第1章 魔女に灰の祈りを
009.鵞鳥番の娘
どこか休めそうな木陰を選び、一行はファラダの告白を聞く。周囲には血塗られた釘が生え硝子の破片がきらきらと光っていて落ち着くどころではないが仕方がない。
ファラダはついに重い口を開いて、彼が知っていることを話し始めた。
「この遺跡の変化は、恐らく我が主と魔王の争いが原因です」
「お前たちが魔王に近づいた理由は?」
「ぐ、偶然です。他の依頼をこなした帰りに、たまたま魔王と遭遇してしまい」
「依頼人はどうした」
「簡便な依頼でしたので俺が成果を報告し、我が主が魔王に呪いをかけられたことは秘密にしました。その……悪い噂を立てられたくなかったので……」
「呪い?」
「はい……主は魔王に多少の手傷を負わせましたが、逆に魔王の攻撃により昏睡状態となってしまいました。いくら呼び掛けても目覚めることなく、医者も首をかしげる異常な速さで衰弱していくのです」
ファラダは負傷した主を近くの街の医師の元へ運んだが、主は怪我が治ったにも関わらず一行に目を覚まさない。
そのうち街に魔王の影響が表れ始めた。
枯れる樹々。逃げ出す野生動物。この近辺では今まで目撃されていなかった新たな魔獣の襲撃情報……。
主と魔王の戦闘について誰かに相談できる雰囲気ではないのを感じ取ったファラダは、自分が事態をどうにかできないかと考えた。
そして情報を集める中で、近々竜骨遺跡に星狩人(サイヤード)志望者たちが集まる試験が行われ、合格者には辰骸器(アスラハ)と呼ばれる術具が与えられることを知ったのだと言う。
「お前は辰骸環(アスラハ)を、なんでも願いを叶えてくれる物だと考えたのか?」
「……はい。特別な魔力の込められた道具で、『それさえあれば』というように周囲の者が噂しておりましたので」
星狩りと呼ばれる存在を目指す者たちの目的は力を手に入れて魔獣を倒すこと。辰骸器があればより強い魔獣と渡り合えるという意味でそう話したのだろうが、ファラダには違う意味に聞こえたようだ。
人は、自分が聞きたい言葉しか聞こえないものだ。それが何かに縋りたい程の悩みを持つ者ならば尚更。
「途中でその武器が俺の望むようなものではないと気が付きましたが、もはや後には引けませんでした。それに、強大な魔力を秘めた道具だという事実が変わらないなら、もしかしたら主のことを解決する手段になるかもしれない……」
それで、セルセラたちに縋りつくようにしてここまで同行してきたのだ。
しかし、とセルセラはちらりとファラダを一瞥する。
(何者なんだ? ファラダの主は)
そもそも結果的に負けたとはいえ、魔王に挑むほどの実力を持つ魔獣狩りが星狩りの資格を持っていないこと自体が不自然だ。
それだけの実力者なら、協会に所属して様々な支援を受けた方が有利だと言うのに。
とはいえ、ファラダの態度からすると彼は主の素性を彼女たちに事細かく説明する気はないらしい。態度の端々からそれについて語りたくない気配が伝わって……。
「なぁ、そもそもあんたの主ってのは一体どんな人なんだ? あんたの主は自分だけで魔王に勝てるって思ってたのか?」
……伝わってくるものを無視し、ファラーシャが直截問い質す。容赦の欠片もない。
セルセラが苦笑し、タルテとレイルが気まずそうな表情で見守る中。
駆け引きも何もない真っ向勝負の問いかけに、ファラダはついに観念したのか、彼の主について、言葉を選びながら話し出す。
「その……我が主の詳しい素性については……ご容赦ください。主は……臣下に裏切られ、祖国を奪われたとある国の高貴な身分の方なのです……」
「王族か」
ファラダの主に対する口が重かった訳がそれでわかった。権力闘争に負けて魔獣狩りに身をやつして逃げている王族なら、人目を忍んで行動するのは仕方がない。
「ま、迂闊に口に出せない立場の人間となると大概は王侯貴族か犯罪者の二択だわな」
どちらにしても一般人より扱いが面倒になる、とセルセラは面倒そうに言う。
「人間の王族かぁ。ふーん」
話を聞きだしたファラーシャの反応は割と薄い。王族というところで一応驚きはしたものの、人間ではない彼女に人間の身分や権力は基本的に関係ないのだ。
「きらきらしたお姫様とか王子様とか絵物語の主人公には憧れるけどそれだけだなぁ」
訂正。身分には興味があるが、身分を隠して逃亡する王族にはどうやら興味ないらしい。
「私はこれでもフェニカ教の司祭ですので、信者が告解してきた内容を外に漏らすことはいたしません。まぁ、その方がフルム信者でなかったりすれば別ですし、今のは告解ですらないですが」
信者以外は別と言うタルテだが、人間の宗教の大本は基本的にフルム神話、フルム神族への信仰でありフェニカ教を始めとする各宗教は細かい派閥の違いでしかない。
フルム信者以外となると邪神崇拝の睡蓮教など異端に近いものとなってしまうため、人間ではほぼありえないのだ。
「俺は正直、不老不死の呪いをかけられた後は、山奥で世捨て人のような生活をしてきたから……」
レイルはレイルで頓狂なことを言い出す。 魔王を倒せる戦力を世が切望するこの時代に、これほど強い剣士の噂が広まらなかった訳は、単純に山奥に引きこもっていたかららしい。
四人の反応を見ながら、ファラダは疲れたように話を続ける。
「我が主の目的は……国を奪った連中に復讐をすることなのです」
「復讐……」
王族と言う身分には何も感慨を見せなかったファラーシャが、そこで少し反応した。
「そのために、今は雌伏の時だと魔獣狩りに身をやつして参りました。いずれ祖国に舞い戻る、その時のために。……けれど俺には、主が最終的に何をどうするつもりなのかはわかりません」
「お前たちの勢力は? ほかの仲間は?」
「いません。俺と主の二人きりです」
ファラダは朴訥な青年で、あまり貴族や王族の従者らしくは見えない。
そんな彼一人だけを連れて元王族が魔獣狩りをしながら旅をしつつ復讐の計画を練ると言うのは、何処か現実味のない話に思えた。
本気で現在一国家の重鎮となった元臣下に対して復讐を仕掛けるつもりなら、自分の縁戚や利害関係の一致する貴族と交渉して援軍を募るなり他にもっとやりようがあるだろう。
従者と二人で魔獣狩りとしての腕だけ鍛えても、権力闘争でなんとかなるとは思えない。
それとも暗殺狙いか? だとしたら少し面倒だな、とセルセラは考える。
(ファラダの主がこれから一つの国の存亡を分けるようなクーデターを引き起こすなら、ここでそいつを助けるかどうかの判断が後々重要な問題になる。……だが、いたか? 最近政変のあった国でそんな重要な立場の人間)
星辰退魔協会は魔獣討伐において世界各国と連携している。
中には協会の手助けを拒む奇特な国もあるが、半数以上の国が退魔協会に寄付をして、何かあれば優先的に星狩人(サイヤード)を派遣してもらおうと日頃から協会長ラウルフィカに対し恭しく接している。
魔王のように本当に強力な一部の魔獣を相手にする際、退魔協会の持つ辰骸器(アスラハ)とそれを使う星狩人の力は絶大だからだ。
その関係でセルセラも王族関係には詳しいのだが、ファラダの主らしき人物にここまで聞いても当たりがつけられない。
そういう意味では、ファラダの主の脅威度は低いのかもしれない。
「うーん……」
セルセラは彼らの復讐自体は否定しない。
憎い相手を害したい、殺したいと思う感情は当然だ。
だから別にファラダの主が復讐者であることは構わないのだ。問題は、その復讐が更に他の問題を引き起こさないかということだけだ。
「……まぁ、いいか。お前の主の復讐なんて、僕には関係ないことだ。好きにしろ」
「あ、ありがとうございま――」
「そいつが後々面倒事を巻き起こすなら、その時改めて殺しゃいいだけだしな」
許されたと感じたファラダを即突き落とす。
人を生かすことができると言うのは、逆に人を殺す力を持っているということである。
今この瞬間の味方が恒常的に救世主にはなりえないことを嫌と言うほど実感したファラダの肩に、レイルが慰めるように優しく手を置く。
「もしそうなったら、俺はこの事態に関わった者の責任として止めに入るから」
「ほ、本当ですか?」
「ああ」
レイルの目的はセルセラの血をもらい不老不死の呪いを解くことだが、セルセラの性格上すぐに目的を達せはしないだろうとそろそろ彼も理解してきた。
どうせ長い付き合いになるのであれば、そのくらいはやってやろうと頷く。
「……セルセラ。それで、俺たちはどうする? 具体的に何をすればこれらの問題を解決できるだろうか」
「丸投げかよ」
「う……」
自然と一行のまとめ役になっていたセルセラは、この場面でも結論を求められる。
だが、求められたからと言ってセルセラが素直になんでもかんでも解決してやる義理はない。特にレイルに対しては。
「そもそも、お前はこいつらを助けたいのか? そこんとこどうなんだよ」
「俺は……」
一度返答を躊躇ったレイルは、しかしすぐに決意の表情で言い切った。
「俺は……彼らを助けられるなら、助けたい。主のために動こうとしている従者を、見捨てたくはない」
淡い藤色の瞳に、ここではない遠くを見ているかのような哀切が過ぎる。
「はーん……ぬぉっ!」
半眼でレイルを睨むセルセラの頭に、能天気な声と共にずっしりとした重みがのしかかった。
「私も難しい話はわからないから、事態の解決のために何をすればいいかセルセラに教えてもらいたいな」
「ファラーシャ、お前の胸重いんだけど」
セルセラよりだいぶ背の高いファラーシャが、その胸の重みを乗せるようにしてセルセラの背後から抱き着いている。
セルセラ自身もスタイルには自信があるが、ファラーシャの美術彫刻のような肉体には敵わない。
「私もセルセラの意見を聞きたいです」
「お前が先に話すなら僕も教えてやる」
タルテまでがそう言うので、お前は二人ほど考えるのが苦手ではないだろうと促す。
「そうですね……この遺跡の変容の原因は、数週間前のファラダ殿の主と魔王の戦闘の余波なのでしょう? 余波、ということでしたら我々が何もしなくても時間経過で影響が消えることは考えられます」
タルテは一度言葉を切り、困り果てたファラダの顔を見ながら改めて結論を口にする。
「しかし、時間経過での事態解決をただ願うなど私の柄ではありませんね。遺跡の変容の原因だろうが、ファラダ殿の主の呪いの元凶だろうが、倒せるものは総てぶちのめして関係者に恩の一つも売っておけばいいのです」
「そりゃまた随分と好戦的な考えだな」
「私は後手に回るより原因からの対策に力を入れたいのです。――それに、この一件を解決するのはセルセラの仕事ですよね?」
「ち、しょうがねーな」
皮肉気に微笑んだタルテのセリフに、セルセラは舌打ちをしてついにこれからの方針を口にした。
「僕の仕事は、この遺跡の椿事を解決すること。全ての因果関係を明かすためには、ファラダの主から事情聴取する必要がある」
そしてファラダの主から事情を聴くと言うことは、昏睡状態にあるというその人物にかけられた呪いを解き、目覚めさせると言うことだ。
「まずは探索を完了させて、遺跡変容の現状を把握し事態の解決を目指す。その後、ファラダの主の元へ行くぞ!」
「「了解!」」
レイルとファラーシャが声を合わせる。
「あ……ありがとうございます!」
ファラダが顔を輝かせ、今度こそ礼を言う。
「まったく、面倒なことを言ってくれたな」
成り行きでファラダの主を救うことになってしまったとセルセラはタルテに文句を言うが、言われた方は涼しい顔だ。
「貴女だって元よりそのつもりだったでしょうに」
「おい」
人は、自分が聞きたい言葉しか聞こえない。
「ここであなたを焚きつけたんです。とりあえず、お手伝いは最後までいたしますよ」
微笑むタルテに、セルセラは溜息で応じた。
「当たり前だ」