同じだ。その認識を口にして共有し合うことで事態を整理した二人は、それぞれの役割分担を決める。
「僕が奴を倒す。お前は他の星狩人と一緒に受験者たちを引き連れて雑魚の掃討」
「仕方ないなぁ。……創造の魔術師・辰砂が制作したという竜骨遺跡をじっくり探索したかったのに」
「遺跡探索はなんなら全部終わってから趣味でやれ」
「はいはい、と」
探索好きの生物学者でもあるアンデシンは、星狩人(サイヤード)としてはセルセラの同期だ。
お互いに駆け出しの頃は手を組むことも多かったために、相手の実力とやり方をよく知っている。
セルセラは基本的に単独で動いているが、アンデシンは現在、仲間と共に隊(チーム)を組んでいる。
受験者たちの護衛の指揮をアンデシン一行に任せ、セルセラはさっさと遺跡内部に潜って鵞鳥の騎士を探しながら、探索と事態の調査を進めることにした。
「あんたたちはどうする?」
セルセラは他の個人行動の星狩人(サイヤード)たちにも意見を聞くが、皆、答は決まっていたようだ。
「セルセラ様のお邪魔になってはいけませんから」
「あたしは辰骸環(アスラハ)が欲しかっただけで、面倒事は御免なのよね」
様々な事情と性格の星狩人たちは、なまじセルセラの性格と実力を知っているだけに彼女の判断に意は唱えない。
方針がまとまりかけたその時、いまだ星狩人の資格を持たない一人の受験者が言った。
「私は、あなたと共に参ります」
「タルテ」
フェニカ教会の聖職者である、タルティーブ・アルフ。遺跡に訪れる前にセルセラと出会った性別不詳の巡礼は、先程の黒竜との戦闘でもまったく怯むことなく一撃を加えていた。
そしてこの場では、正式な資格を持つ星狩りたちに遠慮する様子もない。
星狩人(サイヤード)の世界は、完全な実力主義だ。
年功序列という言葉は死語と化し、先輩後輩という力関係にもあまり意味はなく、ただひたすら強さと実績が物を言う。
先程のラウルフィカの指示――セルセラに従えと言う言葉に、彼女より年長の星狩人たちが反論もせずに従ったのはそのためだ。
魔獣に対抗する力は、天性の資質や才能に大きく左右される。
しかし、星狩人の大多数がただの人間である以上、年月を経て経験を積んだ者の方が有利であり、年長者に教えられることの多い若者の大半は先人に敬意を払う。……のだが。
「私を連れて行ってくだされば、それなりにお役に立ちますよ」
そう言った世の常識に倣わない発言をする以上、タルテは自分の力に相当自信があるということだ。更に。
「私もそうする。だって、セルセラと一緒にさっさと事件を解決した方が、その分早く星狩りの資格と武器をもらえるだろ?」
ファラーシャも同じように、セルセラの傍らに立った。
「僕は足手まといはいらないんだけど?」
セルセラは溜息交じりに告げるが、タルテもファラーシャも穏やかながら譲らない。
「私を足手まといと判断されたなら、その場で置いて行ってくださって結構です」
「私もだ。ただ待ってるだけなんて暇じゃないか」
「別に僕以外の連中だってただ待ってるだけじゃないんだが……」
セルセラは鵞鳥の騎士が絡む異変の実態と原因を探るために危険な道をあえて行く先行調査班であり、他の星狩人やアンデシン一行に護衛された受験者たちも、遺跡内の魔獣を掃討するという大事な役目がある。
「いいんじゃないか? その二人がかなり強いってことは、さっきのドラゴンとの戦いでわかったし」
「ア~ン~デ~シ~ン」
「新米の世話はこっちでするんだから、注目株の面倒ぐらい見ろよ、お前も」
からからと笑って言うアンデシンの隣で、彼の仲間の一人が本音を告げる。
「そもそも、そやつらがいてはこちらが試験になるまい。連れて行ってくれ、巫女殿」
「あー……」
セルセラは頭痛を堪えるように、滑らかな額に形よい指をあてる。
たしかに先程の戦いっぷりを見るに、こんな奴らがいては全ての魔獣を一瞬で殲滅してしまって他の受験者たちの邪魔になるだけだ。
「いいさ。そんなに来たいならついて来い。せっかち共め。万一僕の足を引っ張ったり、へまして死んだら笑ってやるぜ」
「無用な心配です」
「大丈夫だろー。たぶん」
そんな(他の受験者に)傍迷惑な同行希望は、タルテとファラーシャだけではなかった。
「俺もお前について行こう。そもそもの目的だからな。それに俺は身の危険とは無縁だ」
「そりゃ不老不死ならそうだろうよ、吸血鬼」
レイルは当然と言った顔でセルセラの傍に歩み寄る。
「お、俺も」
更に一人の男が、セルセラに必死な様子で頼み込んできた。
「俺も一緒に行かせてくれ! 頼む! 俺は何としてでも辰骸器を手に入れる必要があるんだ……!」
自らの実力に自信があって余裕を持ちながら宣言したタルテたちとは違い、最後の男はどうにも慌てた様子だった。
栗色の髪と瞳。年齢は三十前後か。地味な容姿に、口下手な雰囲気。
適度に鍛えられた肉体だが、武闘家という風情ではなく、かといって武器らしきものを持っているわけではない。
数多の星狩り、魔獣狩りと呼ばれる人々を見てきたセルセラとしても、彼が何者なのかはよくわからない。
試験の説明を聞いていた時から、成り行き参加のレイルと同じくらい事情に疎そうな態度の男だった。
「……いいだろう」
「あ、ありがとう!」
他の受験者たちとあまりにも様子の違う男の考えを知るべく、セルセラは彼にも許可を出した。
もしもこの男が何か企んでいるとしたら、魔獣掃討に混ぜて他の受験者たちを危険に晒すより、セルセラの方で対処した方が被害を抑えられる。
幸い、他の同行者であるレイルたちは、良くも悪くも殺しても死ななそうな人材ばかりだ。
「ふん……! 何が来ようと、何が待ち受けようと知ったもんか。どちらにせよ、最後に笑うのはこの僕だからな!」
セルセラはふんぞり返り、どう見ても物語の悪役のような高笑いをしながらそう宣言した。