023.魔女に祈りを

「お前の願いなんて僕の知ったことかよ」
 セルセラはそう言い捨て、一人遺跡に背を向けて歩き出した。その凛とした背筋は、レイルの震える指が追いすがることすら許さない。
「セルセラ! レイル……あの、えっと」
 首を忙しなく巡らせてセルセラとレイルの姿を確かめながら、ファラーシャがかける言葉を見つけ損ねておろおろとする。
「……行ってください、ファラーシャ。こちらは私が」
「う、うん」
 タルテに促され、ファラーシャはセルセラの背を追うことに決めた。華奢な人間の少女の歩みに、特殊民族の大柄な少女はすぐに追いついた。
 二人は何事か話しながら、一緒に星狩人協会本部の建物の方に戻っていく。
 それを見届け、タルテは途方に暮れた様子で取り残されたレイルの方を振り返った。
 北国の生まれと言うだけでなく顔色の白い青年は、積年の望みを聖女に撥ねつけられて悄然と項垂れている。
 心が過去に囚われたままのレイルに、タルテははっきりと言い切った。
「さっきのは、あなたが悪いですよ。レイル」
「タルテ」
 セルセラに拒絶されるだけでなくタルテにも責められ、顔を上げたレイルはますます訳がわからないという表情になる。
「何故……確かに初対面の人間に頼むようなことではないかもしれないが……。こんな生の在り方は不自然だろう。人はみな天に与えられた寿命を全うして地に還るべきではないのか……?」
「そうですね。けれど」
 不老不死は禁忌の呪法。古の権力者たちがそれを望んで奇怪な行動を繰り広げたり、怪しげな思想に染まって人の道を踏み外したりする話は古今東西ありふれている。
 生と死は天より与えられた一揃いの贈り物。生まれてきた以上必ず死ぬと決まっている儚い生を、懸命に生きることこそ人の定めだ。
 この二日、短い時間レイルと行動を共にしただけのタルテにもその異常性はわかる。
 セルセラの雷に打たれてもすぐに復活してきたレイル。魔王ドロミットに洗脳されてからは、自分たち三人を相手に一歩も遅れをとることなく立ち回った。
 純粋に剣技の強さもあるが、不老不死の呪いが彼にもたらす耐久力には空恐ろしいものがある。
 けれど、同時にタルテは、レイルの精神が傷つきやすいくせに無神経で、お人好しだが無遠慮で愚かな、本質的にはただの人間と何ら変わらないことも理解していた。
 そしてそれは、神の領域に至るほどの魔導士であり天上の巫女セルセラも同じである。
「あなたが呪いを解き、死んでしまいたいと願う気持ちは当然でしょう。けれど、呪いを解く側のセルセラはどうなります?」
 不老不死の呪いを解くと言うこと、それは。

「呪いを解いたらあなたは死ぬ。あなたは、セルセラに自分を殺せと言っているのですよ」
「……!」

 レイルが目を瞠る。
 不老不死どころか、天寿を全うできない哀れな人々のために、死者を冥界より取り戻す蘇生の術すら扱う天上の巫女セルセラ。
 どれほど傲岸で悪辣な態度を取り続けようと、セルセラがその力で人々を救っていることには変わりない。
 悪い噂も山のようにあるらしいが、ファラダの主・リーゼルという一人の少女を助けるために、躊躇わず魔王に挑んだのもまた自分たちの知るセルセラだ。
 その聖女に、レイルは誰かを助けることではなく、自分を殺すことを願った。
「……ッ、セルセラに謝ってくる」
 遅ればせながら自分の言ったことがどういう意味を持つのか理解したレイルは、慌てて踵を返す。
 セルセラを追おうとしたレイルのその行動に、タルテは文字通りの足払いをかけた。
「お待ちなさい!」
「ぐえっ!」
 よほど動揺していたのか、戦闘時にあれほど神速の動きを見せた人間とは思えないほどあっさりとレイルはひっくり返った。
「いきなり何を!?」
「今あなたがセルセラに謝ったところで何になると言うのです? 謝って済んだら警備隊はいりませんよ?」
「しかし……!」
「ここで謝るのはあなたの本心ではないでしょう? 人に戻って死ぬ望みを捨てたわけではないのですから」
「それは……」
 咄嗟の言葉が見つからず、レイルは思わず唇を噛んだ。
 自分の言葉でセルセラを傷つけたことをレイルは申し訳なく思う。
 だが、タルテの言う通り、それでもレイル自身の望みが変わったわけではないのだ。
 死んでも殺されても肉片になっても復活する不老不死。他者の血を啜らねば永らえることのできない吸血鬼の肉体。
 こんな生は不自然だと、自分を疎み、死による解放を求めるレイルの心は変わらない。
 人間はいつか死ぬと言うのに、今のままではレイルは永遠に死なないのだから。だからと言って。
「他者と付き合うために打算的な表面上の謝罪をしても、問題の本質は何一つ解決していませんよ」
「た、タルテ」
 あまりの厳しい言い様に、口下手なレイルはもはや反論すらできず、呆然と司祭の名を呼ぶしかできない。
「今セルセラに謝ったところで、ではあなたはその後どうするんですか? 彼女以外の別の聖女にでも同じことを頼みますか? 人殺しが趣味で罪悪感の欠片もなくあなたを殺せる聖女が、都合よく見つかればいいですね」
「タルテ……」
 第三者がこの場にいればそのぐらいで勘弁してやれよと言いたくなるくらい、タルテは容赦なくレイルを言葉の刃で追撃する。
 現実の斬り合いならともかく、舌戦では間違いなくレイルはタルテに勝てない。
「なら俺は、どうすればいい?」
「そんなこと私に答えられるはずがないでしょう。私はあなたではないんですから」
 再び途方に暮れて尋ねてきたレイルを、ここまで諫めたタルテはあっさりと突き放す。
 伸ばされた手をぴしゃりと振り払うかのようなその口調は、人を激流に突き落とすのは得意でも溺れる者の藁になってやる気はないと言いたげだ。
 いよいよ言葉を失ったレイルが肩を落とした頃に、タルテはやっと口を開いた。
「……人生の正解、不正解なんて、誰にも分かるわけないじゃないですか。私はあなたではない。あなたも私ではない。私には私自身の正体すらわからない」
 自信満々に話しているように見えても、タルテも己の中に確固たる信念を持っているというわけではないのだ。
「我々はただ、己自身のやりたいようにやるだけです」
「……だが俺には、もう自分の望みなんてないんだ」
 死以外の望みがあるのなら、レイルは当然その道を選んだ。
 詮無いことだが、もしも主君さえ生きていたならば、レイルは彼女がその生を終えるまで変わらない立場で見守ったことだろう。
 呪われた身体のまま永く生きることは辛くても、大切な人が存命であれば耐えられたはずだ。
 けれど主が死んだときに、騎士としてのレイル・アバードも死んでしまった。もうレイルには何もない。
 守りたい人も帰る場所も、全てを喪った。
「個人的には、あなたに必要なのは死ぬことよりも生きることの方だと思いますがね」
 レイルの絶望を薄っすらとではあるが感じ取っている様子のタルテは、まずは今の彼自身に目を向けさせることにした。
「ひとまず星狩人として生きてみたらどうです? 八十年も待ったんです。答を出すまで焦らずもうあと一年待ってみてもいいんじゃないですか? 今までと違うことをやってみたら、新しい発見があるかもしれませんよ?」
 セルセラはこの一年以内に全ての魔王を倒すと言ったのだ。上手く行けばこの一年以内に必ず世界は変わる。その時、一体何が起こるのだろう。
「そうか……そうだよな……」
 成り行きとはいえ、今回の事件でレイルは正式な星狩人の資格を取った。それだけですでに、状況は変わったと言える。
 今のレイルにとって本当に必要なものが何かは、タルテにもわからない。
 それを見つけられるのは他でもないレイル自身である。
 だが、その「何か」を探すために必要な物が、時間であることだけはわかっていた。
 タルテ自身がいまだ自身の正体を見つけられていないように、願った答など何もせずある日唐突に空から降ってくるものではないことだけは誰もが皆本能的に知っている。
 どんな世界でも、自分から行動しなければ得られるものはないのだと。
「魔獣と戦ってこれまでより強い敵を倒せるようになったことを実感したり、誰かを助けたり、あるいは誰かに助けられたり……その間に、変わるものもきっとあるでしょう。もしかしたらセルセラが気を変えるかもしれない」
 ――もしかしたら、レイル自身の気も変わるかもしれない。
「そうだな……そういう考え方もあるか……」
 全てに納得したわけではないだろうが、タルテとの会話でひとまずこれからの行動の指針を与えられたレイルの表情が落ち着いていく。
「俺は、呪いを解く方法を探し続ける。そのためには、どちらにしろ様々な土地を訪れたり解呪の力を持つ術者を探し訪ねる必要があるだろう。星狩人という生業はちょうどいいのかもしれない」
「人助けも嫌いではないでしょう?」
「ああ」
 今回組んだ四人のうち、ファラダに真っ先に救いの手を差し伸べたのはレイルだ。騎士としての経験もあり、人を救い守ることがレイルの望みであり生き方なら、星狩人としても向いているだろう。
「では、そろそろ戻りましょう。きっとここしばらく、色々と忙しくなるでしょうから」
 いつの間にか満天に星々が輝く夜空の下、二人は揃って神の骸たる遺跡を後にし、星狩人協会の建物を目指して歩き始めた。

次話 024.そして、物語は幕を開ける
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