第2章 永遠を探す忠誠の騎士
033.約束と宿命
「魔王と言っても案外普通だったな。倒せそうか?」
ディムナは長い間書面上で認識しているだけの存在だったフロッグ公爵領の二の魔王・ハインリヒに会った感想をクランに尋ねる。
「特段脅威には感じませんでした。しかし彼は他の魔王より弱いらしいですから」
帝国最強の騎士は、殊もなく言いきった。
セルセラたち星狩人側が魔王についての情報共有を行っている間、フィアナ帝国主従の間でも密談が捗る。
「何か感じるものはあったか?」
「いいえ。まったく。ドロミットと呼ばれていた白鳩の女性もそうですが、今のところ何の影響もありません」
「ふむ……だとすると、やはりお前のところの神託は迷信か」
「いえ……」
クランの故郷、青の大陸の古王国アレスヴァルドは神託の国。
国民は皆、生まれながらに与えられた神託に沿って生きている。
疑う者も逆らう者も総てを呑み込んで、運命(さだめ)の歯車は回り続ける。
「故郷では神託通りの出来事がいくらでもありました。良いことも、悪いことも」
だからクランも、生まれながらに己に与えられた不吉な神託を、何より恐れていた。
「ここは中央大陸。藍色の大陸だ。お前の居た青の大陸ではない」
「どの場所にいても、俺は俺です。――運命からは逃れられない」
「……その議論は、また今度にしよう。今の問題は魔王ハインリヒへの対処だ」
これまで幾度も繰り返し、長くなるとわかっている神託談義を無理矢理打ち切り、ディムナは目前の計画へと話を戻す。
「正直、拍子抜けだったな。もっと凶悪な魔王だった方が、討伐に“大義”ができて良かったんだが」
「戦いになれば、私はきっと周囲に配慮ができず多くの怪我人を出します。戦わないで済むならそれに越したことはありません」
“狂戦士(バーサーカー)”と呼ばれる少年は、自分が戦う状況を好ましく思わない。
だが主君の意見は違った。
「そのためにセルセラに救援を頼んだんだ。ここに来て仲間が増えていたのは予想外だったが」
レイル、ファラーシャ、タルテ。
初めて会ったセルセラの仲間たちは、一体この事態にどんな影響をもたらすのだろうか。
「クラン。俺も本当は、犠牲など出ない方がいいと思っている。けれど、何の犠牲も出さずに得られる平穏がないということも知っている」
このフロッグ公爵領に、ディムナは領地問題を解決するだけではないもう一つの目的をもってやってきていた。
そのためにクラン以外の護衛をつけなかったのだ。
「“魔王を倒した英雄”。そういう実績があれば、周囲のお前を見る目も変わる。そのためなら――」
「私は、陛下に私のせいで非道を行ってほしくはありません。例え周囲が真実を知らなくても、あなた自身が残酷だと認識していることを行ってほしくはない……!」
ディムナのその気遣いは、クラン自身の本意ではない。
「今回はセルセラ様が一緒なのです。きっと、誰も犠牲にせずとも、みんなが笑って受け入れられる結果をもたらしてくれるはずです!」
「……お前のセルセラ好きもかなりのものだな。俺などよりよっぽど天上の巫女姫の敬虔な信者だ」
「……あの方は、かつてあなたを救ってくださった方ですから」
ディムナは自分より一回り以上幼い護衛の頭にぽんと手を置いて宥める。
「そうだな。……まぁ、だから今回は例えどのような事態になっても、決して最悪の結果にだけはなるまいよ」
おやすみ、と言い置いて皇帝は部屋に戻る。
きちんと一室を与えられたクランも戻る。
わざとらしく部屋の前などで寝れば護衛を置く高貴な身分だと言いふらしているようなものだからと説得されていた。
夜は更けていく。
人々の穏やかな眠りに、何処か不穏な空気を投げかけたまま。
◆◆◆◆◆
「ちょっと買い出しがてら街へ行って来る」
ハインリヒは前評判通り穏やかに日々を過ごしていて、人々に危害を加える様子は微塵もない。
監視を緩めても大丈夫だと判断したセルセラは、その間に雑事を済ませてしまうことにした。
もちろん星狩人が完全に魔王から目を離すことはできない。どうせ人数がいるのだからと、レイルたちをプロメッサ村で待機させる。
「なら俺たちもセルセラについて行こうか、クラン」
「はい、ディムナ様」
「荷物持ち兼財布か。まあいいだろう。レイルたちは留守番。ドロミット、お前はいざと言う時の連絡役」
「えー。私もお買い物したぁい」
「今回のお前の働き次第によって、もっと大きな街で好きなものを買ってやるっていうのはどうだ?」
「乗ったわ」
元魔王を上手く手懐けて、現魔王の監視を約束させたセルセラはディムナたちと買い物に向かう。
「プロメッサ村の魔王? うーん、いることは聞いているんだけどねぇ。実際に見たことはないよ」
「村の人たちとは仕事の関係でたまに会うけど、魔王の話はほとんど聞かないな。五年前は帝国に併合されたばかりでそれ以外にもごたごたしていたしね」
「……まぁ、魔王自身が直接やってきたりしなければこんなもんか」
プロメッサ村の人々の反応に比べて随分と淡白な意見ばかりを聞いて、セルセラはふっと嘆息する。
「人間は自分の生活に直接関わらないことはあまり強く意識したりできないものだ。ここは現在帝国領だが、帝国民の中でも自国に魔王が棲んでいることを危険視している者は稀だろう。何せ俺が時々そのことを忘れそうになるくらいだ」
「いや、お前はしっかり覚えておけよ。皇帝陛下」
こんな軽口を叩いてはいるが、実際のところディムナが自国に魔王が棲みついていることを忘れることなどないとセルセラは知っている。
ハインリヒがこれまで排斥されなかったのは、彼があくまで温厚で平和的な魔王だからだ。
人々を襲い何百人もの死者を出す凶悪な魔獣であれば、皇帝はなりふり構わず討伐を開始する。
その一方、現状で彼がハインリヒを生かしている理由が、平和的な魔王に対する好意などではないこともわかっている。
「ディムナ、ハインリヒに対して何を企んでいるんだ?」
「どういう意味だ?」
「刺激するのが怖いからなんて理由で、お前が魔王を生かしておく訳がない。いくらここが辺境の小さな田舎村であろうとな。魔王の使い道を考えていたんだろう? どうせ殺すなら、最も効果的なやり方で殺すべきだと」
帝国にあるすべてのものはディムナのもの。ハインリヒの生殺与奪もディムナの意思次第。
「人聞きが悪いな。いくら俺でも、罪のないものを一方的に裁くことなどできんぞ?」
「そうだな。だが皇帝は、他人の罪なんていくらでも捏造できるだろ? ましてや魔王の罪なんて」
存在自体が邪悪と目され、実際に凶悪な魔王が何百年も幅を利かせてきた世界。
セルセラたちが真実を確かめたいなどと言えるのは、彼女たちが魔王にも負けない圧倒的な強者だから。
魔獣に対抗できる力を持たない一般市民は、早く全ての魔王が消滅することを願っている。
「セルセラ様……」
困った顔で名を呼ぶクランは、ディムナの思惑を聞かされているはずだ。
そして護衛が彼しかいないという事実から、セルセラもディムナの考えを推察している。
協力してやる気は毛頭ないが。
お互いの腹を探り合う奇妙な雰囲気のまま、三人は買い物を装って、街人からの聞き込みを続ける。
「ここ何年かで、エレオド軍の兵士がよく来るようになったのよ」
「エレオドが?」
「ええ。土地を明け渡せって」
「そのたびに、元フロッグ公爵家に居座っている魔王が撃退しているの」
「街ごと襲撃でもされない限り俺たちの暮らしぶりは変わらないんだが」
「ちょっと落ち着かないのよね」
「フィアナ帝国の方は?」
「何度か来たよ。でも帝国軍の方は魔王をいきなり襲ったりせず、付近の人間の話を聞いた上で国境の柵を修繕して帰ったって」
「ふうん」
「フロッグ公爵が亡くなったのは五年前。その後、バルが帝国に併合されてこの土地は帝国領になったわ。領主一家は帝都の方に行っちまって、今何をしているんだろうね」
「あんたたちは魔王についてどう考えているんだ?」
「どうって言われても……それほど困ってはいないな」
これまで通りに税を取られてはいるが、魔王はそれを特に何かに使ったりはしていない。
むしろ、それをするだけの知能や知識はないようだ。
領民たちの生活を維持するやりくりは、領主家の屋敷に残った使用人たちの一部が帝都に移り住んだ領主家と連絡を取り合って行っているらしい。
「へぇ~じゃあその使用人たちは魔王のところを逃げ出さないんだ? 物好きな奴らだね~」
リンゴをしゃくりと齧りながら、灰色の髪をした少年が言う。
「本当にな。……って、誰だあんた」
ごく自然にいつの間にか会話に交じってきた少年に、セルセラは胡乱な目を向ける。
「狼将軍ルプス……!」
ディムナが少年の顔を見て、眼差しを険しくした。
皇帝と面識があるらしい少年は、にっこり笑って店の人々の方へ笑いかけた。
人懐こい笑顔とは裏腹に、いつでも戦闘に入れる体勢。
今の仕草は、ディムナにここで面倒を起こすなという合図だ。
「俺は通りすがりの旅人だよ。八百屋に野菜を買いに来ただけの」
「なんだい、お客さんたち顔見知りだったのかい?」
「ああ。せっかくだから、どこかで落ち着いて話さないか? 親父さん、近くにいいところない?」
「それなら……」
良い店を教えてもらったと頷き、ルプスと呼ばれた少年は一行に先立って歩く。
古ぼけた看板を提げてはいるが中は綺麗な小さな喫茶店で向かい合い、改めて少年は口を開いた。
「こんなところで高貴な方にお会いできようとは」
「一体何のつもりだ、狼将軍。ここは俺の国だが」
「隣国に遊びに来るのがそんなにいけないこと?」
「ぬかせ。貴様がいるということは、エレオド軍が動いているのだろう? ヨカナーン王の命令だな」
「それはさすがに言えないなぁ。それよりそっちこそ、天下のフィアナ皇帝陛下と天上の巫女姫が何の目的でこんな辺境に?」
「貴殿に話す義理はないぞ」
「えー。そういうこと仰いますか。だったらこっちで勝手に想像しちゃうかも。そうだなぁ……」
ディムナの隣に座るクランを見ながらルプスは言う。
「帝国は“預言”の“狂戦士”を使って魔王に取り入ろうとしている……とか?」
「貴様!」
ディムナが目の前の机を叩いて立ち上がる。
「言うに事欠いて……! 我が国一番の騎士を愚弄するか!」
「ディムナ様! 落ち着いてください!」
小さな店とはいえ、騒がしい一行の険悪な空気に周囲から視線が集まる。
「ごめんごめん、なんでもないからさ」
セルセラはそれらに手を振って、さりげなく魔導でこの一角の騒ぎが認識されにくいよう、他の客に術をかける。
「うるさいぞお前ら。これ以上騒ぐようなら暴力沙汰になる前に僕が両方口を封じてやる」
もちろんセルセラ自身の使う手段は暴力だ。
「いいからさっさと話し終えろよ。その気がないならそもそもこんな場設けねーだろうが」
「ま、そうだよね」
「ルプス将軍と言ったな。お前たちの目的はなんだ? 魔王を討ち、この土地をいかにも当然て顔をして手に入れることか?」
「良いことをして恩を着せるのは駆け引きの基本だからね。でもちょっと予想外に、ここの魔王さんは人間たちと仲がいいみたいだ」
セルセラの推測を、ルプスは否定しない。だが安易に肯定して言質を取らせるような真似もしない。
面倒な相手だと認識しつつも、セルセラは駆け引きじみた交渉を続ける。
「引いたらどうだ。今なら傷も浅いだろ」
「遠征費用を無駄にするわけにもいかないだろ?」
軽食のサンドイッチを口に放り込みながら、少年姿の軍人は告げる。
「あんたたちこそ、手を引くつもりはない? 星狩人協会って国と国の揉め事にまで関与する気?」
「ただの国家間の問題ならともかく、そこに魔王が絡めば別だ。それとも一人の魔王を刺激したせいで不測の事態が起きた時、お前らエレオドが責任をもってすべての魔王を倒してくれるか? くれるならこっちも喜んで協会を解散するが?」
「やー、それはちょっと難しいねー」
皮肉で彩る笑顔を浮かべながら、セルセラとルプスは奥底で火花の散るやりとりを交わす。
「お互いに引く気がないならしょうがない。またどこかで会うだろう。その時はよろしく」
飄々とした笑みを浮かべ、ルプスは自分の分の伝票を握って席を立った。
「敵とよろしくする主義はないんだ。せいぜい敵にならないことを祈れよ」
「俺たちが祈る側? ま、天上の巫女猊下相手ならそうなるか」
「……お前たちにどんな事情があろうと、僕は僕の道を阻むものを許さない。立ち向かって来るなら踏みつぶす」
「こっちもただ踏みつぶされるつもりはないよ。でもま、お手柔らかに」
店主ににこやかな顔で御馳走様と声をかけ、鈴の音と共に扉を閉じた軍人は素早く雑踏に紛れて行った。
◆◆◆◆◆
リーゼルはハインリヒへと、硝子の小さな小瓶を差し出す。
小瓶の中には“黒い星”。
「六の魔王殿の差し入れですよ。これをあなたに」
「何故?」
「星を増やせば、あなたは今よりも強い力を手に入れることができます。欲しかったのでしょう? 民を、この地を守る力が」
ハインリヒは少しばかり考える。
最近エレオド王国が頻繁にこの土地を狙って兵を派遣することが多くなってきた。正式な人間の領主がいない土地の魔王をなんとか倒して、自らの領土に加えたいらしい。
今はまだ勝てる。
だがいつか負けたら?
「ご主人様……」
脳裏に広がるひまわり畑。
あれはいったいいつの記憶だったろう。
もう随分昔の気がする。
ご主人様はまだ帰ってこない。
――鉄帯の騎士ハインリヒのように。忠義深いお前に頼むよ。どうかこの土地を――。
ハインリヒは様々な人のことを考える。
日々を穏やかに暮らす領民。土地を訪れては様々な品を売って人々を喜ばせる商人。ひまわり畑を風景画として残していった画家。
同じ魔王のドロミットやラヴァル。
昨日出会った旅人たち。
――倒されそうになっちゃったらどうするんだ?
確かに力は必要だ。
力がなければ何も守れない。
せめて主がこの土地に戻るまでは、約束を果たすまでは、ハインリヒはこの土地を動くわけには行かない。
たまに自分の翼で何処へでも行けるドロミットが羨ましくなる時もあるけれど。
それでも、この土地こそが彼の主の帰るべき場所なのだから。
リーゼルとその部下、人語を喋る馬ファラダが見守る中、ハインリヒは小瓶を受け取り。そして――。
◆◆◆◆◆
留守番組は比較的自由に動いていた。彼らの実力なら、領主屋敷で何か大きな動きがあればすぐわかる。
プロメッサ村は今日も穏やか過ぎるほどに穏やかだ。
そんな中、レイルは今日は人型で過ごすドロミットに声をかけていた。
これまでも機会を伺ってはいたのだが、なかなか直接二人だけで話すことができなかったのだ。
彼は彼女に、どうしても聞きたいことがあった。
「八十年前の魔王を知っているか?」
「あなたが聞きたいのは、ゲルトルートお嬢ちゃんのことかしら」
「……そうだ」
「詳しい話は知らないわね。あの子、人見知りだったから。魔王になったからと言っても、ほとんど他の奴らと喋らなかったわよ」
「……言葉を交わしたことはあるんだろう?」
「ええ。多少はね。私は飛べるからって、六のやつによく使いっぱしりにさせられたもの。でもあの子自体、魔王になってすぐにあなたに倒されちゃったじゃない」
「……ああ」
「本当は私より、あなたの方があの子のことに詳しいんじゃないの?」
ドロミットは面白がるような、甚振るような酷薄な笑みを浮かべていた。
「……そうだな」
レイルはゲルトルートが魔王になる前から知っていた。面識があったのだ。
だから森の果ての氷の城でその姿を見た時、ただ純粋に驚いた。
「あなたは勇者として魔王を倒しに行き、実際に魔王を倒した。なのに、どうしてそんなに悲しそうなの?」
「悲しそうか? 俺は……」
「悲しそうよ。悲しんでいるのでしょう。だから硝子の街で、あなただけが私の術に囚われた。あれは囚われたい過去がない人間には効かないのよ」
「そうなのか……」
レイルは力なく相槌を打つ。
「ああ、そうだな。俺はずっと……後悔しているのかもしれない。あの時どうすれば良かったのか、今でもわからない」
「そう……でもね」
ドロミットは透き通る金の睫毛を伏せる。
「私に答を期待したって無駄よ。言ったでしょう。私たち魔王は過去に囚われ未来を持たない。その時計の針を進めるものは滅びのみ」
自分たちの物語はここで終わってしまったと、そう悟った者だけが魔王になる。その後できることは、頁の最後に終止符を打つことぐらいだ。
「生きているあなたが、私たち魔王から得られる答はない。それは……同じこの時代を生きる人間からしか得られないものよ」
不老不死の呪いに歪められた生でも、レイルが生きていることに変わりはない。
人間の意志に影響できるのは、同じ人間だけだとドロミットは言う。
「そう……なのかもしれない」
神の起こす奇跡への信仰や祈り。
邪悪な魔王や魔獣への義憤、復讐の念。
人の意志に影響を与える出来事は様々あるけれど、結局一番強い影響を与えるのは、無力で矮小な同じ人間の言葉や行動だ。
「すまない、余計なことを」
「私は別に」
ドロミットはひらひらと手を振って白鳩の姿に戻り何処かへと去っていく。
自由に空を飛び回る姿に妙に憧憬を覚えた。
「……でも俺は、結局自分がどこに行きたいのかもわからないじゃないか」
レイルは、すぐにその翼の残影から視線を外した。
◆◆◆◆◆
足元で硝子の小瓶が砕け散る。
その横に膝をつき、ハインリヒは胸から湧きおこる苦しみを堪えた。
いつも着こんでいる銀の鎧が、彼の肉体の変化を受けて軋みを上げる。
「騙したな……!」
「あら人聞きの悪い。嘘は言っておりません。その苦しみを乗り越えられれば、あなたは最強の魔王になれますよ」
リーゼルは穏やかな微笑を浮かべたまま、額に冷たい汗を浮かべて悶え苦しむハインリヒの様子を見守った。
彼女は何一つ嘘は言っていない。ただし、全ての真実も教えてはいない。
黒い星は邪神の魂の欠片。
それを多く持つほど強い魔王になれる。
それを多く持つほど、自分が自分ではなくなっていく。
取り込んだ黒い星がハインリヒの心を急速に憎しみで染め上げ、邪神の力は肉体の枷を外していく。
「う、ぐ、あああァアアアア!」
叫び声の最後の音が、人型の肉体からは出せない音へと変わっていく――。
◆◆◆◆◆
「おかえりセルセラ!」
「よう、何か変わったことはあったか?」
プロメッサ村でファラーシャたちと落ち合ったセルセラは、まず状況を尋ねる。
「私たちは何も。ハインリヒが屋敷から出てこないのが逆に気になるくらいです」
「そうか。こっちはな……」
街でエレオド軍人ルプスに会ったことを説明すると、タルテが難しい顔をする。
「エレオド軍人……やはり入り込んでいたのですか」
「でもその人、何のためにセルセラたちに話しかけてきたんだ?」
「さぁな。ただの牽制だったのか、あるいは……」
自分の存在を知られないこと以上に重要な、彼がセルセラたちの前にあえて姿を現した理由とは?
「レイル、お前は何か気づいたことはあるか?」
「いや、すまない。何も――ッ!?」
その時、大きな音が響いて会話が中断された。
衝突音に衝撃音。何かが崩れる音と人々の悲鳴、叫び声。
今は二の魔王が住まう領主館。――轟音はそこから響いてきた。
「なんだ!?」
セルセラたちは宿から飛び出し、館の方角を眺める。
屋敷の一角が巨人に殴られたかのように崩れ落ち、使用人たちが次々と玄関ではなく窓から這い出る。
そして、鼓膜をつんざくかのような咆哮が響いた。
ギャォオオオオオオオオオ!!
「ハインリヒ!」
窓の外、轟音の中でも通るやけにはっきりした声で白鳩が叫ぶ。
その悲痛な響きに、誰もが不吉を予感せざるを得なかった。