第2章 永遠を探す忠誠の騎士
039.その目に鏡の欠片
窓のない会議室。広々とした空間に漆黒の円卓。
話し合いに必要ないものは持ち込まれず、簡素だがまったく質素には感じられない壁と調度。
創世神話の神々の雄姿が描かれた天井。床に敷かれた絨毯は、一枚織り上げるのに十年かかると言われる名品。
宮殿の豪奢と要塞の剛健さを兼ね備えた城、それがエレオド王国の王城だ。
「――では、魔王討伐の影響がしばらく続くことを考え、国境には両国の兵を派遣して共同でフロッグ領の支援を行う方向でよろしいでしょうか?」
「魔獣の活動が活発になる対策として、星狩人(サイヤード)協会から二等星の星狩人を数名雇い入れます。費用は帝国の方で持ちますので、エレオド軍は彼らに協力を――」
会議室に集うのは、エレオド王国国王ヨカナーンとフィアナ帝国皇帝ディムナ。そしてその臣下たち。
先日のフィアナ帝国バル地方フロッグ公爵領の魔王討伐に関して生じた問題を、国家元首同士が直接話し合って解決するために、この場は設けられた。
直接、と言っても実際に細かいやりとりをするのは二国の官僚と軍部の司令官たちである。
ディムナ帝とヨカナーン王はあらかじめ臣下たちが打ち合わせていた通りの流れに従い、要所要所で決定に許可を出す。
フロッグ公爵領の一件は、表向き近くで演習をしていたエレオド軍が、暴走した魔王ハインリヒを討伐し民を救うために動いたということになっている。
当然領土侵犯だが、フィアナ帝国側もここで問題を大きくしエレオドと衝突するつもりはない。
帝国民の救援と領土侵犯を相殺する方向で話はまとまった。
エレオドが実際に魔王ハインリヒを倒していれば話はまた違ったかもしれないが、今回魔王を倒したのはあくまでも第三者の星狩人――“天上の巫女”セルセラ一行である。
地上のどの国家にも属さず、しかし宗教権力の最高位と星狩人協会幹部の地位を有する天上の巫女。
セルセラを敵に回すのはマズいというのは、もはや世間の常識である。
噂しか知らぬ者たちと本人を直接見知っている者、その恐ろしさを直に味わった者の間で認識に相当の差があるとはいえ、基本的に怒らせてはいけない相手だという評価は特に各国の上層部で一致している。
単に恐ろしいだけの存在ならばまだしも、“聖女”として人命救助や各種支援活動を行うセルセラに恩を受けた人物や国は多く、信望者の数も随一だ。
万が一にも天上の巫女に危害を加えたり不利益をなした場合、そうした信望者からの報復も警戒せねばならない。
……まぁその前にセルセラ本人が相手を再起不能寸前までに叩きのめすだろうが。
ディムナはそんなセルセラの存在を巻き込むことで、エレオドとの問題に緩衝材を置いた。
もちろんエレオド軍がわざわざ他国に侵入してまで魔王を狙った訳は、純粋な救助活動などではない。フロッグ公爵家の取り込みや新兵器の試験的運用などの思惑がある。
フィアナ帝国はそれらの思惑を知っていることを強調し、あえて不問にするという形で会議の幕を引いた。
エレオド側からも特に反対は起きず、表向き穏やかに二国からなる会議は終了した。
広い会議室に集った両国の役人たちの半分が、会議の終わりと同時に退室する。
残ったのは一人の王と一人の皇帝、その護衛や侍従のみ。
「――これで外交上の手続きの話は一通り済んだな」
「ああ。協力に感謝する。ヨカナーン王」
「こちらこそ、わざわざご多忙なフィアナ皇帝陛下に御足労いただき申し訳ない。アジェッサの件に関する対応には助けられた」
「できることをしたまでだ。それに、そちらも間もなくセルセラ――“天上の巫女”たちが解決するだろう」
会議ではフロッグ公爵領の件だけではなく、エレオド領の港湾都市アジェッサの種々の問題にも触れられていた。
子どもの流行り病に関してフィアナ帝国は治療薬の提供を申し出、エレオド側がそれを受け入れる。
そして遺体盗難事件に関しては、天上の巫女一行が今も解決に向けて現地で尽力している。
「私は依頼者として、天上の巫女に直接会いに行くが……ヨカナーン王はどうする?」
「今回は遠慮しておこう。いずれ機会を設けてちゃんとご挨拶したいが、これ以上猊下の予定を乱すとこちらが首を刎ねられそうだ」
「ああ、まぁ……セルセラならそうかもしれんな」
二の魔王討伐がセルセラにとって不本意な結果であることを知っているディムナは、ヨカナーンの判断に同意する。
セルセラを誰より聖女として信頼しているディムナだが、だからこそセルセラが怒ると大変なことになるのも理解している。
「なぁディムナ帝」
「なんだ? ヨカナーン王」
「良かったら、天上の巫女の話をもっと聞かせてくれないか?」
「ああ、かまわない。と言っても、セルセラの話は酷く幅広い。専門分野やこれまでの実績に関しては俺程度の頭脳では理解できないことも多々あるんだが……何が聞きたい?」
「あなたと巫女の話、というのはどうだ? 知識でも評判でもなく、あなたと巫女との馴れ初めを聞きたい」
「俺とセルセラの話か」
セルセラ本人がいたら馴れ初めと言う言葉に突っ込むところだろうがディムナはさらりと流し、顎に指を当てて少し考える。
「そうだ。あなたの病を巫女殿が癒やしたというくだりだ」
「……そういえば、貴公も昔は体が弱かったそうだな」
「……昔の話だ。だが私の根源でもある」
「……ならば、少しだけ話をしようか」
セルセラへの愛情を各国に喧伝しすぎている皇帝は、もはやすべての人がその話を知っているような気がしてしまっているが、冷静に考えてそんな訳はないのである。
とはいえ隣国の王で常に帝国の動向を探っているエレオド王がフィアナ帝国で二年前に起きた出来事を知らないということもまたありえない。
ヨカナーンが聞きたいのは、書類報告からはわからないこと。ディムナとセルセラの間にあった、ただの事実以外の出来事。ディムナの内心。
二人の君主は、会議室から応接間へと場所を移して個人的な交流を始めた。
エレオドの室内装飾は、部屋の用途によってがらりと変わる。
落ち着いた雰囲気の会議室とは打って変わって豪奢で華やかな応接間で向かい合い、香りのよい紅茶と菓子を嗜みながらディムナはセルセラと出会った際の出来事を彼の視点で話し始めた。
「大体のことは貴公もすでにご存じだと思うが、俺は二年前、魔獣の広げた病にかかりゆっくりと死に向かっていた」
帝国内に魔獣が発生した。皇帝自ら兵を率いて魔獣を退治した。
ディムナの体調に変化が現れたのは数か月後だ。魔獣の最期の罠だと、その時帝国内に気づけるものはいなかった。
一日ごとに弱っていく体。
食事がとれず、味覚が働かない。睡眠は眠るというより気絶するように寝込み、その上浅い眠りの中で悪夢を繰り返す。
呼吸をしてもしても息苦しく、体は熱く、瞼は腫れぼったい。横になっているだけなのに積もる疲労。痛む筋肉。
臓器の数々も弱っていたのだろう。体の内側がじりじりと炙られているようだった。
皇帝の病を癒やす名誉を求めてやって来た多くのヤブ医者は逃げ出し、まともな医者も匙を投げる。
『誰か……誰かいないのか……』
悪い考えばかりが脳裏を過ぎって、この状態をどうにもできぬ周囲を恨んだ。
『俺が皇帝として役割を果たしていた頃は真っ先に戦陣に立ち多くの命を救った。だがどうだ、いざ皇帝が倒れてみれば、誰も俺を救ってはくれない……!』
狭まる視野、狭まる心。
動けない体で自分以外の全てを憎む。
声にならない血を吐くような叫びに応える者はいない。誰もいない。
そんなある日。
『苦しそうだな』
美しい少女がやってきた。病に霞がかった頭や視界でも一見してそうとわかる程美しい少女が。
『あんたに必要なのは、まず――』
少女はディムナにつきっきりで看病を始めた。
薬を飲ませ、汗を拭く。熱を測るために額に当てられた白い手は冷たく、氷よりも心地よい。
一杯のスープを一匙一匙掬って飲ませ、段々と重湯に変えていく。
一瞬でぱっと病が治る特効薬などない。ただひたすらに地道な看病を続けることによって患者の体力からまず回復させていく。
『寒いのか? それとも寂しい?』
少女があまりに美しいので、この世のものとは思えないほど。
『お前は天使か、それとも女神――』
見上げる先で穏やかに微笑む。
病人の面倒を見る時の彼女はまさしく女神のようだった。
少女の看病で精気が湧いてくるのを実感していなければ、むしろ天からの迎えだと思ったに違いない。
後ほど、ある意味それが正解だとわかったのだが。
眠りにつく彼の枕もとにそっと落ちる澄んだ歌声。
ディムナは子守歌だとばかり思っていたのだが、後で確かめたところによればこれは魔獣のかけた呪詛を解呪するための魔導だったそうだ。
『さて、熱も引いてようやく意識がはっきりしてきたようだな、皇帝陛下』
『……君はいったい何者だ?』
『僕はセルセラ。茨の魔女、そして“天上の巫女”と呼ばれる』
『最強の聖女……!』
驚くディムナにセルセラは笑って告げる。
『クランに感謝しろよ。あいつ、街中で病人を癒やしてた僕のところに来て公衆の面前で土下座までしたんだぞ』
『……クランが?』
その後、ディムナは自分が病に倒れている間、周囲の者たちがどれほど苦労したかを知った。
護衛騎士のクランは方々の医師や薬学者、魔導士に神官などを訪ね、治療方法を探っていた。
『皇帝陛下……良かった……本当に良かった……! ありがとうございます、セルセラ様……!』
自分の起き上がった寝台に縋りついて泣く幼い騎士の姿に、ディムナはようやく長い夢から覚める。
衰弱をもたらしたのが魔獣だとわかっていなかった頃、ディムナは不治の死病にかかったと思われていた。
病を癒やすことができなかったせいで不法に投獄された者までいた。皇帝の不在はあらゆる混乱を招いた。
「俺は……俺だけが辛いのだと思っていた」
誰にも自分は救えないと。救ってくれない周囲は所詮自分のことなどどうでもいいのだと。
だが違った。
皆が必死だった。それを知りディムナは恥じた。
病に対する認識も変わった。
これまでディムナは体の弱い者を鍛錬不足と認識して必要以上に気を遣っては来なかった。
自らが頑健な体に生まれたのは自らの功績ではないのに、病に倒れた人々のことをその程度しか活動できない才劣る者と判断して、医療や福祉を軽んじていた。
セルセラやクランの懸命な努力によって体が癒え、、ようやく己の本当の弱さを悟った。
無数の小国を束ねた武人皇帝としてこの世で最も強いかのような気分でいたのに、病一つに手も足も出ず、周囲から様々なことを教えられ救われた。
「あれは人生が変わる瞬間だった」
あれ以来ディムナは心を改め、それまで目を向けてこなかった弱者救済に力を入れ始めた。
今帝国がますます栄えているのも、内政に集中し困窮していた民への保障をしっかり行った結果だ。
病はかかってからの治療よりかかる前の予防が大事。セルセラから耳にタコができるほど言い聞かされたディムナはその考えを他の分野にも転用し、あらゆる問題が大きくなる前に防ぐ社会基盤の構築を始めたのだ。
「俺の心を変えてくれたセルセラに感謝している。辛い経験だったが、それがあったから今の俺がある」
「……それは」
大人しく話を聞いていたヨカナーンが口を開く。
「それは、生き残った者だからこその言葉だな」
「ヨカナーン王」
「ディムナ帝。あなたは周囲の者に恵まれている」
「ああ。……それは貴公もだろう、ヨカナーン王」
「私の体が治った背景に、貴公のような浪漫的(ドラマティック)な事情はないよ。よくある子ども時代特有の病弱さ」
「だが、その頃の経験が今の貴公を作り上げているのだろう?」
「そうだな。それは間違いない」
ヨカナーンはふっと微笑む。
「私もいつか会ってみたいな。貴方がそれ程敬愛する、天上の巫女姫に」
「遅かれ早かれ巡り合うさ。この国をこれだけ発展させたのは貴公だ。その功績は天界も無視できまい」
ディムナはヨカナーンの父である先王とは国土問題で大分衝突したが、ヨカナーン王に代替わりしてからはエレオドと比較的友好的な関係を築けている。
セルセラと出会った病の一件後、フィアナ帝国が内政に集中したようにエレオド王として即位したヨカナーンもまた国内での足場固めをしていた。
中央大陸の魔王が大人しい存在であったこともあり、今ではこの二国は大陸の中枢を担う存在にまで成り上がった。
ディムナとしては、このままエレオドとはできるだけ良い関係を築いていきたいと考えている。
「大陸……いや、今や世界最大の帝国の皇帝陛下にそう言われると照れるな」
「世辞ではない。貴公の実力だ」
その後もセルセラを介して交流のある他国の王子の話などヨカナーン王にせがまれるままいくつかの話をして、ディムナは日が暮れる前にエレオド王城を辞した。
自らが率いてきた兵とエレオドから借りた兵を連れて、アジェッサのセルセラの下へ向かわねばならない。
「――本当に」
まさしく武人皇帝と呼ばれるにふさわしいディムナの堂々とした姿を見送りながら、ヨカナーン王は薄く微笑んで独り言ちる。
「会ってみたいものだ。天上の巫女姫」
彼の背後には、黒い靄のようなものが漂っていた。
◆◆◆◆◆
天界で冥神、死神と話したセルセラは、すぐに地上のアジェッサへと戻った。
セルセラは魔導で、一度行った場所はどこにでも瞬時に移動することができる。
天界と地上の行き来はあらかじめ作ってある出入り口を使うため、今は地上での移動範囲拡大が目標だ。
星狩人協会には転移の魔導陣があるのに、こうして地上や海上を馬車や船で律儀に移動しているのはそのためだ。
緑の大陸の時はタルテにせがまれて余計な荷物三人を連れて天上に戻ったが、今回はその必要もない。
冥神と死神から必要な話を聞いてすぐ、セルセラは事件について更に詳しく調査をするため、アジェッサに残ったレイルたちと合流するつもりだった。
セルセラ程の魔導士であれば、わざわざ待ち合わせなどせずとも、探し人の魔力を追跡できる。
急ぎ足で歩く彼女に、近くのカフェの軒先から声がかけられた。
「もしもし、そこの道行くお嬢さん」
はじめは自分のことだと思わなかったセルセラも、次の言葉でぴたりと足を止めた。
「美しい緑の髪の貴女ですよ」
うんざりした顔で、声の主を振り返る。
一見温厚そうな雰囲気の男が、丸テーブルでカップを片手に彼女を手招きしていた。
「こんなところでお目見えできるとは奇遇ですね。どうですか? これから一緒にお茶でもしません?」
「ナンパなら間に合ってるけど」
「まぁそうおっしゃらずに、天上の巫女姫様」
セルセラは美しい。淡い緑の髪を長く三つ編みにした容姿は酷く目立つ。
だが美少女との噂こそ名高いものの、実際に“天上の巫女”の容姿を知る者は限られている。
少なくともただの一般市民は天界に住む最強の聖女などという生ける伝説が、その辺の街中を普通に歩いているとは思わないものだ。
「……話を聞こうか」
片眉をぴくりと跳ね上げたセルセラは、男と同じ丸テーブルの対面に座り、通りがかった店員に紅茶を注文する。
「お会いできて光栄です。私は魔導学者として、あなたの研究に大変興味があるのです」
男はロベルトと名乗った。
艶のある栗色の髪を後ろで一つに括り、同じ色の瞳を隠し切れない好奇心に輝かせている。
「天上の巫女姫、セルセラ猊下。あなたとは同じ“生命の探究者”として是非一度じっくり話してみたかったのですよ。まさかこんなところでお会いできるとは」
「学者としての僕をお求めか。どうやらこちら側から自己紹介する必要はないようだな。今は星狩人として依頼遂行の途中なんだ。濃密な議論をしてる暇はないから、用件は手短に」
「わかりました。仕事を抜きにしてもあなたのように美しい方を前にしては話のタネも尽きないでしょうが、今日は一つだけ」
ロベルトの片眼鏡(モノクル)が怪しく光を反射する。
「あなたの専門分野――“人体蘇生”について」
「……」
「実は私も魔導による完全蘇生、死者復活の研究を行っているのです。あなたが二年前に書いた論文を読んで、どうしてもお会いしたいと思っていました」
セルセラは二年前までエトラ学院で学生をしていた。論文というのは、その頃に書いたものだ。
「……現物を読んだなら、あれを書いた経緯も知っているはずだな。あれの理論のほとんどは僕が考えた訳じゃない。僕は友人の未完の研究を引き継いでまとめただけだ」
蘇生。
死者復活。
馴染み深いはずの言葉は、引き攣れた過去の痛みを連れてくる。それと同時に、何かが琴線を掠めた。
(この男……)
セルセラはロベルトに警戒の眼差しを向ける。
死者の蘇生を行うなら、当然最後は本物の死者――つまり死体が必要になってくるはずだ。
子どもたちの遺体盗難で揺れる街に、蘇生実験を生業とする学者。
「ええ。当然存じておりますよ。けれど、理論を完成させたのがあなたであることには変わりない」
ロベルトは暗い色の瞳を爛と輝かせ、生と死をその手に握る天上の巫女に問いかける。
「どうしても聞いてみたかった。あの理論に欠けていたパズルの一ピースを、あなたがどうやって見つけ出したのかを」
――生命の支配者? 笑わせる! 生命の冒涜者め!
セルセラの耳の奥、かつて自分を敵視して、排除しようとした神の言葉が蘇る。
「……聞いてどうする? どうせあの理論は、今の世界の技術じゃほとんど再現できない。僕が蘇生術を使えるのは、生贄術師の資質で技術の不足を補っているからだ」
すなわち、神々の力を用いている。理論の理解と生贄術師の素質の両方が揃わねば実現できないため、蘇生術は使い手が非常に限られているのだ。
「それでも、知っているのと知らないのではまったく異なるでしょう? 理論がわかれば研究を次の段階に進める。今の技術に足りないものを見つけ出すという目標ができる」
「お前は科学技術寄りの魔導学者なんだろう? 僕は魔導士寄りだ。同じ視点で語れるとは思わないな」
「それでも知りたいのです。いけませんか? 私はただ知りたい。この世界に満ち溢れる生命というものの神秘。我々はどのようにして神に造られ、何故必ず滅びねばならないのか」
生あるものは皆いつか必ず死ぬ。
この世に生まれ落ちたその時より、誰も死から逃れることはできない。
「生命とは神によって与えられた運命そのもの。生まれてから死ぬまでの全ての物事の実行手順が記された台本」
役者のように朗々と、ロベルトは唄うように告げる。
「そしてその台本は、他でもない我々の肉体そのものに刻まれているのです」
「死ぬまでにはどうせ台本の全容もわかる。お前はそれを今すぐ全て読み解きたいってのか? せっかちだな」
「人の生は短いのです。誰もかれもが生き急いでいる。私とて例外ではありません」
知りたい。いつかではなく、今すぐ、今まさに!
そうした研究者としての願望自体は、セルセラにもわからないでもないが……。
「それに、台本を読み解くことで死者を蘇らせることができたならば、喜ぶ人間が増えるのではないですか?」
「そうだな……」
死は神がもたらす運命。誰も決して逃れられない。それを否定するのは神への冒涜。
それでも、生きていてほしい。
それでも、蘇ってほしい。
救われてほしい。喪いたくない。悲しみたくない。――そう願って何が悪い。
だからセルセラは、友人の遺した蘇生術の理論を完成させた。それを論文として公表もした。
けれど。
「ロベルト博士。お前にとっては、死者を蘇らせるそのために生命の仕組みを知ること、生命を知るために他者の死体を暴くこと。優先順位はどっちだ?」
「どちらも同じでしょう。最終的に求める結果に辿り着ければいい」
「そうか」
結果は大事だ。時には犠牲を強いても望む結果を優先すべきことはある。
だが望む結果を得るためとはいえ、絶対に必要な過程を軽んじれば辿り着けない真実もこの世にはある。
正義とか、倫理とか、そういう問題でもなくて、ただ純粋に己が必要な手順を踏むことでしか理解できない現実もあるのだ。
「さっきの質問に答えてやろう。あいつの理論に欠けていて、僕が埋めた最後の一ピース。――その名は“死”だ」
セルセラは数年前までは、ただの優れた魔導士で優れた聖女でしかなかった。
その最後の一ピース――死を知るまでは。
「ほう……」
ロベルトがすっと瞳を細める。
真剣にと言うよりはいっそ冷酷に、セルセラの言葉に耳を傾ける。
「どれ程多くの死体を暴いても、その意味を知らなければ蘇生術を成功させることはできない」
知的好奇心のみで蘇生術の成功を望むこの男は、誰かに心から生き返ってほしいと願ったことはあるのだろうか?
「……へぇ。私はてっきり、最後の一ピースは魂かと思っていました。魂の理解が難しいから魔導士でも蘇生術を扱えるものは皆無に近く、あなたのような聖女、巫女と呼ばれる方の方が成功率が高いのかと」
「違うな」
「違うのですか。実に……実に興味深いお話です」
セルセラは飲み干した紅茶のカップを置き、立ち上がる。
「僕はもう行くぜ」
「貴重な機会をありがとうございました。できれば次はもう少しじっくりとお話したいところです」
「そうかい」
セルセラは振り返らずにその場から離れ、一方のロベルトは熱心にその背を見送っていた。
◆◆◆◆◆
「……そうですか。では街の子どもたちの多くはこの教会で弔う予定だったのですね」
「はい。……それも遺体が奪われた今となってはほとんど不可能になってしまいましたが……」
タルテは街のはずれにあるフェニカ教会で神父から聞き込みを行っていた。
怪物が子どもの遺体を奪っていく状況は様々で、この教会でも葬儀の最中に怪物が現れ遺体を棺ごと運び去って行ったことがあるという。
遺族の動揺と悲嘆は激しく、その子の葬儀は中断されたまま正式に行えてはいない。
警備隊も怪物から遺体を取り戻してほしいと多くの市民に頼まれているが、戦闘の心得こそあっても化け物退治に慣れていない彼らは途方に暮れるばかり。
つぎはぎの怪物がもしも魔獣ならば、星狩人協会に依頼するべきなのではないか、と街の顔役たちが頭を悩ませていた頃にディムナが訪れ、セルセラへの依頼を提案したのだ。
静かな教会。……フェニカ教の多くの教会は墓地が併設される関係で街はずれに建てられることが多いので当然だが、その静かな教会で思いつめたような表情の神父がタルテに懇願する。
「星狩人様、どうか亡くなった子どもたちの魂の安寧と遺族のために、どうか……」
「わかっております。我々は必ずや怪物を見つけ出し子どもたちの遺体をご家族にお返しします」
盗難後の日数から考えればもはや腐肉としか言えない遺体も多いだろうなと冷静に考えつつ、タルテは平素と変わらない顔で頷く。
ふいに、教会の墓地に近い裏山で何かの気配を感じた。
「……っ」
「どうかなさいましたか?」
――最近教会の近くの墓地や山で不審な動きをしてる奴らがいるらしいぜ。
セルセラが情報屋で拾ってきた話を思い返しつつ、タルテは再び神父に尋ねた。
「ルチル神父、もう一つだけ。……あの裏山に伝わる死者蘇生の伝説についてお聞かせ願いたい」
◆◆◆◆◆
レイルたちを探すつもりだったセルセラは、思いがけず向こうからの呼びかけで即座に移動する羽目になった。
何かあった時のためにと持たせておいた魔導の鈴がチリンと涼やかな音を立てる。その音を頼りにレイルとファラーシャのところへ魔導で転移した。
「どうした?」
「病で死にかけた子どもがいるんだ! なんとかできないか? セルセラ!」
「すぐに案内しろ!」
小さな診療所の一室で、医者がなんとか子どもの息を吹き返そうと手を尽くしている。
どんなにやっても反応は返らずいよいよ周囲が諦めかけたところでセルセラが間に合った。
「この前の子どもたちと同じやつだな」
勝手がわかっていたこともあり、間もなく子どもは無事に息を吹き返した。
喜びの涙を流す家族の横で、セルセラは医者に病の話を聞く。
遺体の盗難事件だけではなく、そもそもの子どもの流行り病を治療するための薬草を大量に運び込んだ方が良さそうだ。
今のところつぎはぎの怪物が生きている子どもを攫ったことはないと言う。存在しない死体は怪物も盗めないだろう。
「ところでなんだか外が騒がしいんだが」
「誰だ! 葬儀屋を呼んだのは!」
診療所の外では、遺体を運ぶ棺と馬車を用意した葬儀屋と街人たちが揉めていた。
「お前たちだって知ってるだろう! 早く死体を片付けなきゃ、奴が!」
「もう葬儀屋を呼んでるとか、手際が良すぎだろう。まぁ、この状況じゃ仕方ない……ん?」
怪物による遺体盗難が相次ぐ街では、できる限り早く遺体を教会に運び込むのも仕方ない。
……否、確か怪物は教会にも現れたはずだ。葬儀を急ぎ過ぎる意味などない。
「なぁ、セルセラ、なんか変な音が近づいてくる」
ファラーシャが言って、道の向こうを指さす。
その言葉が示す事実は、言い争う街人と葬儀屋の行動さえ止める力があった。
べちゃ、べちゃり、ばちゃ。
濡れた柔らかく重いものが石畳を一定間隔で叩く不気味な足音。
「う……うわぁああああああ!!」
現れた“つぎはぎの怪物”の姿に、人々が一斉に悲鳴を上げた。